その一の続き
サッチャー英首相がフェミニズムを非難していたことを知ったのも、アミさんからのコメントだった。その一部を引用する。
「マーガレットサッチャーは、「伝統的な家族こそ国家の原動力」「フェミニズムは毒だから嫌い」と発言したとのことですが、国家を思想的な侵略から防衛する為に、伝統の力を見直してもよいと思います……」(2021-02-27 23:53)
試しに「サッチャー フェミニスト嫌い」で検索したら、「サッチャーはなぜフェミニストを嫌ったか」というコラムがヒットした。執筆者は 信夫梨花(しのぶりか)氏、コラムには次の一文がある。
―2011年、サッチャーは彼女のアドバイザーだったポール・ジョンソンにこう言ったという。
「私はウーマン・リブに借りはない。フェミニストは私を嫌ってるでしょ?無理ないわ。だって私はフェミニズムが嫌いだもの。あれは毒よ」。
コラムにはサッチャーの詳しい政治家としての歩みが描かれており、生前中から彼女はフェミニストに限らず様々な方面から批判があったが、コラムは以下の文章で結ばれている。
―文句を言っているだけでは何も達成できない。サッチャーが言いたかったのは、フェミニズムに限らず、権利ばかり主張して自分の力で得る努力をしないなら、それは毒だ、ということになるのだろう。サッチャーが11年間、首相を務めたということが奇跡であり、彼女が女性のために成し遂げた最大の功績だと理解すべきだと思う。
「フェミニズム桃太郎」は、「福岡市女性翼の会」による「おばあさんは山へ柴刈りに」という劇の台本を全文紹介しており、女の私が見ても、これほど現代感覚で語られた全編ご都合主義のストーリーも珍しいと思った。フェミニズム劇の台本とは三文小説にも達しないレベルだったとは。
「私は洗濯するために生まれてきたのではございません」と反抗するおばあさんだが、それを言えばおじいさんもしば刈りをするために生まれてきたのではない。
特に「小枝を払ったり枯れ枝を拾ったりするしば刈りという仕事」の箇所だけで、しば刈りへの無知を晒している。「「柴刈り」と「芝刈り」の違い・柴刈りの道具・時期|桃太郎」という記事には、おじいさんが「柴刈り」していた背景の解説がある。柴刈りは木材を伐採したり拾い集めたりする作業で、伐採機もなかった昔は大変な重労働だったことが伺える。
他にもツッコミどころ満載の内容だが、「毎日毎日、たたかいばかり。おれはもうこんな生活はいやになってきた」という男鬼のセリフが一番下らなかった。それを言うならもはや鬼ではない。略奪を生活手段の一つとしていた遊牧民が活躍していたのは、それほど遠い昔ではなかった。
脚本を見た男性からコメントを頂いたが、「結局男性側が能力的に相当劣っていないと成立しない、と言う時点で、かなり無理がある内容ですね」という一文で括られている。
こんな無理に無理を重ねた脚本や劇の企画者・山下泰子氏は法学者でもあるが、高等教育を受けてもあの程度の脚本しか書けないのか?まさにサッチャーのいう通り、フェミニズムは毒だった。
昔話だけでなく、今は学校行事の呼びかけにもクレームをつける輩が出る始末。「「女性はおしるこ作り、男性は力仕事」で参加呼びかけ 保護者抗議で学校側訂正」(2021年04月04日)というニュース記事がある。
保護者だった横山陸(37)なる中央大准教授(倫理学)は、「男女で分けないような文章にすべきだった」と問題視。「なぜ力仕事が得意な母親がやぐらを組み、料理好きな父親がお汁粉を作ってはいけないのか」と抗議したという。但し横山は男だが、この主張は言いがかりとしか見えない。倫理的におかしいのは横山の方だ。
欧米にもおかしなフェミニストがいる。米国の哲学者でフェミニストとして知られるジュディス・バトラーは、2006年の講演会で、「ハマスやヒズボラを進歩的で左翼的な社会運動にしてグローバルな左翼の一部であると理解することは重要である」と明言したことが、『イスラム教再考』(飯山陽 著、扶桑社新書370)に載っている。
宗教における女性抑圧や少数民族迫害を批判するどころか、イスラム主義者と連帯するのがリベラル知識人やフェミニストなのだ。実態は屁理屈でも、理論武装したミサンドリー(男性憎悪)が学界に蔓延るのは恐ろしい。
◆関連記事:「フェミニズムにみる階級制」
「男尊女卑が滲み出ている…」
ハマスやヒズボラを進歩的で左翼的な社会運動とほざいたバトラーが、「哲学者」扱いされているのは唖然とさせられます。しかも名門カリフォルニア大学バークレー校教授。米国の学界もアカ教授が大半にせよ、これはひどすぎる。名誉殺人についてコメントをお願いしたい、と突っ込んでもガン無視でしょう。曲学阿世の輩とはこの手合い。
サッチャーの「男は私しかいないのか!」発言は知っていました。さすが鉄の女に相応しい。このような女性政治家が日本に現れないのはとても残念。
1990年代半ばはWindows95が出たばかりだったし、それまではパソコン通信が主流だったはず。尤も私はパソコン通信をしたことはありません。
それにしても、異業種サークルに参加されていたとは羨ましい。私の周囲にはそのようなサークルはありませんでした。或いは知らなかっただけかもしれませんが、仙台のような地方都市では異業種交流会自体が少ないのです。
私が社会人となった1980年代半ば、まだセクハラという言葉もありませんでした。職場で男性は女性におさわり放題、男女差別もさほど不当と思われていなかった時代です。
現代とは隔世の感がありますが、その頃は非正規雇用というのもほとんど聞きませんでした。正職員が普通だったし、雇用ではむしろ後退したように感じます。
ナイチンゲールの時代からフェミニストがいたことは初めて知りました。↓のセリフは現代にも通じます。
「だというのに!あの連中は!!自分が努力すること無く、やいのやいのと騒ぐばかりで!!
「それに何より、彼女たちの言ってることは結局、男の真似をする女を作るだけです」
考古学者にして探検家、情報員であり、女性版アラビアのロレンスというべきガートルード・ベルという英国女性も女性参政権に反対していました。彼女のことは以前記事にしています。
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/deaed7ca4b5d4cee936a1ae59dd33839
日本は今のところは桃太郎に噛みつく程度ですが、将来は性差別の他、「人種差別の偏見を含む」「有害」として児童図書館から書籍が撤去されるかもしれません。
ナチスの正式名は国家社会主義ドイツ労働者党だし、初期は社会主義運動でした。意外に知られていませんが、ムッソリーニも若い頃はイタリア社会党で活躍しています。フェミニズムは共産主義の亜流だし、思想警察、思想統制は当然の帰結でしょう。
「性差別の偏見を含む」のであれば、聖書やコーランも全てアウトです。しかし宗教勢力は未だに手強いので、左翼活動家はおとぎ話を標的にしているのかもしれませんね。既存社会の破壊が連中の最終目標だから。
バカかアフォかと。とりあえず名誉殺人についてコメントをお願いしたいところw
サッチャーについて
閣僚の大半が反対していたフォークランドへの派兵を決めたとき「男は私しかいないのか!」いうくらいの方ですからねえw
発表会といっても、自分の業界の話でもいいし、mugiさんのブログのような内容でもいいし、趣味の紹介でもいいしで自由でしたよ。
紹介制だったので、ある程度信用のおける価値観が近い人々が集まっており、刺激にもなり楽しい集まりでした。(私が参加していたところはレベルが高くて、私は背伸びして付いていくのがやっと。)
恋愛を主目的にしている人はいなかったと思いますが、魅力的な異性がいるわけで、サークル内での結婚も(私のところを含め)何組か。
自立していない女性が参加することはないので、変なフェミニストは当然いませんでした。
1990年代ですからセクハラや不当な男女差別の話(愚痴)は聞きましたが、まずは自力で現実的な対応ができるような人々でした。
柴刈りなどしたことのない私でも、昔の柴刈りがいかに重労働だったかは想像がつきます。桃太郎のおとぎ話の時代背景は不明でも、人力しかない環境にあったことは歴女ならずとも判るはず。だから“無知”と書きました。仮にも高等教育を受けた女が、ここまで時代無視の脚本を書いたことに心底呆れます。
異業種サークルというものがあることは知りませんでした。そのサークルにフェミニストはいませんでしたよね?仕事もさして出来ず、女性としての魅力もない者が際立つのがフェミニストに感じます。
あと記事で取り上げたジュディス・バトラーがそうですが、フェミニスト主導者にはユダヤ系が多いのです。バトラーはアメリカによるアフガニスタンやイラク侵入やイスラエル政府を非難しています。それ自体は結構でも、中露の軍事侵攻はどうよ?と言いたい。
バトラーはレズビアンを公言していますが、「異性愛は人為的につくりだされたものだ」とも主張しているとか。
アスキーアートがお嫌でなければこちら・・・
ttps://rss.r401.net/yaruo/site_list/archive_list/14873
第十一回 『女性について』、にその事について言及されてます。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1905/15/news115.html
赤ずきんを読んで、女性差別だと思うこと自体は、思想の自由ですが、女性差別だと反対に思わない人だっているのです。そうした人達に、「赤ずきんちゃんは、女性差別だと思え」と思想を強要するのでしょうか?
児童書籍を調べて、女性差別であるか否か、有害無害を判定する様は、何だか全体主義国家の思想警察、思想統制を見ているようで、空恐ろしくなったのです。
フェミナチ、フェミナチズムと言う言葉がネット上に見られるようになりましたが、反差別、男女平等という「正義」を旗印に、とんでもない動きが活発化しているように思います。
人力しかない環境に叩き込んで、生物学的差異による分担をしないと生きていけないことを実感させるといいのですが。
そもそも専業農家だった祖母や伯母さんなどは両方やっていましたし。女性の筋力では不可能な力仕事はいくらでもあったわけで。
妻と出会った(再会した)異業種サークルには、自立していて男性以上に仕事が出来る上に女性としての魅力も兼ね備えている女性がたくさんいて、同世代ながら尊敬していました。