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カラーシュ族/アレキサンダーの子孫?

2009-05-25 21:29:33 | 歴史諸随想
 アフガニスタン国境に近い、パキスタン北西辺境州北部チトラール県の谷にカラーシュ族(Kalash、カラーシャとも)と呼ばれる少数民族が住んでいる。人口およそ3千人とされ、ヒンドゥークシュ山脈に位置するこの地帯では珍しい非ムスリムである。カラーシュ族の文化を紹介したサイトもあり、彼ら自身は一般にアレキサンダー大王遠征軍の末裔と思われている。

 数年前だったか、カラーシュ族を映したTV放送があり(番組名は失念)、彼らは宗教が異なるだけでなく、周囲のムスリムと容貌も異なり、碧眼の人々が少なくなかったことに驚いた。女性はブルカなど被らず、鮮やかな刺繍のある民族衣装とビーズの装身具を身につけ、端正な顔立ちはガンダーラ仏像のようだ。
 さらに村の伝統的な祭りも興味深い。若い男と女同士が横並びになって向き合い、手拍子をとりながら恋の歌を歌う。かつて日本にもあった歌垣を思わせ、イスラム社会のような厳格な男女隔離のない伸びやかさは微笑ましい。

 しかし、祭りの最中、拡声器からアザーンによる「アッラーフ・アクバル」(神は偉大なリ)が村中に響き、その時見せた村人たちの不安げな表情は忘れ難い。過去、カラーシュ族の住む地は「カフィリスタン」(不信仰者の地)と呼ばれ、これは異教徒に対する蔑称カーフィルから来ている。不信仰者呼ばわりされるだけなら問題はないが、“真の宗教”イスラムの布教活動も熱心なムスリムの常として、武力で強制改宗を迫られたこともあったという。村の族長や有力者を強制連行、改宗を無理強いしたそうだ。かつてアフガン側にもカラーシュ族はいたが、19世紀末、アフガン王による強制改宗でカラーシュ族は棄教、チトラールにいた部族が辛うじて改宗を免れる。チトラールのカラーシュ族の若者の間ではイスラムへの改宗が増えていると、番組で伝えていた。

 彼らのルーツが古代ギリシアなのか真実は不明だが、アレキサンダーがアジアに屯田兵を置いたことは確かである。彼らが建国したバクトリア王国(現アフガン北部)やインド・グリーク朝は特に知られており、東西交流史の典型とされる。アレキサンダーの時代、ヒンドゥークシュ山脈一帯はもちろん、ちかくの中央アジアも原住民はアーリア系だった。アレキサンダーの屯田兵が現地人と結婚したにせよ、元からアーリア系同士、容貌にそれほど違いはなかったと思える。

 サイトにあるカラーシュ族の浄不浄の概念も興味深い。女の生理と出産は不浄とされ、この時は家を出てバシャリと呼ばれる小屋に篭もらなければならない。その間、祭礼に捧げられた山羊の肉、はちみつも口にできず、水を飲む時は直接コップに口をつけることも禁じられるといったタブーがあるとか。かつてゾロアスター教徒も女の生理を不浄と見なし、この間女性信者は母屋を離れた小屋に隔離されるしきたりがあった。ゾロアスター教に限らず、カラーシュ族のこの習慣は古代アーリア系で一般的だった伝統の名残かもしれない。

 また、カラーシュ族の結婚も面白い。娘が十代の前半になると、親はその結婚相手を決め、祭りを機会に相手の家に送りこむ。相手の家族と短期間一緒に暮らし、また実家に戻るということを数年間繰り返す。やがて子供が生まれると、ようやく夫の家に落ち着くそうだ。もし、相手とうまく行かず子供がない場合(いる場合も)、他の男と駆け落ちすることも可能とか。その場合、前夫が妻の家族に贈った結婚の贈り物(家畜、鍋瓶、現金など)を、新しい夫が元夫に全て倍返する。足入れ婚は他国にもあったのか。

 アレキサンダーの母オリュンピアスはエペイロス王家の出で、当時この地は土俗的かつ熱狂的な原始信仰が信仰されていた。祭祀では酒に酔い、薬草も使用、狂喜乱舞の果て性的放逸を尽くし、恍惚を味わったという。アレキサンダーの父との出会いもサモトラケ島で催された祭儀だった。古代の神事は性交渉も含まれていたことに現代人は驚くが、日本の歌垣も“野合”目的もあったのだ。カラーシュ族にエペイロスのような祭儀があったかは不明だが、女性隔離の果て、名誉の殺人を犯す現代人と古代人でどちらが野蛮なのだろう?

 イランのゾロアスター教徒と同様、ヒンドゥークシュ山脈山間のカラーシュ族がムスリムにより圧迫され、辺境の地に住み着き、独自の宗教と伝統文化を守り抜いたのだろう。伝統墨守には理想的だが、発展から取り残されるのは確実だ。山岳地帯という地理的条件のため、外部と交流も出来ず、彼ら自身は文字を持たなかったゆえ、カラーシュの歴史は謎となっている。
 それまでは自給自足で生活基盤が成り立っていたが、'80年代始めジープ道路の開通以降、貨幣と物質が入り込み、自給自足制も壊れてきているようだ。「目覚め-あるカラーシュ女性」というサイトには、カラーシュ女性として初めて大学を卒業したラクシャンさんのインタビューが載っている。教育を受けたのは地元のモスクコーランも学んだそうだ。

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2 コメント

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桃源郷伝説 (室長)
2009-05-27 01:20:02
そういえばHunzaが、昔NHK番組だったかで、英国などにおける桃源郷伝説発祥の土地と呼ばれたとか、アレクサンダーの末裔が住む土地だとか、紹介されていたような、怪しげな記憶がある。Kalash族の土地は、このHunzaと近いのでしょうか?

バルカン専門の小生にとり、古代マケドニア人は、ギリシャ文明、文化を導入していたとしても、本来は別言語だったようだし、どの程度ギリシャ系なのか未だに謎です。
とはいえ、Hunzaあたりの衣装とか、チベット族の衣装、雲南少数民族の衣装などは、近代ブルガリア、マケドニア、ギリシャなどのバルカンの民族衣装とよく似ていて、まさか紀元前のマケドニア王国(ギリシャ風俗)の衣装が東アジアにまで到達したのか?と疑うほどで、この「民族衣装の類似」と言うことも不思議でした!!

他方、雲南省の少数民族達の米作(陸稲もある)文化とか、歌垣の風習などは、日本文化との関係も言われる:この点は、むしろ揚子江河口部に存在した稲作文明の人々が、戦国時代などに北方から来た漢民族の圧迫を受けて、雲南省に逃げたと推測されているようです。すなわち、日本には、揚子江河口部にいた稲作文明の人々(倭族?)が、船で沿岸を北上、山東省あたりから東に向かい、まず朝鮮半島南部、その後北九州に上陸、という倭族=弥生系の到来経路が想像できる。倭族は、雲南少数民族と近い人々だったらしい?従って、弥生系にも出産、死にまつわる不浄意識があり、平安時代までそれがあったようだし。

しかし、キリスト教でも、女性、出産、生理など全てが不浄と見て、教会は敵視したらしい(キリスト教暗黒の裏面史によると)。
足入れ婚としては、日本は男が通うやり方で、しかし雲南の少数民族にもそういう風習があったりする!
まあ、世界史は不思議だらけで面白い。
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Re:桃源郷伝説 (mugi)
2009-05-27 21:52:38
>室長さん

 Hunzaのことは知りませんでした。ネット検索したらHunzaの住む所は、パキスタンと中国の国境近くのカラコルム山脈にあるようです。辺境ゆえ独自の文化が保たれたようですね。

 古代マケドニア人がギリシア系なのか、未だ謎とされているのですか!ギリシアの諸都市から蛮族視されていたにしても、本当は系統が別の民族だった??
 正倉院の御物の1つ腰鼓(ようこ)と、Kalash族の打楽器ワッチは極めて似ており、これもシルクロード、中国を経て伝わったのか、興味深いものがあります。インドの民俗音楽を見た時も、似たような楽器を使っていました。ギリシアの文化局はKalash族に注目、支援などして、最近のKalash族の女の子にはギリシア風の名前を付けることが多くなってきたそうです。

 キリスト教会もまた女性、出産、生理など全て不浄と見ていたとは知りませんでした。古代の風習がそのまま取り込まれたのかもしれまんが、古代は魔女狩りまではしなかった。魔女狩りは世界史上もっともひどい迫害です。
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