
邦題も「ミルク」、タイトルは主人公の苗字だが、牛乳屋さんではなく、アメリカの政治家ハーヴィー・ミルクの伝記映画である。'77年、サンフランシスコ市の市会議員に当選しただけでなく、米国で自らゲイであることを初めて明らかにして当選した人物だった。ゲイの権利活動家としても有名だそうだ。
1972年、ニューヨーク。保険業界で働いていたミルクはある時街角で20歳年下のスコットと出会い、年の差にも関らず彼らは恋に落ちる。しかし、当時のアメリカ社会は同性愛者に保守的だった。2人は新天地を求めてサンフランシスコに移り住み、空き店舗を買いカメラ店を始める。店は繁盛しただけでなく、まもなく同性愛者やヒッピー達の溜まり場となっていく。ミルクのカメラ店に面した通りはやがてカストロ通りとして有名になる。だが、この通りのすぐ側はアイルランド系住民が多く、保守的なカトリックの一般市民と軋轢が生じてくる。警官がミルクの店や出入りする客を監視することもあった。
それでも、ミルクのカメラ店のようにゲイを受け入れた店は繁盛し、廃れたのは締め出した店の方だった。彼は界隈のリーダーとして頭角を現すようになり、近隣の事業主の代表にもなった。ゲイの権利獲得を目指し、ついにミルクは1973年と1975年、サンフランシスコ市議会に立候補するも、2回とも落選する。さらにスコットは政治活動に没頭する彼の元を去った。ただ、選挙の度に支持者を増やしており、少数民族や労働組合の幹部との連帯に成功したが、一般市民との結びつきはなかった。1976年、カリフォルニア州議会議員選挙にも立候補を表明したが、これも落選した。
1977年。ミルクは3度目の立候補でやっと市議に選ばれた。彼には新たな恋人が出来ていたが、多忙のためその恋人との時間も満足に割けない。元から同性愛者ゆえに精神面での不安を抱えた恋人は寂しさのあまり、自殺してしまう。
だが、恋人の死を悲しんでいる暇もミルクにはなかった。保守派上院議員が制定を目指す「条例6」、つまり教職に就く同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする条例破棄運動に尽力する。この条例は一般市民からも広く支持を得ており、ミルクと支援者達は方々で条例破棄を呼びかけた。彼らの活動が実り、「条例6」はカリフォルニアで否決された。
ダン・ホワイトはミルクの同僚議員だったが、選挙時のすれ違いからミルクに根に持っていた。ホワイトは政治的挫折もあり、市庁舎でジョージ・マスコーニ市長を射殺、次に出会ったミルクも撃った。1978年11月27日、議員就任からわずか11個月でミルクは没する。まだ48歳だった。一年も経ない在職期間に、犬の糞の放置に罰金を科した条例や、市の同性愛者権利法案も後援したという。
ゲイであることを明らかにしたミルクは様々な嫌がらせや脅迫も受けており、己の暗殺を予期していたのか、死の前、半生とメッセージをテープに録音している。彼の支持者の多くは若者であり、彼らは今でも同性愛者の権利や様々な人権活動を続けているという。
ミルクはユダヤ人で、この映画でキリスト教保守主義者は彼の敵として描かれている。保守派キリスト教徒の有力議員には他宗教への侮辱発言をする者もおり、同性愛者を攻撃する。これに対しユーモア溢れる弁才で反論し、少数民族との連帯をするミルク。ただ、キリスト教はもちろんイスラム教、ユダヤ教も全て同性愛は認めない。ゲイでも少数民族の権利を守ると公約するミルクと手を組んだのだが、巧妙な選挙戦術でもある。
また、ミルクはゲイへの差別や偏見を打ち破るために、家族や周囲へのカミングアウトを呼びかけていた。これは行き過ぎではないかと私は思う。ニューヨーク時代の彼はゲイであることをひたすら隠しており、市議になった頃には既に両親は他界していた。
一般にアメリカはゲイが多く、彼らに寛容というイメージがある。しかし、それは大都市のみで、映画「ボーイズ・ドント・クライ」「ブロークバック・マウンテン」のように地方となればリンチも珍しくない。特にサンフランシスコはゲイが多いことで知られ、選挙戦で彼らの支持を無視できないそうだ。ある親米ブロガー氏はリベラルすぎるサンフランシスコは、他の州から呆れられていると書いていた。
wikiには監督ガス・ヴァン・サントもゲイと公表しているとある。ミルクを演じたショーン・ペンはアカデミー賞最優秀男優賞を受賞した。ちなみにショーン・ペンは反捕鯨団体シーシェパードの支援者のひとりである。
ミルクが集会で演説する際、会場に星条旗が掲げられており、ゲイのそれでも同じだったのは興味深い。日本で同性愛の権利を主張する活動家に、日の丸を肯定する者などいるだろうか?米国のゲイは自分達の権利や地位の平等を要求しても、国旗は否定しないのは実に羨ましいと感じた。
さらに大都会の市庁舎で市長ならびに市議が、同僚により射殺されるのには驚く。改めてアメリカは銃社会なのを認識させられた。ミルクを射殺したホワイトは裁判でわずか7年の禁固刑で済み、判決に怒った同性愛者たちがサンフランシスコで広範囲にわたる暴動を起こしているから、ゲイも荒っぽい。
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1972年、ニューヨーク。保険業界で働いていたミルクはある時街角で20歳年下のスコットと出会い、年の差にも関らず彼らは恋に落ちる。しかし、当時のアメリカ社会は同性愛者に保守的だった。2人は新天地を求めてサンフランシスコに移り住み、空き店舗を買いカメラ店を始める。店は繁盛しただけでなく、まもなく同性愛者やヒッピー達の溜まり場となっていく。ミルクのカメラ店に面した通りはやがてカストロ通りとして有名になる。だが、この通りのすぐ側はアイルランド系住民が多く、保守的なカトリックの一般市民と軋轢が生じてくる。警官がミルクの店や出入りする客を監視することもあった。
それでも、ミルクのカメラ店のようにゲイを受け入れた店は繁盛し、廃れたのは締め出した店の方だった。彼は界隈のリーダーとして頭角を現すようになり、近隣の事業主の代表にもなった。ゲイの権利獲得を目指し、ついにミルクは1973年と1975年、サンフランシスコ市議会に立候補するも、2回とも落選する。さらにスコットは政治活動に没頭する彼の元を去った。ただ、選挙の度に支持者を増やしており、少数民族や労働組合の幹部との連帯に成功したが、一般市民との結びつきはなかった。1976年、カリフォルニア州議会議員選挙にも立候補を表明したが、これも落選した。
1977年。ミルクは3度目の立候補でやっと市議に選ばれた。彼には新たな恋人が出来ていたが、多忙のためその恋人との時間も満足に割けない。元から同性愛者ゆえに精神面での不安を抱えた恋人は寂しさのあまり、自殺してしまう。
だが、恋人の死を悲しんでいる暇もミルクにはなかった。保守派上院議員が制定を目指す「条例6」、つまり教職に就く同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする条例破棄運動に尽力する。この条例は一般市民からも広く支持を得ており、ミルクと支援者達は方々で条例破棄を呼びかけた。彼らの活動が実り、「条例6」はカリフォルニアで否決された。
ダン・ホワイトはミルクの同僚議員だったが、選挙時のすれ違いからミルクに根に持っていた。ホワイトは政治的挫折もあり、市庁舎でジョージ・マスコーニ市長を射殺、次に出会ったミルクも撃った。1978年11月27日、議員就任からわずか11個月でミルクは没する。まだ48歳だった。一年も経ない在職期間に、犬の糞の放置に罰金を科した条例や、市の同性愛者権利法案も後援したという。
ゲイであることを明らかにしたミルクは様々な嫌がらせや脅迫も受けており、己の暗殺を予期していたのか、死の前、半生とメッセージをテープに録音している。彼の支持者の多くは若者であり、彼らは今でも同性愛者の権利や様々な人権活動を続けているという。
ミルクはユダヤ人で、この映画でキリスト教保守主義者は彼の敵として描かれている。保守派キリスト教徒の有力議員には他宗教への侮辱発言をする者もおり、同性愛者を攻撃する。これに対しユーモア溢れる弁才で反論し、少数民族との連帯をするミルク。ただ、キリスト教はもちろんイスラム教、ユダヤ教も全て同性愛は認めない。ゲイでも少数民族の権利を守ると公約するミルクと手を組んだのだが、巧妙な選挙戦術でもある。
また、ミルクはゲイへの差別や偏見を打ち破るために、家族や周囲へのカミングアウトを呼びかけていた。これは行き過ぎではないかと私は思う。ニューヨーク時代の彼はゲイであることをひたすら隠しており、市議になった頃には既に両親は他界していた。
一般にアメリカはゲイが多く、彼らに寛容というイメージがある。しかし、それは大都市のみで、映画「ボーイズ・ドント・クライ」「ブロークバック・マウンテン」のように地方となればリンチも珍しくない。特にサンフランシスコはゲイが多いことで知られ、選挙戦で彼らの支持を無視できないそうだ。ある親米ブロガー氏はリベラルすぎるサンフランシスコは、他の州から呆れられていると書いていた。
wikiには監督ガス・ヴァン・サントもゲイと公表しているとある。ミルクを演じたショーン・ペンはアカデミー賞最優秀男優賞を受賞した。ちなみにショーン・ペンは反捕鯨団体シーシェパードの支援者のひとりである。
ミルクが集会で演説する際、会場に星条旗が掲げられており、ゲイのそれでも同じだったのは興味深い。日本で同性愛の権利を主張する活動家に、日の丸を肯定する者などいるだろうか?米国のゲイは自分達の権利や地位の平等を要求しても、国旗は否定しないのは実に羨ましいと感じた。
さらに大都会の市庁舎で市長ならびに市議が、同僚により射殺されるのには驚く。改めてアメリカは銃社会なのを認識させられた。ミルクを射殺したホワイトは裁判でわずか7年の禁固刑で済み、判決に怒った同性愛者たちがサンフランシスコで広範囲にわたる暴動を起こしているから、ゲイも荒っぽい。
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マスコミ御用文化人の勝谷誠彦氏なら、ゲイを認めざるを得ない。ただし、日の丸を肯定する無名者でゲイの存在を認める人もいると思いますよ。逆にアメリカで国旗を否定するゲイを認める人がいたとしても、極めて稀でしょう。
実際にミルクは頭が切れるから、カストロ通りで頭角を現した。そしてマジョリティに支持基盤を置いたジェリー・ファルウェルは、さらに勢力を確かにした。ある英国人作家の言葉を借りれば、TV伝道師とは「救いを餌に騙されやすい愚か者」からカネを巻き上げる達人です。
日の丸を肯定する者にもゲイを認める人はいるのか
日の丸を否定する人にもゲイを認める人はいるのだろうか
と考えると前者は勝谷誠彦氏くらいしか思い浮かびませんが、後者はある程度存在しているのではないかと推測されます。
マイノリティの連帯により支持基盤を強化したミルクは頭が良い。
ジェリー・ファルウェルと同じく天才なんでしょう