トーキング・マイノリティ

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仙台における隣組 その②

2007-11-15 21:26:38 | 仙台/宮城
その①の続き
 今も昔も近所付合いの難しさは変わらない。全国規模で隣組が作られても、揉め事の処理は実務を担当する市町村に任された。当時の仙台市長・渋谷徳三郎は市広報を通じて呼びかける。
「ご近所といっても住民の職業、教育程度、貧富の程度は異なり、富める者は貧しき者を軽蔑し、官職身分の高き者、学術技能に優れた者は他人と親和せず、軽視することが往々にしてある。だが一億一心、未曾有の国難を打破し、東亜新秩序建設のためには運命的必然と悟って協力してほしい」。

 公会(隣組)が発足しても、人が集まれば諸々の意見要望、不平不満が出てくる。市広報にはそれが詳細に掲載されてあり、戦時中は憲兵の目が光り物言えぬ時代と思われがちだが、広報には市民の本音が語られている。
 東北帝大(現東北大)法文学部五十嵐豊次教授は「公会設立を急いだためか役員の顔ぶれは必ずしも適格者だけではない」と厳しい意見を開陳、田町(現青葉区五橋)の佐々木さんは「公会長に選ばれようと思い、陰に回って策動した者がいる」と告発。他の証言も興味深い。

隣組の会合に出かけてもあの奥さん、年齢は幾つぐらいかしら』『あの人、誰それの妾だよ』『あの家ではよほど財産があるのねといったひそひそ話が聞こえてくる
隣組では組員の家庭に不幸があると各戸が香典を出すことに決めている。我家は他所から引っ越して来たばかりで見知らぬ家なのに、何故出さねばならぬのか
防空演習の時、表通りに女の人たちが腰掛けていた。家を空っぽに何故こうしているのか聞くと何処そこの奥さんは出ないと近所から陰口を言われるのがイヤだからだと言う。当番を決めて代わり番こに警戒すればいいのに」…

 広報を見る限り戦時下で言論統制されていても、人の口に戸は立てられない世情が伺える。人が噂好きなのは今も昔も変わりない。外国人が珍しい戦前ゆえ、「近所にいる外国人は隣組に入れてもいいか」という質問もあり、市の回答はこうだった。
「我国は東亜共栄圏確保を防げる自由主義的国家群に反省を求めている。その使命を理解する人ならば、大和魂、武士道を知らせるためにも出席は結構だろう」。
 
 とんとん とんからりと隣組の歌に誘発されたのか、翌16年4月、「仙台市隣組行進曲」が作られた。募集したのは大政翼賛会仙台支部、仙台市と河北新報社だった。全国から519編も作品が寄せられ、審査の結果、宮城県第一高等女学校(現宮一女高)の音楽教師、古宇田(現小泉)明子さんが当選、審査員で市音楽担当視学の海鉾さんが作曲、4月25日には市公会堂で早くも発表音楽会が開かれる。

仙台市隣組行進曲
1.青葉城下の街々に 銃後を守る手を組んで 助け合いましょう 助けましょう 親和の誓い和やかに 行くよ我らの隣組
2.藩祖公より享け継いだ 光る遺風を皆汲んで 励み合いましょう 励みましょう 奉仕の意気も朗らかに 行くよ我らの隣組
3.森の都に溌剌と 守る職場の地を固め 尽くし合いましょう 尽くしましょう 翼賛の声高らかに 行くよ我らの隣組
4.揃う足並み勇ましく 大仙台の発展を 歌い合いましょう 歌いましょう 交わす笑顔も晴れやかに 行くよ我らの隣組


 同年6月に日本コロムビアからレコードも発売された。映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」で一世を風靡した霧島昇、松島操夫妻に高橋祐子が歌っている。隣組行進曲は市民の間で広がりを見せ、町内の運動会で歌われたり、立町国民学校ではダンスに振り付け、運動会で披露した。地方で作られた珍しい時局の歌でもあるが、仙台という地方都市の色を盛り込んだ特色がある。
 この作詞者の小泉明子さんは東京・世田谷で90歳の現代も健在である。インタビューによれば、歌の募集を知り、週末の晩に一気に書き上げて送ったと言う。随分昔のことなので内容はすっかり忘れてしまい、同じ年の3月に結婚、教師を辞めて夫の勤務先・九州に転居したので発表会にも行けず、レコードが作られていたことも知らなかったそうだ。
その③に続く

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