9月5日、宮城県美術館の特別展「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」を見てきた。開催終了の前日だったが、開館と同時に入館したためか思ったほど混んではいなかった。以下は美術館HPでの解説。
―リヒテンシュタイン侯国は世界で唯一、侯爵家(君主)の家名を冠する国です。オーストリアとスイスにはさまれた小国ながら、世界屈指の規模を誇る美術品の個人コレクションを有し、その華麗さが宝石箱にもたとえられます。
本展では、侯爵家秘蔵のルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)、クラーナハ(父)を含む、北方ルネサンス、バロック、ロココを中心とする油彩画と、ヨーロッパ屈指の貴族の趣向が色濃く反映されたウィーン窯を中心とする優美な陶磁器、あわせて126点を紹介します。貴族の宮廷の空間を彷彿とさせるような優雅な西洋絵画と陶磁器の共演を是非お楽しみください。
昨年Bunkamuraザ・ミュージアムで同じ特別展が開催されており、さすが東京の美術館のHPは充実している。一般に日本ではなじみの薄いリヒテンシュタイン侯国だが、これほど見事な美術品を所持していたことを特別展で初めて知った来場者も多かっただろう。何故この小国が世界屈指の規模を誇る美術品を有しているのか、不思議に思った方は少なくなかったはず。wikiの「リヒテンシュタイン公国との関係」には次の文章で始まっている。
「リヒテンシュタイン公国はきわめて小規模な国家だが、リヒテンシュタイン家が国外に持つ所有地は公国の何倍もの面積にもなる。リヒテンシュタイン家はこの財力を基礎として、18世紀以来文化・芸術の保護者としても活動している。またリヒテンシュタイン家は公国から歳費を支給されておらず、経済的に完全に自立している……」
つまり、リヒテンシュタイン家はリッチな貴族だったということ。確かに展示品だけでも芸術の粋といえる美術工芸品ぞろいだったし、“侯爵家の至宝展”というコピーは決して誇大広告ではなかった。
尤もオーストリアとスイスにはさまれた位置にある国なので、「リヒテンシュタインの歴史」には度々周辺諸国による戦争に巻き込まれたことが載っている。それでも隣接する大国に併合されず、1434年に国境は定められ現代にいたるまで変わらなかったのはスゴイ。小国ゆえ返って隣国との交渉に長けた君主を輩出したのやら。
リヒテンシュタイン侯国も20世紀の2度の大戦では中立を宣言したにも関らず打撃を受けており、特に第二次世界大戦では美術品コレクションはナチスによる略奪の脅威に直面したそうだ。国内にはナチスシンパもいたが、リヒテンシュタイン国は何とか膨大な美術品を疎開させて守ったという。惜しいことに東欧領土にあった美術品は、戦後共産主義国家に没収されている。
トップ画像はチラシにも使われているルーベンスの《ペルセウスとアンドロメダ》。本展の目玉の一つだが、現代からみればアンドロメダはおデブ体型でも貧乳だ。当時はこれが美しい肢体とされていたのか?ルーベンスの描く女たちはボリュームがあり過ぎて大半の日本人は苦手だろう。
肉欲的な女性像よりも風景画や静物画にホッとさせられた来場者は少なくなかったと思う。上は1839年制作の静物画《磁器の花瓶の花、燭台、銀器》。これも派手派手で花の生け方や器は日本人とはかなり感性が異なっている。
海を渡った有田焼が展示されているのは日本人として心象がいい。上もそのひとつだが、東洋の陶磁器には全て⾦属装飾がつけられており、そのままの作品はなかった。オスマン帝国にも日中の陶磁器のコレクションがあり、これ等も装飾がされていたが、西欧はさらに派手になっている。キンキラキン過ぎて私的には違和感があったが。
美術館HPの解説には「貴族の宮廷の空間を彷彿とさせるような優雅な西洋絵画」の一文があり、優雅な西欧美術を存分に鑑賞できた特別展だった。森の中での音楽会を描いた絵画はまさに優雅な貴族社会そのもので、18世紀末の作品だった。革命に見舞われた同時期のフランスとは対照的だったのか。
意外なことにリヒテンシュタインでは、女性参政権を認めたのが1984年6月である。美術品コレクションは優美で女性的でも、政治思想はかなり男性優位な気風らしい。
この有田焼ですが、用途は何だったのでしょうか?宝石類を入れたら壺が痛みそうですし、まったくの室内装飾でしょうか。
リヒテンシュタインはいまいちイメージの湧かない国でしたが、領土とは対照的に裕福な国だったのは驚きました。小国だからこそ平和裏に立憲君主制に変貌できたのかもしれませんね。
この有田焼に限らず陶磁器の用途は解説されていませんでした。室内装飾と思いますが、ポプリとしてなら使えるかもしれません。