トーキング・マイノリティ

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女王とクーデター その一

2021-01-31 22:00:39 | 音楽、TV、観劇

 録画していたBS世界のドキュメンタリー、「女王とクーデター」を見た。女王とは英国女王であり、タイトルからして、あたかも英国女王が、クーデターに関与していたような印象を受ける。以下は番組サイトでの紹介。

アメリカとイランの埋めがたい対立を生み出したとされる1953年のイランのクーデター。イギリスの情報機関MI6計画し、CIAによって実行されたこの政変に、エリザベス女王が重要な役割を担ったことを示唆する資料がアメリカ公文書館で機密解除された。イギリスの歴史学者二人がこれらの資料からイランをめぐる知られざる歴史の一端に迫る。原題:THE QUEEN AND THE COUP(イギリス 2020年)

 紹介には“エリザベス女王が重要な役割を担ったことを示唆する資料”の文句があり、まるで女王がクーデターに積極的に関与したような印象だ。正確に言えば女王の名が重要な役割を担っており、電報に名前を使われていたのだ。いわば政治利用であり、女王がクーデターに介入若しくは黙認していたことを、番組に登場した2人の歴史学者も否定している。
 同じ英国女王でもエリザベス1世は海賊を積極的に活用し、スペインから抗議されても、「海賊が勝手にやったことで、余は与り知らぬ」とうそぶいたものだった。ただ。現代の英国女王にその可能性は殆どない上、万一関与していたとしても、公文書に遺すヘマは考えられない。

 登場した歴史学者とは、ローリー・コーマック教授(ノッティンガム大)とリチャード.J.オルドリッジ教授(ウォーリック大)。彼等の検証を英外務省、MI6共に認めないそうだ。
 日本では一般に知られない1953年のイランのクーデターだが、イラン首相モハンマド・モサッデクを潰すため仕組まれた政変だった。この出来事は2007年8月に拙ブログで記事にしている
 民主的に選ばれたはずのイラン首相を下ろした背景には石油利権があった。それまでイランの石油利権の独占、暴利を得ていた英国のアングロ・イラニアン石油会社(現BP)に、石油国有化を突きつけたのがモサッデク。そのためモサッデクは欧米諸国から激しく敵視される。

 はじめ英国は自国のみでモサッデク政権転覆を画策していた。先ずマスコミに大々的なモサッデク誹謗中傷記事を掲載するが、投稿したのがアン・ダムトンという中東研究者。しかし、この人物はただの研究者ではなく、首相にもなったハロルド・マクミランの姪だった。いかにモサッデク政権が不安定なのか、共産主義勢力と深い関係にあるか等々、デマと中傷を書き連ねる。
 そして彼女は実行に相応しい人物としてロバート・ゼイナーという男を推薦する。分厚い眼鏡をかけ風采が上がらず、麻薬常用者でもあったゼイナーだが、イランの各方面に人脈を持っていた。ゼイナー、ダムトン共々第二次世界大戦中はイランで工作活動を行っており、さすがアラビアのロレンスやガートルード・ベルを生んだ国は工作員に不足しない。

 英国の画策したクーデターは「ブーツ作戦」と名付けられた。何故こう呼ばれたのかは番組では言わなかったが、クーデターを実行・成功させたのは「ブーツ作戦」ではなく、米国のエイジャックス作戦のほう。英国は米国を引き込むことにし、米国の政財界に働きかける。
 トルーマン時代の米国はあまりイランのクーデターに乗り気ではなく、英国から計画を持ち掛けられても冷ややかだったという。既に米国はサウジで石油開発を行っており、利益はサウジ政府と折半するかたちだったのに対し、アングロ・イラニアンは利権を独占していた。そのため英国の失態と見ており、なぜ米兵を使って英国の尻ぬぐいをする必要があるのか、という米国人もいた。

 流れが変わったのはアイゼンハワーが大統領になってから。アイゼンハワーは反共を明確に打ち出しており、国務長官に任命したダレスも強硬な反共主義者である。それを英国は利用し、米国に対し「共産主義の脅威」を煽るようになる。
 特にモサッデクがアングロ・イラニアン石油会社を国有化、親ソ連政策を行なったことは英米共に許しがたいことだった。このためモサッデクは未だに隠れ共産主義者だったという者がいるが、経済制裁とイラン石油禁輸措置を執行する英国への対抗上やむを得ない政策だろう。モサッデクは民族主義者といった方が相応しい。

 この間は後にアーバーダーン危機と呼ばれ、モサッデクは失脚、英米の後ろ盾によりモハンマド・レザー・パフラヴィーが“パーレビ国王”として国を統治、やがて独裁体制を敷く。
 実はアーバーダーン危機に日本も無縁ではない。ベストセラー『海賊とよばれた男』後半のクライマックスは日章丸事件が取り上げられ、その描写にワクワクしながら読んだ読者も少なくなかったろう。
その二に続く

◆関連記事:「モサッデク-アメリカに潰されたイラン首相
英露の覇権争いにより…
イランを知るための65章

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2 コメント

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Unknown (鳳山)
2021-02-03 23:31:03
欧米列強が巻き起こした紛争は多いですよね。本当に碌なことしかしない連中です。
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鳳山さんへ (mugi)
2021-02-04 22:54:01
 英領以前からビルマのラカイン州には少数のムスリムが住んでいましたが、その頃は宗教的対立は見られませんでした。しかしビルマ全土が支配下に置かれると、状況は一変します。英国は分割統治のためインド系を入植させ、複雑化していきます。

 1942年の戦闘では、英軍側のムスリムによって2万人以上のラカイン人が殺されたといわれ、ロヒンギャへの憎悪は今でも消えていないのです。
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