
「葛岡(くずおか)霊園」と並ぶ仙台の心霊スポットは八木山橋。この橋は地元では自殺の名所として有名であり、よく出ると言われるので肝試しとなる場でもある。しかし、年間9百万人の観光客が訪れる観光名所の米サンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジ(金門橋)もまた、自殺を試みる人が後を絶たないとは、この映画で初めて知った。
この作品の舞台はゴールデンゲート・ブリッジ。巨大な吊橋で命を絶った人間及びその家族や友人へのインタビューを撮影したドキュメンタリー映画。観光客でにぎわう橋で白昼自殺など出来るのか、はじめは目を疑ったが、逆にそれだからこそ人目が付き難いのかもしれない。有名な自殺名所でありながら防護柵もないのだ。自殺防止のため異様に高い防護柵が付けられた八木山橋でさえ、柵を乗り越えて飛び降りる者がいるほどなので、ましてこの橋なら容易にやれる。
ゴールデンゲート・ブリッジ下ではサーフィンを楽しむ若者もおり、天気のよい休日に友人とサーフィンをしていた側で自殺者が入水するのを目撃した者もいる。観光地ゆえ飛び降りようとする者に、カメラのシャッターを押してほしいと頼む人もいて、人生の好対照は残酷なものだ。
キリスト教のような一神教は神が与えた命を自ら絶つ自殺を厳しく禁じており、自殺者は地獄に落ちるとされている。それでもキリスト教圏でも自殺者は絶えず、新聞やTV等でこの類の報道をしないこともある。そのため、この映画は公開時批判も目立ち、上映拒否した映画館もあった。スティール監督へのインタビューを紹介したサイトもある。ゴールデンゲート・ブリッジでの自殺者の数は世界最大とラストのクレジットにあったが、正確な死亡者数は出ておらず、ネットで調べたら1937年の開通以来、約1.300人が飛び降りて命を絶ったとか。
よく死ぬ死ぬと言う者に限り死なない、との俗説があるが、遺族や友人へのインタビューを見る限り、この説は異なっているようだ。生前の自殺者は死亡前、よく死にたいとか死ぬなどが口癖だった。何度も繰り返すので、周囲もまたかと気に止めなくなっていく。彼らの性格は繊細で対人関係が不得手、気にしなくてもよいことまで気に病むタイプが多かった。鬱病や躁うつ病を患い、何度も入退院を繰り返した人物もいる。一方、一見社交的、陽気で問題がないように見えても、失業や破産状態の果て絶望して身投げをした人も。
ある女性は思春期での突然の父の死が原因で精神を病み、ついに金門橋から飛び降りるが、彼女の兄弟は無事に乗り切っている。この橋で投身自殺を図るも奇跡的に助かった若い男もいる。彼は両親や兄弟、生活に恵まれていたが、躁うつ病を発病したのだ。彼はその後2度も同じくゴールデンゲート・ブリッジから身を投じるが、死ななかったので不思議なこともある。シスコの地元の人間には「落ちた」と言えば、意味することが分かるという。ちなみにこの作品で取り上げられた自殺者は白人ばかりだった。
友人に死なれた人々の反応は様々だ。命を絶った親友に怒りを感じている青年もいれば、友人はやっと安らぎを得たと理解に努める者、生前の対応を悔やむ者…他にも2人自殺した友人がいると答えた女性の証言は驚いた。類は友を呼ぶものなのか。私の周囲には病死や事故死を除き自殺者がいないので、所詮理解の対象外だ。
映像で見れば、ゴールデンゲート・ブリッジは実に美しい橋だ。何故この橋で、と思うがアメリカ一の観光地で見事な建造物なので、試みる者が絶えないのかもしれない。或いはここを自殺の場に選ぶ者は、本当は助けてほしいとの心理もあるのかも。銃が簡単に手に入るアメリカなら、こちらの方が確実なのに。
それにしても、このような映画を公開したら、逆に自殺スポットとして脚光を浴び、願望者が押し寄せるようになるのではないか?「命の尊さ」などお体裁ぶった偽善であり、自殺シーンさえ興味本位のビジネスとなる。仙台の八木山橋のように、金門橋も心霊現象があるのだろうか。ここでも「肝試し」のようなことが行われているのか、いささか気になる。
◆関連記事:「自殺について」
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この作品の舞台はゴールデンゲート・ブリッジ。巨大な吊橋で命を絶った人間及びその家族や友人へのインタビューを撮影したドキュメンタリー映画。観光客でにぎわう橋で白昼自殺など出来るのか、はじめは目を疑ったが、逆にそれだからこそ人目が付き難いのかもしれない。有名な自殺名所でありながら防護柵もないのだ。自殺防止のため異様に高い防護柵が付けられた八木山橋でさえ、柵を乗り越えて飛び降りる者がいるほどなので、ましてこの橋なら容易にやれる。
ゴールデンゲート・ブリッジ下ではサーフィンを楽しむ若者もおり、天気のよい休日に友人とサーフィンをしていた側で自殺者が入水するのを目撃した者もいる。観光地ゆえ飛び降りようとする者に、カメラのシャッターを押してほしいと頼む人もいて、人生の好対照は残酷なものだ。
キリスト教のような一神教は神が与えた命を自ら絶つ自殺を厳しく禁じており、自殺者は地獄に落ちるとされている。それでもキリスト教圏でも自殺者は絶えず、新聞やTV等でこの類の報道をしないこともある。そのため、この映画は公開時批判も目立ち、上映拒否した映画館もあった。スティール監督へのインタビューを紹介したサイトもある。ゴールデンゲート・ブリッジでの自殺者の数は世界最大とラストのクレジットにあったが、正確な死亡者数は出ておらず、ネットで調べたら1937年の開通以来、約1.300人が飛び降りて命を絶ったとか。
よく死ぬ死ぬと言う者に限り死なない、との俗説があるが、遺族や友人へのインタビューを見る限り、この説は異なっているようだ。生前の自殺者は死亡前、よく死にたいとか死ぬなどが口癖だった。何度も繰り返すので、周囲もまたかと気に止めなくなっていく。彼らの性格は繊細で対人関係が不得手、気にしなくてもよいことまで気に病むタイプが多かった。鬱病や躁うつ病を患い、何度も入退院を繰り返した人物もいる。一方、一見社交的、陽気で問題がないように見えても、失業や破産状態の果て絶望して身投げをした人も。
ある女性は思春期での突然の父の死が原因で精神を病み、ついに金門橋から飛び降りるが、彼女の兄弟は無事に乗り切っている。この橋で投身自殺を図るも奇跡的に助かった若い男もいる。彼は両親や兄弟、生活に恵まれていたが、躁うつ病を発病したのだ。彼はその後2度も同じくゴールデンゲート・ブリッジから身を投じるが、死ななかったので不思議なこともある。シスコの地元の人間には「落ちた」と言えば、意味することが分かるという。ちなみにこの作品で取り上げられた自殺者は白人ばかりだった。
友人に死なれた人々の反応は様々だ。命を絶った親友に怒りを感じている青年もいれば、友人はやっと安らぎを得たと理解に努める者、生前の対応を悔やむ者…他にも2人自殺した友人がいると答えた女性の証言は驚いた。類は友を呼ぶものなのか。私の周囲には病死や事故死を除き自殺者がいないので、所詮理解の対象外だ。
映像で見れば、ゴールデンゲート・ブリッジは実に美しい橋だ。何故この橋で、と思うがアメリカ一の観光地で見事な建造物なので、試みる者が絶えないのかもしれない。或いはここを自殺の場に選ぶ者は、本当は助けてほしいとの心理もあるのかも。銃が簡単に手に入るアメリカなら、こちらの方が確実なのに。
それにしても、このような映画を公開したら、逆に自殺スポットとして脚光を浴び、願望者が押し寄せるようになるのではないか?「命の尊さ」などお体裁ぶった偽善であり、自殺シーンさえ興味本位のビジネスとなる。仙台の八木山橋のように、金門橋も心霊現象があるのだろうか。ここでも「肝試し」のようなことが行われているのか、いささか気になる。
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アイレンと申します。
惜しくもブログを閉じてしまわれた晩秋さん経由でお邪魔しました。
ああいう戦前の知性知識豊かな、まっすぐな意見を述べられる数少ないお方のブログが閉じてしまい、誠に残念です。
あ、失礼いたしました。道がそれていますね。
いえ、こちらにお邪魔し、さすが晩秋さんがご覧になられたほどの「きちんとした」ブログに、コメント書かずにいられなくなったもので...。
ご多忙中のところわけの分からないコメント入れたりして大変失礼いたしました。
宜しければこれから頻繁にお邪魔させていただきます。
晩秋さんがブログを閉じられたのは残念でしたね。
特に戦前生まれのブロガー自体少数と思われるので、彼らの人生体験記事はとても勉強になりますから。
私は気紛れに書いているだけであり、「“きちんとした”ブログ」など、気恥ずかしい限りです。
むしろ、マイナーなネタばかりのブログを読まれて頂いて、ありがとうございました。
私の方こそ、今後ともよろしくお願い致します。