その①の続き
2番目に登場したのはエジプトの楽団「カイロ・オペラハウス・アラブ音楽アンサンブル」。アラブ音楽らしく、これも哀愁漂うゆったりとしたメロディーであり、西欧のギターの祖とされる弦楽器ウードと小型の琴カーヌーンを奏でるのは、やはりアラブ式。楽団指揮者はチビ、デブ、ハゲ(失礼
)の三拍子揃った人物だが、エジプト歴代大統領の前での演奏体験を持つ人物。
男性歌手による歌曲「美しい人とナイルのほとりで」はよかった。司会の館形氏によれば、自由恋愛の許されぬアラブ社会で、恋人に会うためナイルのほとりを歩いたそうで、この大河はデートスポットでもあったとか。歌手の声がよいのは当り前だが、アラビア語による歌は実に朗々として響きがよい。さすがコーラン(正確にはクルアーン、音読されるものの意)を生んだだけある。
私がもっとも見たかったウズベキスタンの芸術団は最後に登場した。民俗音楽グループ「レギスタン」と民族舞踏団「オファリン」による公演で、前者が初めにウードやカーヌーン、ドイラなどを用いて演奏する。中東音楽のように哀愁感も混ざっているが、それよりもテンポが実に速く、思わず踊りたくなるような元気のよい曲の印象が強い。かつて唐時代の中国でもてはやされた胡樂(西域の音楽)は、このようなものだったのか。胡樂は笛、鼓、シンバルなどで奏していたらしく、現代のバンドにちかいものであったと思われている。
音楽の次は女性歌手による歌曲「サマルカンドの娘」。誌的で文学的なエジプトの歌曲と違い、プレイボーイに言い寄られた娘の気持を表した世俗的で親しみやすい歌詞だった。
そして、「オファリン」(成功の意)による民族舞踏。舞踏するのは鮮やかな民族衣装をまとった4名の女性。長い髪は細かく幾つも編まれ腰まで達している。ギリシアの女性民族舞踏と違い、彼女達は終始笑顔で舞踊るのもいい。これぞ、唐時代の胡旋舞なのか。「舞は急転して風の如し」と記録にあるように、バレエのように手を上げ旋廻する。時々、踊り手たちが出す「オワッ!」という高めの掛け声は、少し驚いたが、シルクロードを感じさせるのはやはりこの踊りだった。ウズベク人の血が濃いのか、彼女たちの顔立ちはかなりアジア風で、日本人と似ていた。「オファリン」の舞踏だけで、今回の公演に来てよかったと思った。
アレキサンダーの第一王妃ロクサネはソグディアナの豪族の娘である。ソグディアナこそ現代のウズベキスタンで、当時の住民はウズベク人のようなテュルク系ではなく、白皙碧眼のアーリア系だった。ずっと時代を下った7世紀、この地を訪れた中国僧・玄奘三蔵の記録からも、現地人が彫りの深いアーリア系だったことが分る。一説にはアレキサンダーの愛馬ブケパロスもまた、王妃と同じく中央アジアの出だったと言われる。馬はともかく、何故王は東征の果て、第一王妃にアケメネス朝の皇女ではなく土豪の娘を選んだのか、古代から知識人の意見は様々分かれている。
公演で司会・解説役の館形氏はある問いかけを出す。「アレキサンダー大王は征服者か、それとも……」。この設問に館形氏は征服者であると断定もしなければ、否定もしていない。ただ、明言は避けたが舞台の流れから、池田会長の解釈どおり「単なる征服者ではなく、<人類を統一する>という<見果てぬ夢>に生きた」人物と認識させたいのは明らかだ。ギリシアの民族舞踏団団長ネリー・ディモグル女史の意見も紹介され、女史はアレキサンダーを武力だけの征服者などではなく、ギリシア文明の伝道者と言う。当り前ではないか。ギリシアが生んだ世界史上の偉人をギリシア人の女史がこう力説するのは。
アレキサンダーに滅ぼされた側であるイラン(旧ペルシア)は、歴史教科書で彼をどう描かれているのか、是非知りたいものだ。彼により徹底的に破壊、放火され、今は遺跡と化したペルセポリスは、それでも見る人を魅了する。欧米人観光客が大半だが、日本人観光客にアレキサンダーがいかに惨いことをしたのか語った現地人ガイドもいたそうだ。紀元前からの遺恨があるというより、祖国を蹂躙した異民族侵攻者全てに王を重ね合わせてしまったのかもしれない。
一方、エジプトの教科書はそれほど悪く書かれていないと思う。アレキサンダーが来る前。エジプトはアケメネス朝の支配下にあり、大王によって“解放”されているのだから。ペルシアを一掃した後、アレキサンダーの臣下プトレマイオスがエジプト王として君臨、プトレマイオス朝による支配となる。ちなみにインドの教科書では、アレキサンダーが侵攻したのは北西部だけだったにも係らず、征服者となっている。
'04年制作の米映画『アレキサンダー』では、アンソニー・ホプキンス扮する老境のプトレマイオスが語り部となっており、彼が側近に語った言葉は意味深い。「異なる民族との融合?下らない。征服の口実に過ぎない」「夢想家に振り回された」…
非業の最期を遂げた他の大王の部下達と異なり、長命を保った智将でもあるプトレマイオスは、「異民族との融和」など信じていなかったのだろう。歴史を変えるのはやはり夢想家たちなのか。
◆関連記事:「映画アレキサンダー」「マザコン」
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2番目に登場したのはエジプトの楽団「カイロ・オペラハウス・アラブ音楽アンサンブル」。アラブ音楽らしく、これも哀愁漂うゆったりとしたメロディーであり、西欧のギターの祖とされる弦楽器ウードと小型の琴カーヌーンを奏でるのは、やはりアラブ式。楽団指揮者はチビ、デブ、ハゲ(失礼

男性歌手による歌曲「美しい人とナイルのほとりで」はよかった。司会の館形氏によれば、自由恋愛の許されぬアラブ社会で、恋人に会うためナイルのほとりを歩いたそうで、この大河はデートスポットでもあったとか。歌手の声がよいのは当り前だが、アラビア語による歌は実に朗々として響きがよい。さすがコーラン(正確にはクルアーン、音読されるものの意)を生んだだけある。
私がもっとも見たかったウズベキスタンの芸術団は最後に登場した。民俗音楽グループ「レギスタン」と民族舞踏団「オファリン」による公演で、前者が初めにウードやカーヌーン、ドイラなどを用いて演奏する。中東音楽のように哀愁感も混ざっているが、それよりもテンポが実に速く、思わず踊りたくなるような元気のよい曲の印象が強い。かつて唐時代の中国でもてはやされた胡樂(西域の音楽)は、このようなものだったのか。胡樂は笛、鼓、シンバルなどで奏していたらしく、現代のバンドにちかいものであったと思われている。
音楽の次は女性歌手による歌曲「サマルカンドの娘」。誌的で文学的なエジプトの歌曲と違い、プレイボーイに言い寄られた娘の気持を表した世俗的で親しみやすい歌詞だった。
そして、「オファリン」(成功の意)による民族舞踏。舞踏するのは鮮やかな民族衣装をまとった4名の女性。長い髪は細かく幾つも編まれ腰まで達している。ギリシアの女性民族舞踏と違い、彼女達は終始笑顔で舞踊るのもいい。これぞ、唐時代の胡旋舞なのか。「舞は急転して風の如し」と記録にあるように、バレエのように手を上げ旋廻する。時々、踊り手たちが出す「オワッ!」という高めの掛け声は、少し驚いたが、シルクロードを感じさせるのはやはりこの踊りだった。ウズベク人の血が濃いのか、彼女たちの顔立ちはかなりアジア風で、日本人と似ていた。「オファリン」の舞踏だけで、今回の公演に来てよかったと思った。
アレキサンダーの第一王妃ロクサネはソグディアナの豪族の娘である。ソグディアナこそ現代のウズベキスタンで、当時の住民はウズベク人のようなテュルク系ではなく、白皙碧眼のアーリア系だった。ずっと時代を下った7世紀、この地を訪れた中国僧・玄奘三蔵の記録からも、現地人が彫りの深いアーリア系だったことが分る。一説にはアレキサンダーの愛馬ブケパロスもまた、王妃と同じく中央アジアの出だったと言われる。馬はともかく、何故王は東征の果て、第一王妃にアケメネス朝の皇女ではなく土豪の娘を選んだのか、古代から知識人の意見は様々分かれている。
公演で司会・解説役の館形氏はある問いかけを出す。「アレキサンダー大王は征服者か、それとも……」。この設問に館形氏は征服者であると断定もしなければ、否定もしていない。ただ、明言は避けたが舞台の流れから、池田会長の解釈どおり「単なる征服者ではなく、<人類を統一する>という<見果てぬ夢>に生きた」人物と認識させたいのは明らかだ。ギリシアの民族舞踏団団長ネリー・ディモグル女史の意見も紹介され、女史はアレキサンダーを武力だけの征服者などではなく、ギリシア文明の伝道者と言う。当り前ではないか。ギリシアが生んだ世界史上の偉人をギリシア人の女史がこう力説するのは。
アレキサンダーに滅ぼされた側であるイラン(旧ペルシア)は、歴史教科書で彼をどう描かれているのか、是非知りたいものだ。彼により徹底的に破壊、放火され、今は遺跡と化したペルセポリスは、それでも見る人を魅了する。欧米人観光客が大半だが、日本人観光客にアレキサンダーがいかに惨いことをしたのか語った現地人ガイドもいたそうだ。紀元前からの遺恨があるというより、祖国を蹂躙した異民族侵攻者全てに王を重ね合わせてしまったのかもしれない。
一方、エジプトの教科書はそれほど悪く書かれていないと思う。アレキサンダーが来る前。エジプトはアケメネス朝の支配下にあり、大王によって“解放”されているのだから。ペルシアを一掃した後、アレキサンダーの臣下プトレマイオスがエジプト王として君臨、プトレマイオス朝による支配となる。ちなみにインドの教科書では、アレキサンダーが侵攻したのは北西部だけだったにも係らず、征服者となっている。
'04年制作の米映画『アレキサンダー』では、アンソニー・ホプキンス扮する老境のプトレマイオスが語り部となっており、彼が側近に語った言葉は意味深い。「異なる民族との融合?下らない。征服の口実に過ぎない」「夢想家に振り回された」…
非業の最期を遂げた他の大王の部下達と異なり、長命を保った智将でもあるプトレマイオスは、「異民族との融和」など信じていなかったのだろう。歴史を変えるのはやはり夢想家たちなのか。
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