先週のNHK BSプレミアムの番組「ダークサイトミステリー」は鬼を取り上げていた。タイトルは「鬼 人はなぜ鬼になるのか?〜日本人の闇・1500年物語〜」(4月15日放送)。ゲストは小松和彦、田中貴子氏、以下はNHKオンデマンドHPでの紹介。
―日本人が常に恐れ続けた「鬼」の正体をさぐる決定版登場!それは「桃太郎」のイメージとは大違い。「え?これが?」と驚くほどユニークで不思議な鬼の姿。
天皇をただじっと見ている鬼?鬼のルーツは世界遺産に?有名な大江山の酒呑(しゅてん)童子は身長3mの子ども?人から鬼へ、愛と悲しみから生まれた鬼?鬼婆が使った包丁が実在?神様になった鬼がいる?さまざまな鬼を通して、古代から現代まで、日本人のこころに迫る。
私は今『鬼滅の刃』シリーズ単行本を見ている。先月の彼岸で親戚の家に行った時、従妹から借りてきたのだ。単行本全巻を買ったのは従妹ではなく彼女の夫だが、今では夫婦でハマっているようだ。従妹からこの漫画はとても面白いと勧められ、やっと17巻目を読み終えた。
「ダークサイトミステリー」の初めでも『鬼滅の刃』が取り上げられており、今、日本は空前の鬼ブームというナレーションが入る。
ただ鬼といえば、一般に赤鬼や青鬼を浮かべる日本人が大半だろう。豆まきで退散させられる程度の情けない怪物で、『鬼滅の刃』に登場する変化自在の技を駆使する恐ろしい人食い鬼とは正反対なのだ。
尤も「鬼」の定義も時代によって大きく異なり、古代日本では目に見えぬ悪霊や疫病の様な類を一括りにして「鬼」と呼んだという。このような概念は他国にもあり、中世イランの文学『ホスローとシーリーン』でも実際の敵対者のみならず、不幸などの現象も登場人物は“敵”と言っている。
日本で曖昧だった「鬼」の見解が大きく変わったのは平安時代以降。酒呑童子の物語も平安時代の設定だった。姿が身長3mの子どもというのはフィクション特有の誇張も考えられるが、酒呑童子の様々な地方伝説バージョンは興味深い。
愛と悲しみから生まれた鬼の正体は人間の女だった。不実な夫に対する嫉妬や恨みから鬼になった女は鬼女と呼ばれた。現代では既婚女性を指すネットスラングにもなっているが、昔は鬼になる他、女性は思いを遂げる方法はなかったというのが番組での説明。
いくら怨念の塊になっても実際に人間の額に角は生えないが、子供の頃に見た般若の面は本当に怖かった。最初般若の面を見た時は男鬼だと思ったが、女と父から聞かされ、さらに怖くなった。
「安達ヶ原(あだちがはら)の鬼婆」は知っていたし、鬼婆の由来も番組で放送していた。ただ、鬼婆が使ったされる包丁がホンモノかは極めて疑わしい。この種の“証拠品”は鑑定しないのが常だ。
鬼滅の刃には角のない鬼が登場するが、角をはやし、虎縞パンツ姿が鬼の定番スタイル。「そうだったのか!鬼のパンツが虎縞の理由とは」には定番スタイルになった理由が解説されている。「鬼の起源と発達」という記事にはさらに詳しい解説がある。
日本人は鬼を恐れつつ、その強大な力を敬い続けた。鬼退治後は神に格上げし、信仰するかたちは他国ではあまり見られないのではないか?竜退治した人物は英雄となるが、竜を祀ることは考えられないだろう。多神教世界のインドでも、羅刹(らせつ)王ラーヴァナは、少なくとも表向きには信仰されないと思う。
江戸時代以降、怪談の流行で鬼は恐れられる存在ではなくなっていく。実は芥川龍之介も桃太郎の創作をしていたことを「スポンジ頭」さんからのコメントで知り、青空文庫でも読める。
さすが文豪だけあり前回のフェミニスト桃太郎とは大違い、酒呑童子が女人を奪って行ったというのは、女人自身のいう所に過ぎないと言い切っている。芥川は女人自身のいう所をことごとく真実と認めることに疑問を持っている様子。ここでの鬼の母による人間批評は傑作だ。
「男でも女でも同じように、うそはいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
今の時代に鬼の存在を信じる日本人は皆無だろうが、心の奥底に深い闇を持つ人は珍しくなく、いつ鬼に豹変するか分からないのが人間という生き物なのだ。
鬼と言えば、伊勢物語では女が鬼に食い殺されます。でも、鬼の姿は誰も見ていません。まだ、伊勢物語が成立した頃は鬼の姿は確立していなかったのでしょう。
>豆まきで退散させられる程度の情けない怪物で
古事記だと桃を投げつけられて退散させられています。桃に霊力があると考えられていたからですが、ネットで見ると、穀物も霊力があると考えられていたそうです。鬼に対する「武器」として桃より手軽に使える豆になったのでしょうか。
>心の奥底に深い闇を持つ人は珍しくなく
鬼滅の刃を英訳する際、「鬼」を「Demon」としたそうです。でも、西洋の悪魔のような人を悪の道にそそのかす役目は持っていませんね。
DVDになるのを待って見ようとと思っていましたが、幸い従妹から借りられました。従妹はアニメと原作では殆ど変わりないと言っていましたが、私は単行本から読めて良かったと思います。
>>本編では銃の使用がありませんが、
指摘されて初めて気付きましたが、最後まで銃の使用がなかったのでしたか。西欧の吸血鬼なら銀の弾丸を込めた銃で退治されます。太陽を克服したら、吸血鬼も怖いものなしですね。
番組でも伊勢物語の話が紹介されていました。しかし、鬼が女を食い殺すのを主人公は見ていない。本当は男が殺し、鬼のせいにした?と疑りたくなります。
桃に霊力があると考えられたのは中国の影響でしょうね。そして穀物も霊力があると考えられていたとは知りませんでした。ならば取れる時期が限られる桃より豆の方が手軽です。豆まきは2月の風習となりましたが、大きな鬼が豆で退散させられるのはユーモラス。
「鬼」の英訳は「Devil」ではなく「Demon」になりましたか。元来日本の鬼は人を悪の道にそそのかす役目はありませんが、鬼滅の無惨は人を鬼にして悪の道に引き込みます。鬼たちは不幸な人間だったし、それを付け込まれました。
すいません。「「銃」と言えば「銃」」と言えるものが登場しました。ただ、基本的には剣戟のお話ですね。しかし、大正時代に刀を持ち歩いても捕まらなかったのか、産屋敷家の力で釈放させていたのか、と。
それにしても、まだ映画館で鬼滅の刃をやっていますが、あれほど映画館にとって儲かる作品は今のところないのでしょうね。
あと、無限城を現実に一度見てみたいのですが、実際に見たら空間把握がきちんとできず、目眩を起こしそうです。
「怖い」と感じた鬼は、永井豪氏の「手天童子」でした。永井氏の描く鬼は、本当に迫力があります。この漫画では、「鬼は恨みの心」「恨みを持った人の心が現象化した時の姿」としています。恨みや憎しみの感情が鬼を生んだり、人間を鬼に変えるというのは、同氏の他の鬼漫画でも見られることです。
手天童子では、不良グループが女子高生を集団レイプしたりする場面があったり、デビルマンで暴徒がヒロインを惨殺し、さらし首にしたりしますが、永井氏が残虐描写を躊躇なく描くのは、「本当に恐ろしいのは人間」「鬼や悪魔は、人間の内面に潜んでいる」「極限状態になると現れる醜い部分こそが人間の本質」と、永井氏が考えているからではないかと、自分に思えてしまうのです。
漫画は、商業上夢や希望に満ちた話、明るく楽しい話が求められますが、人間のダークサイドを無視したら、綺麗ごとばかりで嘘っぽくなります。
やはり「銃」と言えるものが登場していましたか。これまで私が読んだ巻には「銃」らしきものを見ませんでしたが、無惨なら平気で使いそう。最終巻まで見れば分かるでしょう。
まだ鬼滅の刃をやっている映画館もありましたか。今の日本映画は本当にアニメ頼みですよね。私も見たいと思う邦画はありません。最近はハリウッド映画さえあまり見たいと思わなくなりました。
>>しかし、大正時代に刀を持ち歩いても捕まらなかったのか、
私も同じく疑問に感じました。しかも未成年が持ち歩いている。尤も時代考証に拘ると漫画が成り立ちません。
無限城に限らず鬼滅の刃では空間が変化する屋敷が出てきますよね。鬼が堤を打つと部屋が変わる話もあったし、この設定はスゴイ。
大正時代(まあ架空の別世界の大正なんであんまり突き詰めてもしょうがないでしょうが)だと下手すると庶民は刀より銃の扱いの方が手馴れていたかもしれませんね。兵役もあれば、戦間期は戦後軍縮の軍人失業対策で学校に配属将校がやってきて軍事教練するわけですし。当時は軍隊に入って将校に任官されたら欧州の軍隊同様の嗜みで「士官は自前で武装軍装をそろえる」
ということでデパート(!)軍隊の福利厚生団体を通じて拳銃や軍刀を自費購入したり、一族地域機の名誉じゃと一族郎党でプレゼントする時代でしたからねえ(しかも大抵安くて高性能な海外の自動拳銃警官が当時ほとんどサーベルしか持たない時代!)
たぶん当時は銃の方が刀より入手が簡単で規制もザルだったと思います。戦前政治家の暗殺で拳銃が多いのこういう一面も。
逆に警察の武装が遅れていて、朝鮮半島で抗日ゲリラや満州の馬賊が流入していた時代、(小銃拳銃
どころか機関銃や山砲を持ち込んでくる始末!)地元民間人が寄付を募って外国製の拳銃(残念ながら当時の国産拳銃は価格も高くて性能が悪い)や軍の払い下げの旧式小銃購入して警察へ寄贈した話もあります。カネさえあれば合法的に簡単に銃が手にはいった時代だったことが伺えます。
ちなみに鬼滅は私も漫画喫茶で一気に読み切りました。アニメは見てません。
・日光に弱く、夜にしか活動できない
・血を求め血を介して眷属を創る
・特定の物質(ニンニク・聖水、藤の花)に弱い
・特定の武器(銀の弾丸、日輪刀)で殺せる
・不死だが特定の部位に弱点がある(心臓、首)
・バラバラになって逃げる
・美しく魅了の能力がある
『鬼滅の刃』は伝説(酒呑童子や安倍晴明など)や神話、宗教(高野山など)、思想(五行など)を使っていません。おそらく意図的に徹底的に排除してます。その結果、作者のみが神になることができ、予定調和がなくなって登場人物がどうなるか予測ができなくなっています。
(これは、分かっていても、相当の技量がないとできないと思います。)
しかし、「鬼」の設定だけは、上記のように非常に分かりやすい元ネタがあります。(あと、「柱」の設定は『聖闘士星矢』の黄金聖闘士ではないかと思います。)
これはなぜなのか考えていたのですが、分かりやすくしたことで、物語の謎解きよりも登場人物の行動や心情に関心が向くような仕掛けになっているのかもしれません。
ちなみに、中国語での「鬼」は死者の霊魂です。幽霊の意味まで広げると古代日本とほぼ同じ。百鬼夜行の「鬼」にはまだそういう要素があるような気がします。
「鬼」の英訳は devil(神の敵)より demon (ギリシャ語 daimon)が相応しいかと。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ダイモーン
# demo-(民衆)や time と同語源だとは。