トーキング・マイノリティ

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トルコ狂乱 その⑥

2009-10-21 21:18:21 | 読書/小説
その①その②その③その④その⑤の続き
 イスタンブル大学文学部の学生は集会を開き、「独立の意思と民族意識を持たぬばかりか、それに反する」5人の教授が大学を辞職せぬ限り、授業をボイコットするとの決議を行う。騒動は瞬く間に飛び火、法学部、理学部、医学部、文官エリート養成校、さらにその他全ての高等専門学校に広がる。学長は大学を一時的に閉鎖、まもなく学生たちの運動が実り、槍玉に挙げられた教授たちは辞職に追い込まれた。これはトルコ初の“大学紛争”だったが、翻って我国の戦後の学生運動はどうだろう?総じて大人しい日本の若者とトルコの違いもあるが、第一次大戦当時のトルコ同様大学にいけるのは恵まれたエリート層のみであり、世間知らずの子女たちは左翼の大人たちに煽られていたに過ぎない。

 著者はオスマン帝国末期の支配層をこう描写している。「オスマン朝行政官と政治家は骨の髄まで奴隷根性に侵食されており、西欧の“要求”を“命令”と信じ込むのだった。その西欧コンプレックスはあまりにも骨肉化しているため、完全に消えたかに見えた時代にもすぐに再発するのである」(663頁)
 皇帝メフメト6世もその精神に犯されており、アンカラ政府軍がギリシャ軍を掃討した1922年の前半、イギリス情報局勤務のアームストロング大尉当てに次のようなメッセージを送っていた。「ムスタファ・ケマルとその一味はイギリス人の敵である。だが朕はイギリス人の友人だ。あなた方が欲するものは何もかも与えてもよいと思っている。カリフたるもの、常しえにあなた方の見方であり続ける…

 1922年9月18日、ついにトルコの反撃によりギリシャ軍は敗走、苦難の救国戦争は終わりを告げる。皇帝の御用新聞社は民衆に焼討ちされ、記者達はリンチで殺害された。あのアリ・ケマルもその1人で、同年11月、イズミットで民衆の私刑により死んだ。皇帝派で国民闘争に対する妨害やスパイ行為をしていた者は、トルコの勝利を期に国外逃亡する。トルコ政府はこれら売国奴150人分の国籍を抹消した。この中にはシャイフ・アル=イスラーム(宗教的最高権威)、法務大臣、ルザ・テヴフィック等も含まれていた。この150人は1938年に恩赦される。

 著者のあとがきで、私が気になった箇所を抜粋したい。
-一部の亡命者は恨みを抱き、背信有為を続けた。共和国に対して対抗勢力や戦線を組織し、新聞を発行し、嘘と中傷だらけの本を出版した。トルコに残った者たちは地下に潜入し、沈黙しながら機を窺っていた。彼らは共和国政を切り崩す前提条件は、アタテュルク(トルコ人の父の意。ムスタファ・ケマルに送られた称号)に対する敬愛を失わせ、国民闘争をこき下ろし、過小評価し、否定することであると考えた。
 そのためアタテュルクと国民闘争に関して一部始終が出鱈目の誹謗中傷に満ち、誤解を与えるような形で歪曲した、無知かつ無神経な記事や書籍が出版された。若者達の耳にこの手の嘘と中傷を囁き、歪曲した話を真実であると信じ込むように仕向けたのである。かくて今日トルコの若者は相反する2種類の歴史を信じている…

 著者トゥルグット・オザクマン氏は1930年アンカラ生まれ。'52年アンカラ大学法学部を卒業後、暫らく弁護士として働き、ドイツ・ケルン大学の演劇部に留学。トルコ国立劇場にて文芸委員会報道官となる。その後、トルコ公共放送番組編成局長、副総裁を経て、国立劇場首席副館長となり、4年間国立劇場館長も務めたそうだ。他にもラジオテレビ高等協議会メンバー、副議長、劇作教育の講師もしたという。'98年、業績が評価され、アンカラ大学名誉博士号を授与された。
 翻訳者の鈴木麻矢氏は女性ゆえか生年は不明だが、NHK解説委員ブログ記事「アジアを読む「『トルコ狂乱』大ヒットの背景」に鈴木氏へのインタビューが載っている。

 トルコの勝利は世界中のイスラム諸国と植民地で祝われ、M.ガンディーも印象的な声明を寄せていた。
さあ、イギリス人よ!もう1度私を逮捕してみよ、だが捕らえても殺してもお終いにはならぬ。見よ、死んだと思われたトルコ人も、自らの葬式のために準備された棺桶に、逆に人殺しどもを押し込んだではないか?

 もちろん世界には何事も例外もあり、ロイド・ジョージを高く評価していた極東の国があった。同時代の思想家・河上肇(はじめ)はその著書「貧乏物語」で、このイギリス人を手放しで大絶賛、総じて当時の日本の知識人には受けがよかった。さすがに現代では過大評価は概ね払拭されたが、このことからもある一面だけを見る日本の知識人の状況認識の甘さは変わっていないことが知れる。この小説では「やけにイギリス的」という表現があり、鈴木氏は翻訳する時、「無粋さを意味する」との訳注をいれている。日本ではいい意味で使われる同じ表現だと、トルコ人が連想する否定的なニュアンスが伝わりにくいためだとか。

 河上肇のような思想家は戦前の“出羽の守”であり、この類は戦前も少なくなかったのだ。ネットでも同じタイプを見かけるが、海外生活不適応で出戻った負け犬が、その挫折の埋め合わせのため己の狭い見聞をもとに訓示を垂れるのこそ、日本社会でもっとも恥ずべき風潮と私は思っている。底の浅い知識人が大手を振ってまかり通る日本の社会の現状にはもう、たくさんだあぁ!

◆関連記事:「ケマル・パシャ-灰色の狼と呼ばれた男
 「英国のトルコバッシング
 「少数民族の虐殺者

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4 コメント

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『坂の上の雲』 (motton)
2009-10-27 00:33:16
『坂の上の雲』で最も印象に残っているのは、バルチック艦隊の発見を(琉球処分から間もない)沖縄の人々が命懸けで報告しようとするシーンです。
ああ、こうやって“国民”になっていくんだと思ったものです。

『トルコ狂乱』にもそういう“国民”が誕生するシーンが多数ありましたね。
この小説が書かれた背景からみても、著者の主題もそこにあるような気がします。
なので、現在トルコの主要な問題は外国ではないですし、ちょっと売国奴や英・希を攻撃する描写が多過ぎかとも思いました。(分かりやすく書いただけなのかもしれませんが。)
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Re:『坂の上の雲』 (mugi)
2009-10-27 22:36:24
>mottonさん

 トルコ人が“国民”になっていったのも、未曾有の国難があったからでした。対照的にアラブがそれに失敗したのも、トルコほどの受難がなかったかもしれません。アラブはその原因を常にトルコや欧米のせいにして溜飲を下げています。

 イギリス人作家フレデリック・フォーサイスの小説『第四の核』を見た時、売国奴に対する意見や表現がかなりきついと感じました。この小説の著者やフォーサイスの性格もあるのか、読者受けを狙って分りやすく書いたのか不明ですが、外国人作家は裏切者や敵を容赦せず描く傾向があるのかも。
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Unknown (牛蒡剣)
2019-06-20 23:01:42
>底の浅い知識人が大手を振ってまかり通る日本の社会の現状にはもう、たくさんだあぁ!

前回の大学での一コマの場面で他国のもう100年前のことでも、教授陣の発言に唖然とし怒りがわくレベル!
しかしトルコが比較的世俗化して近代国家に生まれ変われた一端が本稿で理解できた気がします。
イスラム教国が近代国家へ(現代ですら)上手く脱皮できないことが多いですが、イスラムの教えは
近代国家のメンタリテヴィと相性が悪いんですかねえ?
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2019-06-21 22:01:42
 大学のみならず、新聞に投稿する社会学者とやらも酷すぎます。1世紀前のトルコも現代日本も教授陣というのは支配者側に簡単になびく習性があるのは変わりない。保身と利権が第一なのが改めて判ります。

>>イスラムの教えは近代国家のメンタリテヴィと相性が悪いんですかねえ?

 トルコさえ大都市以外の地方では依然としてイスラム法や慣習がまかり通っているのだから、まして他のイスラム諸国は押して知るべしでしょう。近代国家という概念自体が政教一体に反するし、一部にせよイスラエルでも西欧式の民主主義体制ではなく政教一体を目指す宗教勢力があります(※ユダヤ教も原則は政教一体)。
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