SF小説、漫画にはよく美人アンドロイドが登場する。美人アンドロイドのタイプは異なっても、人間の男に奉仕する魅力的な存在なのは変わりない。映画「ブレードランナー」の原作となったSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でも、主人公を魅了するレプリカント(人造人間)のレイチェルがヒロイン的存在となっている。
映画と原作は違うのが常であり、TVで見たためか映画の方の印象は薄いが、小説は面白かった。環境破壊の進んだ近未来は野生動物も死滅状態となり、生きた ペットを飼うのは難しくなっているため、アンドロイドの動物までもが作られている。動物ロボットは問題ないが、強靭な肉体と知能を持つレプリカント(人造 人間)となると、ことは厄介だ。知能を持つため人間に隷属せず、自由な生き方を求めるのは当然の帰結となる。ロボットの反乱というテーマはSFでお馴染み であり、フランケンシュタインもそのカテゴリーに入る。
未来になっても美しい異性に惹かれる人間の性は変わらないだろう。フランケン シュタインのような化け物の同性なら、始末するのに痛痒も感じないだろうが、魅惑的な美人アンドロイドとなれば、男心はどうか。並みの人間の女より美しく 気の利いた会話が楽しめるので、アンドロイドに溺れる者も出てくるかもしれない。だが、いかに人造人間と楽しんでも、生殖能力がないのを意識し始めるや、 交渉するのが厭わしくなると小説『電気羊』に記されていたのは興味深い。結局はハイテク版ダッチワイフに過ぎないのだ。
邦画「イノセンス」に至っては少女型の愛玩用ロボットが量産されているという設定だった。近未来は技術的に可能となるだろうが、「人間はなぜ自分の似姿を、それもその理想型において創造しようとするのか」という問は重い。ギリシア神話にも、自分が作った象牙の乙女像に恋し、妻と呼ぶ優れた彫刻家のピュグマリオンが登場する。愛の女神アフロディテに拝み込んで人間の女にしてもらい、晴れて本物の夫婦となる話は面白いが、古来から人間は理想型を追い求めていたのだ。
これがユダヤ、イスラムのように偶像崇拝を禁止する宗教圏ではどうなのか?アンドロイドなど完全に冒涜行為となる。
SF でアンドロイドは被抑圧者、差別被害者の象徴として描かれることも多い。だが、『電気羊』ではそれよりも、人間とつながりの持てない精神疾患者的な意味合 いも含まれているのが面白い。「わたし、アンディ(アンドロイド)って、大嫌い」と、彼らの冷淡で自己中心的な欠点を指摘する台詞もあるのだ。人間に似せ て作ったのなら、欠陥まで似てくるのかもしれないが、ある意味人間の鏡だろう。
人間型ロボットは現代も開発が進められているが、これま で見たロボットで、いかに若く美しい女性の姿を模しても、いいと感じさせるものはなかった。特に不気味なのが目だ。顔立ちはともかく光や表情のない目が恐 ろしく、いかにも作り物という印象が強い。これなら博多人形の方が余程マシだと思うのは、メカに疎い者の貧乏性趣味か。
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映画と原作は違うのが常であり、TVで見たためか映画の方の印象は薄いが、小説は面白かった。環境破壊の進んだ近未来は野生動物も死滅状態となり、生きた ペットを飼うのは難しくなっているため、アンドロイドの動物までもが作られている。動物ロボットは問題ないが、強靭な肉体と知能を持つレプリカント(人造 人間)となると、ことは厄介だ。知能を持つため人間に隷属せず、自由な生き方を求めるのは当然の帰結となる。ロボットの反乱というテーマはSFでお馴染み であり、フランケンシュタインもそのカテゴリーに入る。
未来になっても美しい異性に惹かれる人間の性は変わらないだろう。フランケン シュタインのような化け物の同性なら、始末するのに痛痒も感じないだろうが、魅惑的な美人アンドロイドとなれば、男心はどうか。並みの人間の女より美しく 気の利いた会話が楽しめるので、アンドロイドに溺れる者も出てくるかもしれない。だが、いかに人造人間と楽しんでも、生殖能力がないのを意識し始めるや、 交渉するのが厭わしくなると小説『電気羊』に記されていたのは興味深い。結局はハイテク版ダッチワイフに過ぎないのだ。
邦画「イノセンス」に至っては少女型の愛玩用ロボットが量産されているという設定だった。近未来は技術的に可能となるだろうが、「人間はなぜ自分の似姿を、それもその理想型において創造しようとするのか」という問は重い。ギリシア神話にも、自分が作った象牙の乙女像に恋し、妻と呼ぶ優れた彫刻家のピュグマリオンが登場する。愛の女神アフロディテに拝み込んで人間の女にしてもらい、晴れて本物の夫婦となる話は面白いが、古来から人間は理想型を追い求めていたのだ。
これがユダヤ、イスラムのように偶像崇拝を禁止する宗教圏ではどうなのか?アンドロイドなど完全に冒涜行為となる。
SF でアンドロイドは被抑圧者、差別被害者の象徴として描かれることも多い。だが、『電気羊』ではそれよりも、人間とつながりの持てない精神疾患者的な意味合 いも含まれているのが面白い。「わたし、アンディ(アンドロイド)って、大嫌い」と、彼らの冷淡で自己中心的な欠点を指摘する台詞もあるのだ。人間に似せ て作ったのなら、欠陥まで似てくるのかもしれないが、ある意味人間の鏡だろう。
人間型ロボットは現代も開発が進められているが、これま で見たロボットで、いかに若く美しい女性の姿を模しても、いいと感じさせるものはなかった。特に不気味なのが目だ。顔立ちはともかく光や表情のない目が恐 ろしく、いかにも作り物という印象が強い。これなら博多人形の方が余程マシだと思うのは、メカに疎い者の貧乏性趣味か。
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SF人間としては、究極の人工頭脳は自我を持ち得るかといったテーマを考えたりしたものだが、技術的に言えば、大きさの問題だから、猫型のアンドロイドペットが、いまのスーパーコンピューター以上の能力を備えることは簡単だろう。欠陥人間より役立つ癒し系アンドロイドが出来るかもしれない。しかし、そうした分野は、ますます人間を歪めていくことも心配しなければならない。
私のように熟年であれば、いまのインターネット時代もそうでなかった長い時代も生き、アンドロイドの物語に未来を託すことで済ますことも出来たが、スパコン、インターネット環境、携帯電話が普通の時代に生まれた人間が成長し、大部分となった近い将来、世界は一体どうなっているのかさえ、いまの私には想像できない。
現実の方が、SFの世界の進歩より歩みが速く、ファンタジーを好む年も過ぎ、ネットを通して知りうる分野が拡大し、すでにSFを超えた世界に生きている面もある。しかし、実は、本当のことは何も分かっていないような気がする。情報は溢れ、知識が共有されるようにはなっているが、世界の混迷した問題は、何一つ解決される見込みも立たない。いまだ真理のふちを徘徊しているに過ぎないのではないのかと思う昨今である。
仰る通り、男の性欲なんて、そんなものでしょう。それが絶世の美女型で、よるは娼婦のようなアンドロイドでも、飽きがくるのかもしれません。それは、人間性によるもの(最初は機械と割り切れたとしても、情が移り、そして、その情そのものが移ろうもの)かもしれません。
アンドロイドとは関係のない話かもしれませんが、こういう話もある、ということで。
私が好きな「コ○ラ」にはいつも、アーマーロイド・レディという相棒がいます。彼女は元は人間だったそうですが、肉体を失い、ライブ金属となるのですが。
ある話では、コ○ラは実際にあるかどうか分からない伝説の山に、多くの金塊を載せて墜落した飛行機を探しにいくのです。その道中、その金塊目当てに同行した者の多くは不慮の死を迎えるですが、、、(この山の存在を疑った時点で、命を失うのです)。最終的に、コ○ラを含め、三人が生き残るです。その一人は道案内、一人は、飛行機を墜落させた張本人、そして、コ○ラです。張本人は別として、コ○ラがその山の存在を全く疑う事がなかったのは、金塊ではなく、その飛行機に居合わせ、救難信号を送り続けた、レディを助ける為だったのです(救難信号を受けていたからこそ、山もレディの存在も信じていたのです)。
機械に人は取り込まれやすいものですが。機械は機械であり、それを使うもの自体の気持ち次第でしょうね(私もネコ型ロボットは欲しいですが)。
仰るとおり現実社会がSF世界の予想を先取りする事があります。
「宇宙英雄ローダン」シリーズのはじめの数巻だけを読みました。第一巻で人類の月面着陸を'70年代に設定しておりますが、'60年代に人類はやり遂げましたね。
そして、第一巻でローダン一行は月でアルコン帝国の宇宙船とアルコン星人に遭遇します。この帝国はかつては銀河系全域の覇者であり、空前の繁栄を謳歌したのですが、地球人と出合った時はかなり衰退気味となってます。アルコンの男たちは日がな一日テレビ画像のようなものの前に座り込んで、画面を見つめて暮らしている有様。当然精神的退化が甚だしく、かつては家事にもっぱら勤しんでいた女性が多くの重要部署に就いているのです。
「ローダンシリーズ」が書かれた当時('61年)はインターネットなど夢の世界でしたが、現代はまさにアルコン星人の男たちのように、画像の前でバーチャルゲームに明け暮れる人も珍しくなくなりました。仮想空間に溺れる傾向が強いのが男で、女はあまり影響を受けないという小説内の話も、現実と酷似している。SFは時代を先取りするのでしょうか。
やれIT革命だの騒いだところで、南北問題一つ解決されてませんよね。反って問題を先送りしただけなのに、あたかも解決出来るような幻想を振りまいたような気がしてなりません。
アンドロイドと違い人間のカップルはたとえ飽きが来ても、子供がいたりとかで、簡単に別れられないのでしょうね。腐れ縁という言葉もありますが、それが人間同士のつながりでしょう。
「コ○ラ」の相棒のレディは、確か金髪美人型のアンドロイドでしたよね?コ○ラは未見ですが、レディがいても結構浮気をするのではなかったでしょうか?レディの反応は知りませんが、紹介されたお話を拝見したところ、コ○ラにとって最大の理解者が彼女なのかも。
男性と女性ではアンドロイドへの思い入れが違いますね。男性はどうしてもメカに入れ込む傾向が強いですが、女性はどうでしょう?女性SF作家もいますが、美男型アンドロイドとよろしくやっているヒロインの話は少なくとも私は見た事がありません。そこが男女の感性の違いかもしれませんね。
僕は彼の作品は『高い城の男』が好きです。
夫婦仲の場合、機械のように簡単には捨てられないですから。長く続ける秘訣が「妥協」とは、意味深ですね(汗)。
コ○ラのレディは元は地球人(火星人?)の王女で、金髪の美女でしたが、ある時、瀕死の重傷を負い、ライブ金属の体となりました(新しい体は青く、目も描かれていません)。
http://www.ag-rights.com/buichishop/shop/home/shop/jp/image/a002_1l.jpg
また、仰るとおり、コ○ラは新しい彼女が出来たり、別の女性と寝たりもしています。が、レディは皮肉の一つは言っても、恨みがましい事は全く言いません。その体を失ったストーリーは未読ですが、コ○ラとレディは精神的な、特別な繋がりを持っているように思えます(王女様らしい、おしとやかさだけではないと思います)。
男女でロボット相手に対する行為についても、性的な欲望、そして、それに対する処理の仕方が違うのもあるとは思います(生身の人間でも、精神的な繋がりを求める女性に対し、ある程度仲がよくなると、肉体的な繋がりを求める男性とは違うものかもしれません)。
話は変わりまして、探偵ナイ○スコープでは、マネキンと結婚したいという女性からの依頼もありました。そして、実際に式をあげるのですが、、、。理解できますでしょうか?
(日本では特に人形には魂がうつるといいますね。おキ○さん人形とか(汗)。また、1985年の阪神優勝時に道頓堀に投げ入れたカーネル・サン○ースの呪いで、優勝できない、と言われていた時期もありましたね。)
私はディックの小説で読んだのが『電気羊』だけなので、他の作風は知りませんが、『高い城の男』とはタイトルが面白そうですね。
機会があったら読んでみたいです。
誰か忘れましたが、ある文化人が男の性としてコ○ラの例を挙げていたのを憶えています。理想的な伴侶がいながらも、他にも異性を求めるのが男だと。レディが恨みがましい事は全く言わないとは、さすがアンドロイドです(笑)。人間の女なら、そこまで物分りはよくない。
作家の阿刀田高さんは、女も浮気心は男並みにあるだろうが、社会的な制約もある上、どうしても受動的な性があるので、男の方の浮気率が必然的に高くなると書いてました。
マネキンと結婚したいだけでなく、実際に式まで行う女性もいるのですか? 男ばかりでなく女もいろいろですね。
日本に限らず人形には魂がうつるとされるのは、他の文化圏も似たような面もあります。イスラム圏で偶像破壊に血道を挙げるのも、目のある偶像に魂を支配されるとの迷信が根強いことがあるし、呪いの人形は西欧にも見られます。
カーネル・サン○ースの呪いの話は初耳でしたが。