『オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家』(鈴木董著、講談社学術文庫)を先日読了した。文庫版の裏表紙には次の解説がされている。
―民族・言語・宗教が複雑に入り組み、多様な人々を包み込む中東・バルカン。その地を数世紀の長きにわたり統治したオスマン帝国の政治的アイデンティティ、社会統合、人々の共存システムとはなにか―。
帝国の形成と繁栄、解体の実像、そして文化世界としてのイスラム世界の伝統を世界史的視点から位置づけ、現代にまでつながる民族紛争の淵源を探る。
タイトルで誤解され易いが、本書はオスマン帝国の解体の歴史だけを扱っているのではない。副題「文化世界と国民国家」はそのまま第1部で論考されている。第2部「イスラム世界」、第3部「オスマン帝国」の3部構成となっており、本格的にオスマン帝国の歴史が記されるのは第3部以降なのだ。先ず「イスラム的世界帝国としてのオスマン帝国」の歴史が語られ、帝国解体はずっと後にくる。
1~2部だけで本書の半分は占められ、早く帝国解体に至る個所を読みたいと思った読者は少なくなかったかもしれない。第2部「イスラム世界」も、鈴木氏の著書『オスマン帝国―イスラム世界の「柔かい専制」』を既読した方にとっては特に新しい内容ではなかったはず。
鈴木氏の著書で『オスマン帝国―イスラム世界の「柔かい専制」』は最も知られているただろうし、「オスマン帝国時代のパクス・イスラミカとその根幹であるズィンミー制度については高く評価し、同時代のキリスト教社会の諸国に比して宗教的に寛容で、民族・宗教紛争やユダヤ人迫害なども極めて少なかったと賞賛している」(wiki)研究者なのだ。
私的に「柔かい専制」はややズィンミー制を持ち上げすぎる傾向があると感じたし、中世キリスト教社会と対比する形でイスラムの寛容性を説くのは、拙劣なイスラム擁護論の典型である。
そもそも中世欧州はカトリック一色の世界で、極めて非寛容かつ排他的な地域だった。ここと比較すればイスラムの寛容性が際立つのは当り前なのだ。しかしイスラムの寛容とやらも同時代のインドや中国の前では色褪せる。確かにイスラム世界には様々な宗派があり、ジズヤ(人頭税)を払えば異教徒の存在を認めていた。但しイスラム以前の偶像崇拝は一層されている。
オスマン帝国のパクス・イスラミカすら、寛容性ではムガル朝インドや清朝中国に及ばない。ムガル朝第6代君主アウラングゼーブの治世には異教徒弾圧があったが、元からヒンドゥー教徒が圧倒的多数派ゆえ激しい反乱が起き、それが帝国の弱体化を招く。清朝もキリシタンに対しては日本以上に峻厳な姿勢で臨んだが、治安を乱さぬ限りは黙認していた。
ズィンミー制度には批判的な日本のイスラム研究者もおり、殊に池内恵氏は、「日本の研究者の多くは鈴木董のオスマン帝国におけるズィンミー制度の研究成果と見解を引用し、ズィンミー制度に高すぎる評価を下しているとしている」という。wikiにもズィンミー(イスラム政権下における庇護民)への様々な迫害や強制改宗が紹介されており、21世紀の人権概念では到底受け入れられない制度だろう。
多くのイスラム学者はジズヤは屈辱的な方法で徴収されなくてはならないと考えており、ガザーリー(1058-1111)もこう述べていた。
「ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてマギ教徒(ゾロアスター教徒の別名)はジズヤを支払わなければならない……ジズヤを差し出すにあたっては、役人がそのあごひげをつかみ、耳の下の出っ張った骨を打つ間に、そのズィンミーは頭を垂れていなくてはならない(たとえば、下顎……)。」
中世イスラム世界最大の神学者・哲学者とされているガザーリーすら、ズィンミーへの屈辱的な扱いを当然視していたのだ。彼自身は教条的神学者を批判、「神の大きな慈悲を自分に忠実な者に限定し、天国を神学者の小さな派閥の聖禄地(ワクフ)にする」人たちをを軽蔑していたことが『イスラーム世界の二千年――文明の十字路中東全史』(バーナード・ルイス著、草思社)第12章に見える。
ゾロアスター教徒はオスマン帝国にはいなかっただろうが、イランには少数派でもかろうじて存在していた。ただ、19世紀になってもインドに亡命したケースもあり、非ムスリムにとってはズィンミー制よりもカースト制の方が待遇が良かったとなる。
千年前のイスラム神学者がズィンミー制度をつゆ疑わなかったのは当然にせよ、21世紀のムスリムには今なおズィンミー制度適用への願望が残存、その優越性を主張する者が一部いるという。ズィンミー制への批判に対しては反宗教主義の決め付けが常らしい。
その②に続く
◆関連記事:「イスラムの寛容」
「加害者としてのイスラム」
は読んだことがあります。まあMUGIさんのブログ記事で異教徒への寛容の実態がわかってきて、
現在進行で考えが変わってきています。
> 多くのイスラム学者はジズヤは屈辱的な方法で徴収されなくてはならないと考えており
ちょっと驚きです。ことに帝国で多くの異民族 異教徒を内包しているのに?無用の反発しかないような。帝国の円滑な統治より宗教的情熱が勝って
しまうのか・・・・・・。政教一体の国だと
こういうのものなのでしょうか。
節税目当ての改宗者も少なくなかったし、バルカンでは改宗してもジズヤを取ったケースもあります。
それでも帝国の円滑な統治より宗教的情熱を優先させるのがイスラム学者です。イスラム学者が説けば信者にも影響があります。異教徒の反発にはジハードで鎮圧すればよし。こうなれば宗教的情熱というよりも宗教的義務になります。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784065208366
オスマン帝国の宮廷料理とは面白そうですね。サラーム海上氏の『イスタンブルで朝食を』は美味しそうでしたが、宮廷料理となればさぞ豪勢だったはず。
15年前に他社から出版されていましたが、今回は文庫版で復活ですか。発売は9月半ばなので楽しみです。