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宮城県美術館の特別展『ミレー展~愛しきものたちへのまなざし』を見てきた。私的にミレーはあまり好みではないが、“農民画家”ということで日本では非常に人気があり、今年はミレー生誕200年目なのだ。以下は特別展のチラシにあった解説。
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-75)は、それまで絵画の主題とはなりえなかった厳しい農民の労働を見つめ、荘厳な農民画の世界を生み出した画家として知られています。その背景には、フランス初の風景画派の誕生の地となった、バルビゾン村の自然豊かな制作環境がありました。また一方で、幼い頃から育まれた自然に対する畏敬、身近な者への慈愛も、その作品を語る上で欠かすことのできない要素です。
家族や近しい人たち、大地と自然、そこに根ざして生きる人々や動物たちなど、ミレーは自らが愛情と共感を寄せたものたちをモチーフとし、温かさと尊厳を備えた作品を描きました。そこにはノルマンディーの寒村で過ごした子供時代のまなざしや、妻と共に9人の子を育てた父親としてのまなざしを感じることができます。
ミレーの生誕200年を記念するこの展覧会では、画風を模索する初期の作品から、バルビゾン村移住後の名品まで、国内外のミレー作品約80点によりその制作の跡を追います。
宮城県美術館の前に府中市美術館でミレー展が開催されており、画像付きで全展示品リストを紹介したサイトもある。府中市の前には山梨県立美術館で展示会があり、美術館サイトには出展作品リストが載っている。いずれも4部構成で、展示ナンバーも全く同じだが、チラシやチケットのデザインは各美術館によって違っている。記事のトップの画像は作品№59「刈り入れ」で、宮城県美術館のチラシではこの作品が使われていた。
ミレーといえば、農村や農民を描いた画家として有名だが、彼の全作品でその種の絵は四分の一程度に過ぎなかったことを今回の特別展で初めて知った。何となく農村や農民ばかり描いていた画家というイメージがあったが、日本人が殊に農村風景や作業絵を好んだこともあるのかもしれない。
展示会の第1章はミレーの画家としての形成期の作品が10点あり、これだけ見れば後の“農民画家”の作品とは思えないほど。№3「男性の裸体習作」など、何処にでもいそうな禿げたおっさんの裸体だし、習作でも何故こんな絵を描いたのかは分らない。
ミレーは自画像も描いており、上の画像は№11。まるで見る者を睨みつけるような表情だし、このような絵は貰った側もあまり嬉しくないように感じる。農民画から温厚な顔立ちを想像していたが、絵と画家の容貌は必ずしもマッチしないのやら。
上は今回の目玉作で、はじめの妻を描いた№15「部屋着姿のポーリーヌ・V・オノ」。絵が描かれた時ポーリーヌは肺結核を患っており、完成後に間もなく死去したという。見るからに顔色が悪く目のふちも赤く、説明がなくとも病が重いのは伺える。頭を覆った赤いターバンがなければ、いかに若くて美しくとも病的な印象が強かっただろう。ポーリーヌはミレーと結婚時には20歳で、その3年後に子供もなく病死したそうだ。
ミレーはポーリーヌの死から2年後、家政婦だったカトリーヌ・ルメールと再婚、9人の子供を儲けている。№27は2番目の妻を描いた作品。この絵ではカトリーヌの肩や背中が露わになっており、繊細な印象のポーリーヌと違い9人の子供を産んだだけあって、がっちりした体型なのが分かる。子沢山に加えミレーの弟2人も同居しており、カトリーヌは夫や家族の生活を支えたのだった。
ただ、ミレーの親族はこぞってカトリーヌとの結婚に反対し、母の死後ようやくミレーはカトリーヌを入籍したという。そして彼女と教会で結婚式を挙げたのは、ミレーの死の半年ほど前だったそうだ。カトリーヌの希望なのか、その時彼女が何歳だったかは不明。
日本でよく知られているミレーの代表作のひとつ「種まく人」も展示されていたが、この絵は2種類あったことを初めて知った。
また、有名な「落穂拾い」には夏バージョンもあり、上はその画像。人物の構図はほとんど同じなのに、夏バージョンを知らない人も多いだろう。
ミレーの作品が殊に日本で親しまれた理由は、日本が純然たる農業国ということがあるのだろう。農作業する人びとというのは日本人好みなのかもしれない。尤も日本人にも私のようなグータラ者はいるし、№34「洗濯する女」のように赤くなった手で洗濯している様は痛々しかった。洗濯機のある国や時代に生まれたことに感謝したい。
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府中市の画像つきリストに掲載されていた農村画は小生は結構好きです。
これらの絵を見ても、200年前の仏農村の姿とか、農民の顔とか、よく分る気がする。
小生も、ブルで最初に行った1967年頃と、80年代、或は最後の滞在期(2002--05年)頃との間で、現地の人々の顔立ちに大きな変化を感じました。やはり、現代社会の栄養(動物性タンパク質)のおかげで、現代人の顔は、どんどんきれいになっている(美人、美男が増えている)と感じます。
フランスでも、200年前は男女とも、あの程度の顔だったということ。日本でも、我々が小学生の頃と今では、全く顔つきが違う。化粧品とか、衣類の進歩と言う要素もあるでしょう。
ともかく、昔の農村風景が、何となく懐かしいような、そういう観点から、ミレーが好きです。フランスでも、あの程度の顔だった・・・と言う視点で見るのも面白い気がする。
ミレーの農村画を今回の展示会で初めて見ましたが、私もどこか懐かしい感じを受けました。ミレー以前には王侯貴族を描いた画ばかりだったし、農民がモデルという作品はなかったそうです。革命前のフランス絵画のモデルは王侯貴族だったし、同じフランス人とは思えないほど王侯貴族と農民の顔は違っていますね。
世界三大料理と謳われるフランス料理ですが、革命前の平民の食事はパンばかりだったとか。対照的に王侯貴族は美食。これでは容貌や体型が違ってくるのは当たり前。私も母も戦前に比べ、今の日本の子供たちは本当に可愛いと言っていました。戦前は男児なら坊主頭、女児はおかっぱというだけでなく、服装も粗末。栄養も悪かったし、写真で見てもみすぼらしい印象でしたね。
今の農民は日仏共に都会人とあまり変わらない顔立ちになっています。これも生活水準が向上したためでしょう。