作家・塩野七生氏のエッセイ『男たちへ』の28章名は、「インテリ男はなぜセクシーでないか」とある。インテリ女性である塩野氏は色気のある方だと思われるが、この章では日本のメディアでもてはやされるインテリ男たちを痛烈に皮肉っている。エッセイの一部を抜粋したい。
-彼らは雑誌新聞に書きまくり、TVや雑誌の対談でしゃべりまくり、また昨今とみに盛んになっている各種のシンポジウムでしゃべりまくっているのだから、いったい全体何を考えているのか分からない、という人の方がおかしいのが普通なのだが、実際はワカラナイのである。それはこの種の男たちは、いかに書きまくろうがしゃべりまくろうが、自分自身の考えていることを述べるよりも、「解説」することの方に熱心だからであろう。この種の男たちの一人の口癖は、学問的に言えば、という一句だった。それでいて、言うこととなると、非学問的なことを一見学問的に整理して述べるだけなのである。
世の中の種々相は全部とは言わないがその大半は、ツマラナイ現象であることが多い。例えば漫画を描く人もそれを読む人も、私からすれば彼らの勝手だと思う。だから、彼らの行為を非難もしないし、かといって賛美もしない。私自身は漫画が嫌いだが。
つまり、これは趣味の問題で、好きか嫌いかしかないと思うのだ。だから、こういう現象を、いかにももっともらしい存在理由を探し出して「解説」した論文を読むと、ゾッとするのである。漫画を描く人も読む人もそれは彼らの勝手だから認めるが、その「解説」を書く人は嫌いだ。これらの現象を知的な視点で整理して非知的な大衆に提供することこそ、知識人の使命である、と言われているようで、反発心がむらむらと湧き上がってくるからだろう。そんなお節介はやめて、自分の勉強でも少しはちゃんとしたらどうですか、と言いたくなってくる。
解説屋の興隆こそ、昨今の日本の非知的現象の最たるものである、とさえ思っているくらいだ。解説屋の仕事は、その何処を斬っても、赤い血は出ない…インテリ男がセクシーでないのは、補強する程度の働きしか持たないのに、最高の価値を書く生き方をしているからである。馬鹿馬鹿しいことを、馬鹿馬鹿しいとはっきり述べる、自然さを持たないからである。それどころか、いかにももっともらしい理屈をつけることに、全力を集中しているからなのだ…
このエッセイは'80年代半ばに書かれた作品だが、それから20年経た現代、日本でインテリ女もTVや雑誌の対談でしゃべりまくり、各種のシンポジウムで捲くし立てるようになった。男女平等だし、女性のゲストは映像的に男より映えるから、ひっぱりだことなるのだろう。メディアに出て解説をするのは全く問題ないが、ならばプロらしく聞く者を感心させる解説をするかと思いきや、何を考えているのか分からないインテリ女も珍しくない。
特に滑稽と思うのが、結婚歴も子供もない独身インテリ女が家庭の問題に言及すること。独り者ゆえ気楽なこともあるのか、マスコミに盛んに出まくる彼女たちには、人のことより自分自身の人生を見据えた方がよい、と言いたくなる。少し前、NHKは最近の王子様ブームについて取り上げていたが、解説していたのが精神科医の香山リカ氏。私は昨年9月の記事「たまたまこの国に生まれて」でも香山氏に触れたが、日本で最も医務室よりメディアの仕事が多忙な医師だろう。河北新報でもお気に入りの文化人でもあり、コラムが時々載る。
王子様ブームも香山氏のような人物だと、社会の諸々のストレスでうつ状態になった女性の癒しと愚にもつかない分析となる。職業柄、何でもうつに結び付けたがるのこそ、聞く方がうつになる。何のことはない、つまらぬ同性の顔を見るより、美しい異性を見ている方が気分がいいからに過ぎない。ストレスのない時代などありえないのに、一見精神分析的に述べている解説屋。塩野氏が酷評したセクシーでないインテリ男の女性版といったところか。
スティーブン・キングは作家らしく、TVについて以下のような感想を書いており、これには同感する。もったいぶった解説屋のご高説は耳障りと思うこの頃だから。
-本を読むには時間がいる。ガラスのおしゃぶりは時間をとり過ぎる。束の間のTV飢餓から抜け出すと、読書の歓びを実感するようになる。際限もなくしゃべりまくる四角い箱の電源を切れば人生は充実し、同時に、文章の質も高まることは請合いである。
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-彼らは雑誌新聞に書きまくり、TVや雑誌の対談でしゃべりまくり、また昨今とみに盛んになっている各種のシンポジウムでしゃべりまくっているのだから、いったい全体何を考えているのか分からない、という人の方がおかしいのが普通なのだが、実際はワカラナイのである。それはこの種の男たちは、いかに書きまくろうがしゃべりまくろうが、自分自身の考えていることを述べるよりも、「解説」することの方に熱心だからであろう。この種の男たちの一人の口癖は、学問的に言えば、という一句だった。それでいて、言うこととなると、非学問的なことを一見学問的に整理して述べるだけなのである。
世の中の種々相は全部とは言わないがその大半は、ツマラナイ現象であることが多い。例えば漫画を描く人もそれを読む人も、私からすれば彼らの勝手だと思う。だから、彼らの行為を非難もしないし、かといって賛美もしない。私自身は漫画が嫌いだが。
つまり、これは趣味の問題で、好きか嫌いかしかないと思うのだ。だから、こういう現象を、いかにももっともらしい存在理由を探し出して「解説」した論文を読むと、ゾッとするのである。漫画を描く人も読む人もそれは彼らの勝手だから認めるが、その「解説」を書く人は嫌いだ。これらの現象を知的な視点で整理して非知的な大衆に提供することこそ、知識人の使命である、と言われているようで、反発心がむらむらと湧き上がってくるからだろう。そんなお節介はやめて、自分の勉強でも少しはちゃんとしたらどうですか、と言いたくなってくる。
解説屋の興隆こそ、昨今の日本の非知的現象の最たるものである、とさえ思っているくらいだ。解説屋の仕事は、その何処を斬っても、赤い血は出ない…インテリ男がセクシーでないのは、補強する程度の働きしか持たないのに、最高の価値を書く生き方をしているからである。馬鹿馬鹿しいことを、馬鹿馬鹿しいとはっきり述べる、自然さを持たないからである。それどころか、いかにももっともらしい理屈をつけることに、全力を集中しているからなのだ…
このエッセイは'80年代半ばに書かれた作品だが、それから20年経た現代、日本でインテリ女もTVや雑誌の対談でしゃべりまくり、各種のシンポジウムで捲くし立てるようになった。男女平等だし、女性のゲストは映像的に男より映えるから、ひっぱりだことなるのだろう。メディアに出て解説をするのは全く問題ないが、ならばプロらしく聞く者を感心させる解説をするかと思いきや、何を考えているのか分からないインテリ女も珍しくない。
特に滑稽と思うのが、結婚歴も子供もない独身インテリ女が家庭の問題に言及すること。独り者ゆえ気楽なこともあるのか、マスコミに盛んに出まくる彼女たちには、人のことより自分自身の人生を見据えた方がよい、と言いたくなる。少し前、NHKは最近の王子様ブームについて取り上げていたが、解説していたのが精神科医の香山リカ氏。私は昨年9月の記事「たまたまこの国に生まれて」でも香山氏に触れたが、日本で最も医務室よりメディアの仕事が多忙な医師だろう。河北新報でもお気に入りの文化人でもあり、コラムが時々載る。
王子様ブームも香山氏のような人物だと、社会の諸々のストレスでうつ状態になった女性の癒しと愚にもつかない分析となる。職業柄、何でもうつに結び付けたがるのこそ、聞く方がうつになる。何のことはない、つまらぬ同性の顔を見るより、美しい異性を見ている方が気分がいいからに過ぎない。ストレスのない時代などありえないのに、一見精神分析的に述べている解説屋。塩野氏が酷評したセクシーでないインテリ男の女性版といったところか。
スティーブン・キングは作家らしく、TVについて以下のような感想を書いており、これには同感する。もったいぶった解説屋のご高説は耳障りと思うこの頃だから。
-本を読むには時間がいる。ガラスのおしゃぶりは時間をとり過ぎる。束の間のTV飢餓から抜け出すと、読書の歓びを実感するようになる。際限もなくしゃべりまくる四角い箱の電源を切れば人生は充実し、同時に、文章の質も高まることは請合いである。
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マスコミにちやほやされカッコつけたくなる御仁が多すぎるのでしょうかね。後で見たら恥ずかしいはずなんだが、まあ、タイクツテレビでの発言なんか泡のようなもので...
じつは、塩野さんのこの本、手もとにあったのですが十数年ツンドク(それとも、読み飛ばし?)、MUGIさんのを見て引っ張り出し、丹波哲郎さんが和田勉、向田邦子さんとした対談の話など読んで感心。「役者が一枚上手」なんてこういうことか!?何かをきっちりやっっている人が言葉少なでも言うことには、やはり本物でホントにためになるものあるなあと...もっと早く読んでおけば、フツウでない男の違う人生になってたかなあ
少し前の河北新報に、「経済学を学ぶのは、経済学者に騙されないため」という外国の諺が載ってました。全く同感。真の経済通なら、今頃はビル・ゲイツのような大金持になっている。評論家は結局他人の作品に寄生しなければ、成り立たない職業だから。
塩野さんも香山サンもフツウではない女ですが、本物とニセモノの文化人の差が見事にありますね。一応精神科医の後者の精神分析、誰かにやってほしいものです。昭和一桁生まれの私の母など、「この人、頭がおかしいんじゃないの」の一言で片付けてましたが。
過去エントリーを含めて、今後楽しみに拝見させて頂きます。
Mugi様、今後とも更新宜しくお願いします。
子供の問題を論評するなら、最低限人の親になっている人物が望ましいですね。いかに心理学を学んでも、実体験のある者には敵わない。
もしかすると、見据える価値もない人生なので、他人の生き様を論評したがるのかも。
>いとまさ様
初めまして。拙ブログを読まれて頂いて、ありがとうございました。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。