トーキング・マイノリティ

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太陽 2005年【露、伊、仏、スイス】アレクサンドル・ソクーロフ監督

2006-10-06 21:13:57 | 映画
 人間・昭和天皇の苦悩を描いた外国映画。天皇役のイッセー尾形は品位がさして感じられないのは、監督が自国の皇帝一家を皆殺しにした歴史を持つロシア人だからか?

 映画は地下防空壕で食事を取る昭和天皇を映すシーンで始まる。洋食だった。侍従たちが天皇を戦後も「お上」 と呼んでいたのは面白い。皇后や皇太子たちは既に疎開しており、天皇だけが東京の防空壕に留まっていた。天皇は身を潜めた防空壕で、空襲の恐怖に脅えつ つ、何故日本がアメリカと戦争に至ったか、思いを巡らす。アメリカの排日移民法が日本人の対米感情を大いに悪化させた、と原因を求めている。もちろんそれ だけが原因ではないにせよ、未だに白人移民には寛容でも有色人種を制限している事情は、戦前と比べどれだけ変化したものか。

 昭和天皇が海洋生物の研究に熱心だったのは知っていた。映画ではヘイケガニの標本を満足そうに見つめる場面がある。さすが衣食住に不自由しないお上は、戦時中でも違うと苦笑したが、戦局の様々な重圧から解放される気晴らしとなっていたのだろう。
 イッセー尾形は天皇の口調や口癖を熱心に真似たのは確かで、有名な「あっ、そう」の言葉が何度も出てきた。
 東京空襲のシーンは映像が独特だった。焼夷弾が羽を付けた魚となり、空中を泳ぐ姿となる。この翼のついた魚が空を舞い、米軍爆撃機も同じく魚の格好になる場面は炎以外はほとんどモノクロで、映像美さえ感じられた。

  映画の展開で意外だったのは、防空壕で過ごす日々からいきなり戦後の時代になったことだ。玉音放送をめぐるエピソードは一切なし、天皇が壕を出るや、庭の 丹頂鶴を捕まえようとしているアメリカ兵が登場。皇居にもアメ兵が駐留するのは当然にしても、皇室に特に関心も敬意も薄い私でさえ、敗戦国の立場を殊更感 じさせられた。どうしたものか、ふっと、セポイの反乱(1857-59年)後のムガル皇帝一家の悲劇を思い出した。皇帝バハードゥル・シャー2世の2人の 皇子は囚われた後即座に英国将校に殺害され、父帝は83歳でビルマ(現ミャンマー)に流刑となり、4年後の1862年死亡する。

 天皇は 米兵の運転する車に乗り、マッカーサーとの会見に臨んだ。途中、車窓から廃墟と化した東京で民衆が困窮する姿を目にする。戦勝国司令官としてマッカーサー は日本の事情を知る通訳の忠告を無視し、はじめ極めて尊大な態度で天皇に接した。天皇はマッカーサーと英語でも話す。会見した後、マッカーサーは天皇を世 間知らずの子供のようだと見なして、姿勢にも変化が表れる。
 天皇の写真を撮ることが認められた米兵は皇居の庭に押しかけ、天皇と勘違いした侍従 に盛んにカメラを向ける。本物の天皇が現れ庭のバラの前での写真撮影と相成るが、兵士たちは観光の記念写真のようなものだった。誰かがチャップリンに似て いると言い出し、ヘイ、チャーリーと声をかける者もいた。

 映画の最後で昭和天皇は国の安定と平和のために自ら現人神であるのを降りる決心をする。疎開先から戻ってきた皇后(桃井かおり)に決意を話して、幕となる。

  この映画は外国人監督による昭和天皇の解釈だが、私には最後の国の安定と平和のため自ら現人神であるのを降りる決意をした顛末は、どうも疑問を感じる。天 皇は現人神であることの重圧も口にしているが、少し庶民感覚過ぎるのではないか?天皇に限らず他国の王侯貴族の例でも程度の差はあれ、自分の家系存続のた めには民や国の平和や安定を犠牲にする徹底した貴族精神を持っているのだ。民のことを口にしても、まず尊重するのは己の血筋であり、自分たち一家の身の安 全が保障されるなら敵国とも通じるえげつなさがある。イスラム世界の法王のようなカリフも兼ねていたオスマン・トルコ末期の皇帝たちなど、まさにそうだっ たし、インドのマハーラージャーもムガル朝に伺候した後はイギリスと友好も結ぶ。日本の公家もサムライがまだ権力のなかった頃、平気で寺院建設のため莫大 な資金を提供させていた。天皇家は公家の大ボスであり、時の権力者と組んでお家安泰を図る手段に実に長けている。

 ただ、王族というのもあれで結構重宝なものなのだ。人間社会は常に指導者を必要とするものであり、指導者なき民衆集団は烏合の衆と成り果て、敵に簡単に征服されるのだから。
 「ローマ皇帝を書くなら、ローマ皇帝になったつもりで書け」と言ったのはゲーテだが、ロシア人監督は現代庶民感覚に偏りすぎているのではないか。

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