秋は感傷的な映画が公開されるシーズンだが、「全米を感涙で包んだ大ベストセラー小説、待望の映画化」のコピーどおり、感涙させられる作品だった。ただ、おセンチなだけのストーリーではなく、家族や遺伝子操作、臓器移植など、重いテーマを扱った映画でもある。特に臓器移植はされる側だけではなく、する方にも重い負担が強いられることが改めて分った。
11歳の少女アナは両親と兄姉の家族と暮らしている。しかし、彼女は普通に生まれたのではなく、白血病の姉ケイトに臓器を提供するドナーとして遺伝子操作により誕生したのだった。両親や兄のような血縁者でも白血球の血液型であるHLA型が合わないことも珍しくなく、母サラは娘を救うため、医師が暗に薦めた遺伝子操作でもう1人子供をつくることにする。その子供こそアナだった。
そのため、まだ幼い頃からアナは幾度も臍帯血や輸血、骨髄移植など、姉の治療のため犠牲を強いられてきた。母サラはそれも愛する家族のためなら当然と信じていた。そんなある日、アナは自分の体は自分のものと姉への腎臓提供を拒否、両親を相手に訴訟を起こす。だが、その決断には隠された目的があった…
いかに訴訟大国アメリカ映画でも、まだ11歳の少女が両親を訴えるという設定が凄い。さすがに母親は激怒、姉を助けたいと思わないのかと責めるが、アナの決意は変わらず、それでも親元で暮らし続けている。アナが選んだ弁護士も、勝訴率91%を謳うテレビCMを見たことが理由だが、アメリカの弁護士は派手に広告宣伝も行うようだ。
難病の家族がいることは辛いもの。アナの一家フィッツジェラルド家は全てケイトを中心の生活であり、母は娘の治療に専念するため、弁護士を辞めた。長男ジェシーは難読症で当然学校の成績は悪く治療が必要な状態でも、常にケイトの治療が優先される。不治の病に侵されながらもケイトは賢く優しい少女に育ち、家族の前では明るく振舞っていたが、自分の存在が家族に犠牲を強いているのは既に知っていた。そして、治療の甲斐もないことにも気付いていた。
入院先の病院で、ケイトはテイラーという少年と知り合う。彼もまた癌を患い、放射能治療のためケイトと同じく頭髪は失われていた。アメリカの病院では若い癌患者のため、ダンスパーティーの催しがあるらしく、かつらを被りおしゃれをしてテイラーとパーティーに出るケイト。パーティーの途中抜け出し、2人きりになった彼らは結ばれる。しかし、テイラーは間もなく病死、つかの間の恋はケイトを絶望させ、生きる気力を失わせた。
実はアナが両親を訴えたのは、ケイトの頼みからだった。姉はこれ以上の治療を望まず、臓器移植を受けても助かる可能性もないことを知っていた。母サラだけが移植に望みを託しており、既に医者や夫の声にも耳を傾けられない有様。裁判経過から臓器移植が困難になっても、諦めがつかなかった。
裁判からドナーとなったアナの辛さが語られる。輸血や骨髄移植には苦痛が伴い、まだ6歳の頃から注射で採血を強いられてきたのだった。そう仕向けたのは母であり、腎臓1つを摘出した者は、その後決して無理な生活は出来ず、激しい運動など論外。やはり臓器を失うのだから、健康も損なわれるのだ。言われてみれば納得するが、果たして臓器を提供したドナーの生活の実態を紹介したドキュメンタリーなどあっただろうか?移植を受け、健康を取り戻した等のTV特集は見たことがあるが。
手術を体験された方ならご存知だろうが、全身麻酔のため背骨に打つ注射の痛みはかなりなものである。大人でも苦痛を感じるのだから、まして子供なら耐え難いだろう。
「何故アメリカで臓器移植が盛んに行われるか?」というブログ記事があり、題名どおりアメリカの臓器移植を扱った内容である。この中で私が特に関心を引いた一文は「アメリカでは健康体でもボランティア精神で臓器を提供し、他人を救う人々が多いという…」だった。ブログ管理人・藤山杜人氏は自分でも認めているが、典型的な“出羽の守”であり、欧米の諸々の事柄を持ち出し、それに対し日本は…などの記事も見られる。「日米の文化はこのように大きな違いがある。どちらが良い文化であろうか?」の問いかけも、欧米礼賛の見え透いた印象誘導が鼻をつく。
だが、健康体でも臓器提供する者はボランティア精神などではなく、実はカネが目的なのは渡米体験ゼロの私さえ想像がつく。アメリカで臓器移植が盛んに行われる真の理由は、日本とは比較にならぬほど凄まじい格差社会ゆえなのだ。健康な金持ちでもボランティア精神で臓器提供する奇特な人もいるだろうが、そのような人は稀である。臓器提供の実態は、カネと引き換えに健康を害するドナーと金銭面で恵まれた者、医療ビジネス業界の三角関係で成立しているのだ。私なら健康を損なってまで、家族以外に臓器提供をする気は全くない。本当に一日も早い人工臓器の開発が望まれる。
臓器提供を呼びかけている連中こそ、己自身若しくは家族はドナー登録しているか、またはその体験があるのか、極めて疑問だと私は見ている。藤山氏は友人に誘われてもボランティア活動をしなかった人物なので、当人のボランティア精神は薄いようだ。アメリカ人の奉仕精神を讃えながら、それを実践せぬ人物の主張なら欺瞞そのもの。世の中には他人に寄付を呼びかけても己の懐からは出さない者も少なくないが、その類はしみったれた偽善者に過ぎない。
◆関連記事:「臓器移植」
「代理母-奉仕の精神?」
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11歳の少女アナは両親と兄姉の家族と暮らしている。しかし、彼女は普通に生まれたのではなく、白血病の姉ケイトに臓器を提供するドナーとして遺伝子操作により誕生したのだった。両親や兄のような血縁者でも白血球の血液型であるHLA型が合わないことも珍しくなく、母サラは娘を救うため、医師が暗に薦めた遺伝子操作でもう1人子供をつくることにする。その子供こそアナだった。
そのため、まだ幼い頃からアナは幾度も臍帯血や輸血、骨髄移植など、姉の治療のため犠牲を強いられてきた。母サラはそれも愛する家族のためなら当然と信じていた。そんなある日、アナは自分の体は自分のものと姉への腎臓提供を拒否、両親を相手に訴訟を起こす。だが、その決断には隠された目的があった…
いかに訴訟大国アメリカ映画でも、まだ11歳の少女が両親を訴えるという設定が凄い。さすがに母親は激怒、姉を助けたいと思わないのかと責めるが、アナの決意は変わらず、それでも親元で暮らし続けている。アナが選んだ弁護士も、勝訴率91%を謳うテレビCMを見たことが理由だが、アメリカの弁護士は派手に広告宣伝も行うようだ。
難病の家族がいることは辛いもの。アナの一家フィッツジェラルド家は全てケイトを中心の生活であり、母は娘の治療に専念するため、弁護士を辞めた。長男ジェシーは難読症で当然学校の成績は悪く治療が必要な状態でも、常にケイトの治療が優先される。不治の病に侵されながらもケイトは賢く優しい少女に育ち、家族の前では明るく振舞っていたが、自分の存在が家族に犠牲を強いているのは既に知っていた。そして、治療の甲斐もないことにも気付いていた。
入院先の病院で、ケイトはテイラーという少年と知り合う。彼もまた癌を患い、放射能治療のためケイトと同じく頭髪は失われていた。アメリカの病院では若い癌患者のため、ダンスパーティーの催しがあるらしく、かつらを被りおしゃれをしてテイラーとパーティーに出るケイト。パーティーの途中抜け出し、2人きりになった彼らは結ばれる。しかし、テイラーは間もなく病死、つかの間の恋はケイトを絶望させ、生きる気力を失わせた。
実はアナが両親を訴えたのは、ケイトの頼みからだった。姉はこれ以上の治療を望まず、臓器移植を受けても助かる可能性もないことを知っていた。母サラだけが移植に望みを託しており、既に医者や夫の声にも耳を傾けられない有様。裁判経過から臓器移植が困難になっても、諦めがつかなかった。
裁判からドナーとなったアナの辛さが語られる。輸血や骨髄移植には苦痛が伴い、まだ6歳の頃から注射で採血を強いられてきたのだった。そう仕向けたのは母であり、腎臓1つを摘出した者は、その後決して無理な生活は出来ず、激しい運動など論外。やはり臓器を失うのだから、健康も損なわれるのだ。言われてみれば納得するが、果たして臓器を提供したドナーの生活の実態を紹介したドキュメンタリーなどあっただろうか?移植を受け、健康を取り戻した等のTV特集は見たことがあるが。
手術を体験された方ならご存知だろうが、全身麻酔のため背骨に打つ注射の痛みはかなりなものである。大人でも苦痛を感じるのだから、まして子供なら耐え難いだろう。
「何故アメリカで臓器移植が盛んに行われるか?」というブログ記事があり、題名どおりアメリカの臓器移植を扱った内容である。この中で私が特に関心を引いた一文は「アメリカでは健康体でもボランティア精神で臓器を提供し、他人を救う人々が多いという…」だった。ブログ管理人・藤山杜人氏は自分でも認めているが、典型的な“出羽の守”であり、欧米の諸々の事柄を持ち出し、それに対し日本は…などの記事も見られる。「日米の文化はこのように大きな違いがある。どちらが良い文化であろうか?」の問いかけも、欧米礼賛の見え透いた印象誘導が鼻をつく。
だが、健康体でも臓器提供する者はボランティア精神などではなく、実はカネが目的なのは渡米体験ゼロの私さえ想像がつく。アメリカで臓器移植が盛んに行われる真の理由は、日本とは比較にならぬほど凄まじい格差社会ゆえなのだ。健康な金持ちでもボランティア精神で臓器提供する奇特な人もいるだろうが、そのような人は稀である。臓器提供の実態は、カネと引き換えに健康を害するドナーと金銭面で恵まれた者、医療ビジネス業界の三角関係で成立しているのだ。私なら健康を損なってまで、家族以外に臓器提供をする気は全くない。本当に一日も早い人工臓器の開発が望まれる。
臓器提供を呼びかけている連中こそ、己自身若しくは家族はドナー登録しているか、またはその体験があるのか、極めて疑問だと私は見ている。藤山氏は友人に誘われてもボランティア活動をしなかった人物なので、当人のボランティア精神は薄いようだ。アメリカ人の奉仕精神を讃えながら、それを実践せぬ人物の主張なら欺瞞そのもの。世の中には他人に寄付を呼びかけても己の懐からは出さない者も少なくないが、その類はしみったれた偽善者に過ぎない。
◆関連記事:「臓器移植」
「代理母-奉仕の精神?」
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風の噂で助かったと聞いていましたが、父親の経営する店には「皆さんの善意のおかげで娘は助かりました」とのメッセージは無く、ただドイツ医学が優秀で、日本医学が劣っている、それだけを延々と聞かされて・・その日のコーヒーがほろ苦かったと記憶しています。
人間の生命を、人間が操作することは、神への冒涜ではなかろうか?
信仰心の薄い私が言うのは変ですね。
助かる命の反対側の命を思うと、複雑な気持ちになります。
>アメリカでは健康体でもボランティア精神で臓器を提供し、他人を救う人々が多いという
まさか・・・心臓はむりでしょ?
ドイツで心臓移植を受けた少女の件は初耳ですが、少女の父親の発言は不快極まりなく、心臓に悪い(笑)。その父親もまたドイツの優秀なドナーと違い、劣った経営者でしょ?そんな父を持つ少女が、この先どう育っていくのか、考えただけでも怖いですね。信仰心の薄い私でも、生命を操作する人間の傲慢さは底が知れないと感じさせられました。
移植で助かった者のプラス面ばかり報道、ドナー側の実態を黙殺するメディアも不愉快ですが、メディア自体ビジネスなので、不都合な事実は無視するのでしょうね。アメリカの臓器移植を讃える者も、何かお零れを頂いているのかも。かなり羽振りのよい生活をしているのがブログからも分りましたから。