その一、その二、その三、その四、その五、その六の続き
国家の危機にあたり著者は、「大国に脅かされている小国はつねに気を配り、別の選択肢を考慮し、選択肢を現実的に見極めるべきだということだ」(下310頁)と断言する。その一例としてトゥキディデスの『戦史』にある「メロス島対話」を紹介する。
そんなことは当たり前ではないか、と思いがちだが、いざ実行となると難しい。その結果、「過去はメロス人の男性全員、パラグアイ人数十万人(※パラグアイがアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル相手に戦った三国同盟戦争を指す)、日本人数百万人が『あたりまえ』のことを無視して命を落とした」(下312頁)。
但し国家に限らず、民族にもその原理は当てはまる。紀元1世紀のユダヤ戦争こそ、その最適なケースに相応しい。当時のユダヤは独立国家ではなく、ローマ支配下のユダヤ属州となっていたが、原理主義者や過激派が焚きつけ、強大なローマ相手に戦いを挑む。これをローマは徹底鎮圧、戦いはマサダでの集団自決と玉砕で終わるが、古代ユダヤ人も『あたりまえ』のことを無視して命を落とした。
この事情はローマに投降したユダヤ人指揮官ヨセフスが、『ユダヤ戦記』に詳細に記載している。自己正当化による誇張もあるにせよ、この書が第一級の資料なのは否定できない。尤もイスラエル国内外問わず現代ユダヤ人は、ヨセフスを裏切り者として心底憎んでいるという。
博覧強記のはずの博士殿が、欧米人にはメロス包囲戦よりも遥かに知られているはずのユダヤ戦争に触れなかったのは意味深い。やはり古代同胞が『あたりまえ』のことを無視した過去を直視することは耐えがたかったようだ。
著者も含め、これまで見たユダヤ系知識人の言い分では常に帝国主義ローマが悪い、ナチスが悪いと繰り返すばかりで、どのようにしたら同胞は危機を避けられたのか?という見解は未だに見たことがない。ローマ兵相手にテロ行為を行えば鎮圧されるのは当然だし、ユダヤ人迫害はナチスに止まらない。21世紀でも「反ユダヤ主義」というレッテル貼りに依存する手法は極めて独善的だが、これも選民思想ゆえなのだ。
記事にするに当たりグーグル検索したが、ジャレド・ダイアモンドに関連する検索キーワードも多数ヒットした。本書への書評レビューは賛否両論だったが、代表作『銃・病原菌・鉄』へのAmazonレビューに「さすがは朝日新聞社が絶賛する大著。日本民族への憎悪に満ち満ちている」という長文非難があった。
書込み主は著者を何度もアメリカ白人博士と書いているが、正確にはユダヤ系白人である。これまた日本に関しては全くのトンデモ本だった。Amazonレビューと内容が重なるが、「UCLAのトンデモ教授ジャレド・ダイアモンド「日本人の祖先は紀元前400年前に来た韓国人」」というブログ記事もあった。
ユダヤ人が日本人を憎悪する理由は様々あるが、アジア植民地での利権を失ったことが最大の理由ではないかと思う。日本人も欧米人も白人はアジア・アフリカ諸国を植民地化、徹底搾取したと思っている。それ自体は間違いではないが、第三世界で財を成したのは白人のキリスト教徒だけではなかった。
ユダヤ系もアジア・アフリカに来ていて、ユダヤ系貿易商デイヴィッド・サスーンはアヘンの専売権をとり、「アヘン王」と呼ばれた人物。「「アヘン戦争」の舞台裏 アヘン王サッスーンの暗躍と上海に築かれたユダヤ人社会の実態」という記事では文字通り、アヘンで莫大な富を得たことが載っている。
アヘン戦争以降、ユダヤ財閥たちは競って中国へ上陸していくが、屈指の商業民族ユダヤ人がアジアに来ないはずがない。ユダヤ人は帝国主義の一端を担っていたというより、大きく関与していたといえる。
「BLMを操るテロリス」という興味深いブログ記事がある。黒人抗議運動には左翼ユダヤ人が深く関わっており、今流行の Black Lives Matter/BLM も黒人だけの自然発生運動ではなかったことが解説されている。つまり黒人を使って白人を押さえつけるのだが、これでユダヤ系知識人が異様に韓国に肩入れするのも納得できる。
但し著者は、必ずしも米国の同業者たちから絶大な支持を受けている訳ではないことが伺える一文があった。
「今では私は、意見が対立する学者から繰り返し訴えられたり、訴訟の脅しを受けたり、ひどい中傷を受けたりしている。私を講演に招く主催者は、怒り狂った批評家連中から私を守るためにボディーガードを雇わざるを得ないほどである。ある学者は私の著書のひとつについて書評を書き、「黙れ(シャット・アップ)!」という言葉で締めくくった」(下176頁)
この箇所には救われる思いにさせられる。とかくメディアは欧米の高名な学者に対し称賛一辺倒になるが、日本の大新聞が絶賛する知識人は全面信用できないことが本書を通じて判った。
これをべた褒めする学者連中は何しているの?
しかし「マサダ」をやらかしたユダヤ人にだけは
日本帝国の戦いを茶化されたくないですねえ。
割りと世界各国で「小国が勝ち目のない戦」をやらかすと思うのですが?人間希望的観測に翻弄されるのはよくあるし、引きようがない状況追いやられることもあるし。軍事力や経済力
が指標となって明確になっており比較できた時代
はつい最近ですし、無茶も無茶と思わない場面も多いでしょう。なんだかなあ
本当に本書をべた褒めする学者連中は何しているの?と言いたい。UCLA教授がなんぼのもんですか。玉砕と集団自決はユダヤ人に限りませんが、とかく連中は異民族がそれを行うと貶しつける。
仰る通り、世界各国で「小国が勝ち目のない戦」をやらかすことは少なくありません。ベトナム戦争だってそのひとつでしょ。WW2のフィンランドと違って支援国はいましたが、超大国を撃退しました。
『文明の生態史観』に通ずる思想で、日本人から見れば欧米人がやっとその認識に達したというものですが。
「小国が勝ち目のない戦」をするのは、戦争目的(勝ちの判定基準)が大国とは違うからです。
大国が支配目的で仕掛けてきたら「支配されない」という目的のために戦うしかありません。簡単に服従を選択すると朝鮮になってしまいます。小国の悲哀は「選択肢がない」ことです。
日露戦争や太平洋戦争もそうですよ。ロシアやアメリカが共存の意志がない(日本の独立生存を許さない)レベルで圧力をかけてきた(と認識した)以上、戦って相手にダメージを与え続けて、相手の共存の意志を引き出すしかありません。(その意味で、特攻は戦略的には非常に「正しい」。)
太平洋戦争は、敗戦により日本の戦争目的の過半が達成されました。アメリカとの自由貿易、アメリカとの反共同盟、中国問題の解決(アメリカ市場あれば拘泥する必要が無い)。
変な話なのは、戦前の日米(特にアメリカ)の認識が間違っていたからです。
# 失ったのは「西太平洋の覇権」。アメリカ国民は知らなかったアメリカ(政府)の戦争目的。
著者は「現実主義者」を称賛していますが、彼らも誤ることが少なくない。現実主義者の犯す最大の誤りは相手側も同じだと思い込み、無茶をしないと見ることだ、と言ったのはマキアヴェリでした。
尤も著者にかかれば、スパイの可能性があると警告をされていたにも関らず、そのまま個人秘書を使い続けたブラント風情も「現実主義者」になりますが(笑)。
私も『銃、病原菌、鉄』では、白人が優秀だから世界を支配できたという概念を否定した所は良いと思いました。それも著者がユダヤ系だったから?と今ではうがった見方をしたくなります。
先に鳳山さんがコメントされているように、勝ち目がなくても様々な理由で起こるのが戦争で、損得勘定で戦争が起きないのなら人類の歴史に戦争は存在しないでしょう。独立戦争でも勝算があってのことではありません。
本当に本書下巻での日本の記述はずれまくっているとしか思えませんでした。代表作『銃、病原菌、鉄』も後日出た増補版で「日本人とは何者だろうか?」という章が追加されたそうで、大体の内容はネットで知りました。所詮この大先生もリベラル派の反日知識人だったのか、と感じたし、ガッカリさせられました。もうあの年代では戦前の日米の認識を変えられないでしょう。