その一の続き
ソ連当局に弾圧されたのは非ロシア系民族主義者ばかりではない。ロシア人すらお上に逆らうデモを行えば、情け容赦なく鎮圧された出来事が本書に載っていた。
1962年6月2日、ウクライナに近い南ロシアきっての工業都市ノボチェルカースクで、労働者が暴動を起こした。行政機関が肉とバターの値段を上げ、同時に機関車工場の労働者の賃金を30%も切り下げたため、怒り狂った労働者が3日間にわたり市を占拠する。ソ連では前代未聞の椿事だった。
労働者たちは党幹部を非難攻撃、恐れおののいた幹部たちは党本部に閉じこもり震えているばかり。彼等はまた、説得に当たった赤軍の上級大将をやじり倒し、武装兵の隊列に突っ込み、戦車には泥を投げつけて抵抗、のぞき穴が詰まった戦車は盲になってとん挫する始末。これに対するソ連中枢の対応を、本書ではこう描かれている。
「ノボチェルカースクに通じるあらゆる空路、陸路、電信電話が封鎖され、暴動のニュースが外へ漏れないよう市は真空状態におかれた。86人の市民が路上で射殺され、三百人以上が負傷した。負傷者はそのまま家に帰らず、死者もまた地元では葬られなかった。
そして負傷者はいうにおよばず、死傷者の家族の者も一人残らず、女子供まで、グラーグ支配下の収容所に送り込まれた。彼らが肉親の消息をたずねまわったりすると、市民のあいだに事件の記憶がいつまでたっても生々しく残るからである」(ハードカバー版上・77頁)
この事件は「ノヴォチェルカスク虐殺」としてwikiにも解説されている。死傷者数では帝政時代の血の日曜日事件を下回るが、隠蔽と情報封鎖では遥かに勝っている。さすがネットでおそロシアと揶揄される国だけある。
下巻は大半が100万トンのスーパータンカーを巡る話になっている。ウクライナ人テロリスト集団がこのタンカーをシージャックし、要求が受け入れられなければ原油を海に流すか、人質もろともタンカーを爆破すると恫喝、それに対応する欧米諸国やソ連、イスラエル首脳部の駆け引きと諜報活動は圧巻だった。
ちなみにこのスーパータンカーは日本の知多市にある石川島播磨重工業で建造されたという設定で、当時このような巨大タンカーを建造するドックを持つのはここだけだったとか。
スーパータンカーを操縦するのはノルウェー人船長で、処女航海でタンカーを乗っ取られた船長は怒り心頭だが、テログループの命令に従う他なかった。船長を見張っていたのはグループのリーダーだったが、リーダーは“スボボダ”(※ウクライナ語で自由の意)と名乗る。船長とスボボダとのやり取りは本書の中でも特に面白かった。スボボダを一番刺激するのはソビエト問題と見抜いた船長はこう話す。
「民衆の蜂起なんてありえないよ、ミスター・スボボダ。ロシア人がクレムリンのご主人さまに反抗して立ち上がるなんてことは、夢のまた夢だ。いくらボスたちが冷酷無能でも。なにしろロシア人ときたら、底抜けの愛国者ぞろいときているからね。お上のほうは、ちょっと外国の脅威を強調するだけで、下々の心をつかめるんだから」
怒ったスボボダは、怒鳴って言い返す。
「愛国心がなんだというんだ。西側のもの書きやリベラルは、なにかというとロシア人の愛国心を云々するが、そういうおしゃべりにはもううんざりしているんだ。
他人の祖国愛を踏みにじって栄える愛国心とはいったいどういう愛国心なんだ?それじゃわたしの愛国心はどうなる?奴隷化された祖国に対するウクライナ人の愛はどうなる?グルジア人の、アルメニア人の、リトアニア人の、エストニア人の、ラトビア人の祖国愛は?認められているというのかね?なぜ彼らの、わたしたちの祖国愛が、ロシア人のあのひとりよがりの愛国心に従属し、同化されなくちゃいけないんだ?
ロシア人の愛国心こそわれわれの敵なのだ。あれは単なる排他主義にほかならない。ピョートル大帝やイワン雷帝のころからずっとそうだった。周辺諸国を征服し奴隷化することで生き延びてきたのだ」(ハードカバー版下・204-5頁)
タンカーを乗っ取り、乗組員を銃で脅して監禁するのは外道でも、このようなかたちで愛国心を示す他ないスボボダの悲痛さが表れている。隣の大国に踏みつけにされ続けてきた国は多く、愛国心は排他主義と結びつきやすい。同時に愛国心なくしては国の存続も危うい。
その三に続く
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