11月29日付の河北新報に、ダニエル・カールさんのコラムが載っていた。震災シンポジウムでの講演であり、以下はその全文。
-3月11日の揺れ始めた時の状況をはっきり覚えている。テレビを見ると、震源は宮城県沖だった。「何かやらないと」という気持ちがすぐに湧いた。在日外国人の中には情報が得られず不安を感じている人がいると思い、ニュースを英語に翻訳してツィッターで発信した。
陸前高田市と石巻市にいる外国語指導助手2人が行方不明になっていた。米国の家族たちから頼まれ、情報の収集に奔走した。彼らを自分のきょうだいのように感じ始め、必死で探した。2人とも遺体で発見された。悲しかった。とにかく東北に行き、被災者に手を差し伸べたいと思うようになった。
情報を集めてみると、物資が届かず困っているのは岩手県山田町のようだった。この町には内陸から直通の道がない。何もできない私だが、運転は出来ると思い、物資をトラックに載せて向った。これまで15回ぐらい訪れた。
山田町は漁師町。漁師はみんな一匹狼で、競争心が非常に強い。にも拘らず、津波の被害を免れた数少ない船を漁師たちが交代で使っていた。震災前には想像できない光景だった。いざという時、皆が力を合わせる文化。これが東北の底力だ。
避難所に物資を届けると、ある被災者が泣いていた。友人が遺体で見つかったという。別の被災者が「ダニエルが物資を持って来てくれたぞ」と話すと、その人は「ちょっと待って」と言い、お礼に高級海苔をくれた。海産物問屋を営む人だった。家も会社も流されたのに、残り僅かな財産の海苔を分けてくれた。助けてもらってばかりでは気が済まない。お返しのため無理をする。これが東北人だ。
東北人は強い。悲しんだ後は踏ん張るしかないと分かっている。そして謙虚だ。謙遜するのは東北人の良いところだが、今はほどほどにしよう。そして大声でお国自慢をしよう。食も自然も最高。自慢できることは山ほどある。
コラムの初めには「がんばっぺ!オラの大好きな東北」の見出しがあり、真ん中には「大声でお国自慢をしよう」の大文字が入れられていた。ダニエルさんの主張は全くの正論だが、日本人、殊に東北人にはシャイで自己主張の下手な者が多く、大声のお国自慢どころか、卑下する傾向が強い。お国自慢自体、「おしょすい」(※宮城の方言で恥ずかしいの意)と引いてしまう人も少なくないし、東北人の良さを讃えたダニエルさんのコラムを見て、「おしょすい」と感じた東北人もいたはず。彼のコラムは一東北人としても、考えさせられた。
東北人も十人十色ゆえ、強く謙虚な人ばかりではないし、お返しのための無理をしない者もいる。一般に粘り強いというのが他の地方の東北人の批評だが、私のような物ぐさ者もいるのだ。××人はこうだ、というパターン化も安易だし判断を誤るだろう。
東北人があまりお国自慢をしたがらないのは、謙虚よりも後進地帯との劣等感も少なくないと私は見ている。昔、東北を舞台とした何かのドラマを見ていた時、「こんな田舎でよかったら…」という台詞があったことを妙に憶えている。東北に来た大都市の人への、地元の旅館の女将の挨拶言葉だった。こんな田舎によくぞ来てくれた、のような意味合いが多分にある。
ただ、東北人の謙虚さを額面通り受け取るべきではない。謙遜を真に受け、「本当に何もない、文化程度も低い田舎ですね」と正直に返答したら、殆どの東北人は根に持つはずだ。あからさまに田舎と嘲れば、その場では何も言わずとも、何年か後あるいはその人の子孫の代にも蒸し返し、“御礼”をする可能性もある。その典型的な事件こそ、サントリーの故・佐治敬三元会長による「東北熊襲発言」(昭和63(1988)年)。
「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」の一言は、サントリーの東北での売り上げに長く悪影響を与えることになる。
その二に続く
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525カキコ参照。
本エントリー関連↓
http://www.youtube.com/watch?v=RvAWU7trQlU
こちらはなごみ系↓
http://www.youtube.com/watch?v=cKALfphu2k8&feature=related
ダニエル・カール氏のこの記事で初めて、今回の震災で、米国人の犠牲者も居た、と言うことに気がつきました。外国語指導助手制度は、旧自治省(現在総務省)の時代からある、外国人に日本滞在経験を持ってもらい、日本に対する関心、観光振興などにも寄与し、他方で、日本人の英語能力なども高めようという施策だったと思う。
今は、かなり外国人が、日本で暮らすようになってきたので、この制度が必要かどうか疑問にも思うけど、一定の効果はあったように思う。
カール氏が、外国人として、能動的に支援活動したことは、偉いし、この記事内容にも好感が持てる。
他方で、小生自身は、これまで外国にばかり興味が行き、国内各地は、ほとんど旅行していないし、東北も、TVで見れば情報は十分、という感じで、これまで一度も行っていないし、日本海も九州でしか見ていない。
これから暇が出来たら、東北も旅行してみたいと思っているけど。
だけど、小生が思うに、地域主義というか、地域としてのまとまり意識があるのは、東北くらいで、日本では県という単位で考える思考の方が強いように思う。
最近の橋下氏の選挙勝利は、小生としては変革の兆しとして、概ね歓迎だが、同氏の主張する道州制には違和感がある。大阪のような大都市なら、州都として更に重みを増すことが可能だし、仙台もそうだと思うけど、我が三重県の津市なら、名古屋に州庁を取られて、損するだけのように感じます。
国家意識から、地域主義の時代、と言う意見もあるけど、中国、韓国など、国民国家意識が未だに盛んなアジアでは、日本だけが道州制などの地域主義に後退して、国防の方が大丈夫か??と危惧します。大阪都構想には賛成だけど、それは、行政改革=官僚機構合理化として、大阪府の範囲内でやって欲しい、と思う。
ダニエルさんについてのサイトや動画の紹介をありがとうございました!彼の講演会は動画でも見られるのだから、本当にネットは有難い。
もう十年以上も昔ですが、職場の付き合いで彼の講演会に出たことがあります。ダニエルさんが山形にいた時、外国人は珍しかったそうですが、今では町の大通りを外国人が歩いていても、誰も振り返らないことに驚いたと話していたのを憶えています。
私の十代の頃の仙台も同じだったし、白人が歩いていれば、指を指して、「あ、ガイジン!」の時代でした。
石巻市に英語教師として赴任してきたTaylor Andersonさん(24)は、地震が起きた時、教えていた英語のクラス全員の子供たちを両親に渡すことに走り回ったそうです。しかし、彼女自身は自分のバイクを取りに海辺に近い家に戻り、津波にさらわれました。彼女のことを書いたブログ記事もあります。
http://blog.goo.ne.jp/sweettiger09/e/c609a7815f39c60e22a95d974e066943
のらくろさんも 2011-04-02 13:41:45 のコメントで、「紅毛碧眼の「小野訓導」が、90年振りにご本人にとっては「異国の地」で現れたと言えますまいか」と感嘆していました。「小野訓導」とは大正時代、宮城県の白石川で溺れかかった児童3人を救おうとした若き女性教師で、「小野訓導」について以前記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/fa96c93740f02587ff77c9e62d2bd7aa
>>これから暇が出来たら、東北も旅行してみたいと思っているけど
ぜひ、「来てけさい~」(宮城の方言で「来て下さい」)。東北の温泉に行くことも、ささやかな被災地支援になります。私も来年、福島の温泉に行くことを予定しています。被災地支援にもなるし、何よりも家事がサボれる(笑)。
「地域としてのまとまり意識があるのは、東北くらい」でしょうか?東北も一同団結ではないし、県という単位で考える思考がありますよ。宮城県は概ねまとまっていますが、青森県は地域によって確執があるようです。
道州制を導入しても仙台市は大丈夫と思いますが、私も地域主義には懐疑的です。国民国家を否定する向きはネットでも見かけますが、彼らの意見は冷戦時代の残滓としか見えない。彼らは国民統合教育を古典的と決めつけますが、その口を隣国には使わないのは不可解。