その一、その二の続き
特殊部隊による武力行使を警戒するスボボダは、スーパータンカー船長を通じて3つの要求をする。1.本船の周囲からの全ての船舶の退去、2.海上海面下のいかなる船舶の本船周囲5マイル(約8.04㎞)以内の接近禁止、3.いかなる航空機も本船を中心とした半径5マイルの空域に、1万フィート(3048m)以下の高度で侵入しないこと。
テロリストが以上の要求をしても、英米両国は禁止区域間近に軍艦を待機させており、特殊部隊の奇襲も真剣に計画していた。それ以上に厄介なのはマスコミだった。特ダネを求め、管制官の制止を無視、スボボダが指定した高度よりも低く軽飛行機で接近したフリーランスカメラマンもいた。
スボボダは自分たちの指示に背いたり、要求が受け入れられなければ本船から2万トンの原油を海に投棄すると警告しており、実際に原油投棄を実行する。本書が発表された12年後の1991年1月23日、湾岸戦争中のイラクは原油をペルシア湾に流出させ、「湾岸戦争の石油流出」にはその詳細が載っている。環境テロそのものだが、フィクションが現実化し、驚愕したフォーサイスファンもいただろう。
しかし、この原油投棄はスボボダ一行の死に繋がった。自分たちの要求が受け入れられ、霧の深い夜半にゴムボートでタンカーから脱出するテロリストグループだが、流した原油の塊に突っ込み、ゴムボートのエンジンが停止してしまう。
それを待ち構えていた米駆逐艦が放ったマグネシウム弾が流出原油に引火、炎の海の中でスボボダ等は消滅した。「シチェ・ニェ・ウメルナー・ウクライーナ......」(ウクライナは永遠なり)の絶叫を最後に残して。
英国陸軍の特殊部隊SASはスパイ小説でおなじみだが、本書では海軍特殊部隊SBSが登場する。SASやSBSが使用する武器のひとつに「特殊閃光爆弾手榴弾」があり、以下はそれへの解説。
「これは“音響”をベースに新しく開発したものであるが、ただ単に音を出すだけではなく、人間の感覚を麻痺させるという効能を持っている。この特殊手榴弾を、ピンを抜いて0.5秒後に、たとえばテロリストと人質がはいっている密閉された空間に投げこんだとする。
その場合、これは三つの効果を発揮する。その閃光を浴びた者はすくなくとも30秒間、視力を失い、爆発音で鼓膜をやられて激痛を覚え、集中力を失う。同時にこの爆発音に含まれている特殊な音波が中耳に影響して、全身の筋肉が10秒間、完全に麻痺してしまう」(ハードカバー版下・125頁)
軍事に詳しい方なら既知かもしれないが、軍事に疎い私には'70年代後半にこのような武器が開発されていただけで、ただただスゴイと感じた。これではテロリストはともかく、人質の鼓膜までやられてしまうのではないか、と思ったが、鼓膜は再生するそうだ。現代ではさらにスゴイ武器が開発されていることだろう。
ソ連首脳部に一矢報いようとしたスボボダの計画は結局失敗した。その背景はソ連の妨害工作よりも、国際秩序を最優先にした英米の思惑が大だった。大規模な軍縮条約の締結を目指す米国にとって、ソ連当局に抑圧される非ロシア系民族の諸問題は二の次よりも些事に近かった。
そのため陰でソ連と情報交換を行い、スボボダの計画と存在を潰す。己が命がけで実行した計画が達成されたと思い込み、炎の中で焼き尽くされて死んだのはせめてもの救いだったかもしれない。
2月24日のロシアによるウクライナ侵攻からひと月が過ぎた。大半の日本人と同じく私もウクライナについて全く浅学で、かつてウクライナは世界第三位の核保有国だったことを、遅まきながら知ったほど。在日ウクライナ人グレンコ・アンドリー氏による「ウクライナは世界第三位の核兵器保有国の地位をなぜ放棄したのか」は、実に考えさせられるコラムだった。
1991年末にソ連から独立したウクライナは、米露から核兵器を放棄するようにと脅迫に限りなく近い非常に強い圧力がかかっていたそうだ。
「もしこの要求に応じなければ、経済制裁や国際社会からの追放、最悪の場合は軍事行動という仕打ちが待っていただろう。経済危機やハイパーインフレに苦しんでいたウクライナはこの圧力に抵抗する力がなかった」というアンドリー氏。
そして、「ウクライナの指導者達は外国の要求をすべて呑み、無条件に3年間ですべての核兵器を放棄するという決断を下してしまったのである」。その見返りとして、「米英露はウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証するという内容の議定書だけを発表した。
だが、議定書は国際条約ではないので、それを守る法的義務はない。実際の国際関係では、法的拘束力のある国際条約ですら守られていないことが多いという事実を踏まえれば、最初から法的拘束力のない「議定書」などが守られるはずはない」
さらに「核弾頭や弾道ミサイルそのものだけではなく、それを格納、発射するためのインフラ、施設もことごとく破壊された」。次の意見にはアンドリー氏の無念さがにじみ出ている。
「当然、核兵器そのものがなければ、ミサイルサイロなどの施設は無力であるが、それがあるだけで、ある程度の抑止力にはなっていたはずだ。だからせめて施設だけでも残すべきだったと私は思う」
ロシアが国際法を平然と踏みにじるのは今始まったことではないが、国際秩序の名で冷徹なまでに国益を追求する米国の姿勢も覇権国家として当然だった。例えひとりよがりの愛国心であっても大国なら認められるが、弱小国は祖国愛さえ否定されることも、フィクションではあっても本書は教えてくれる。
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「平和勢力の持つ核兵器は脅威ではない」
「自国すら守れない民族を他国が助けてくれるはずがない。もし、助けてくれることがあるなら、何か別の野心を持っているだけのことである。従って、大国に頼り切ることは大国に逆らうのと同じくらい危険である。」
フィンランド 大統領 マンネルヘイム