トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

マレーナ 00/伊・米/ジュゼッペ・トルナトーレ監督

2012-06-19 21:11:14 | 映画

 日本公開時の2001年、この作品を映画館で見ている。行きつけのビデオ店にあったディレクターズ・エディション版DVDを、先日レンタルし見た。映画版にはなかったシーンも収められており、改めて良い作品だと思った。この作品で初めてモニカ・ベルッチという女優を知ったが、日本公開時にはまだ「イタリアの宝石」とは呼ばれていなかった。wikiに載っているあらすじは次の通り。

時は第二次世界大戦、物語の舞台となるのはイタリア、シチリア島。主人公の少年レナートは12歳でありながら、自分より年上のマレーナに夢中でいた。マレーナは町中の男達にとって女神のような存在、しかしその反面町中の女性からは嫉妬の的であった。レナートは毎日がマレーナのことで頭が一杯であった。そして、できるだけマレーナに近付き、傍で見守ってきた。
 しかし、マレーナの夫はその後まもなく戦場に向かい、帰らぬ人となり、父親は空爆で命を落としてしまった。生きていく術を無くした彼女は徐々に自分の身を男達に投じていくようになる。時代の波と周囲の誹謗中傷にさらされる彼女を幼いレナートはただひたすら見守ることしかできなかった…



「マレーナは町中の男達にとって女神のような存在」とあるが、女神のように崇拝され大切に扱われていたというより、飛び抜けた美貌ゆえに常に好奇の目で見られ、欲望の対象だったという方が相応しい。夫は結婚後僅か二週間で戦地に向い、家族は耳の遠い老いたラテン語教師の父だけ。結婚と共に父娘はレナートの住む町にやって来たらしく、マレーナの後ろ盾になる者もいなかった。
 町で彼女は絶えず注目の的であり、女たちはもちろん男たちも口さがない噂話をしており、話題は決まってマレーナには情夫がいるというものだった。大人がこの調子なので少年もませており、彼女が町を歩けば子供達までが追いかけて見る有様。上の画像はそのシーンで、少年たちが鈴なりに彼女を待ち構えている。マレーナが通り過ぎても、自転車で追いかけるのだ。「身体中を舐め回してぇ」 「いいケツしている」と十代半ばの少年までが言うのは、さすがイタリアか。

『ローマで語る』(塩野七生著、集英社)によれば、昔のシチリアでは美女というだけで不身持と思われていたそうだ。美女ならば男が放っておくはずがないし、それゆえマレーナは証拠もないのに身持ちの悪い女という烙印を押されてしまう。だが、不身持どころか夫一筋の人妻だったのだ。それに加え彼女はあまり社交的ではない。こうなると同性からは「気取っている」と思われ、爪はじきされるようになる。それが彼女の悲劇と転落の元になっていく。
 夫の死後、マレーナへの誹謗中傷はますます酷くなり、真実を知っているレナートは悩むもどうすることもできない。父を亡くし、天涯孤独になった彼女は生きていくため、ついに娼婦になる決意を固める。長い黒髪を切り落とし、金髪に染めるシーンは印象的だった。

 町にはドイツ兵が駐屯するようになり、彼女は彼らの相手をする。しかし米軍の進軍後、マレーナは町の女たちから集団リンチを受け、裸同然で町を追われる羽目になる。そのシーンの動画もUPされており、暴行で痛めつけられる様はかなり凄惨。この場面を挙げ、女の恐ろしさを言う映画レビューが多かったが、それを止めなかった男たちの冷淡さを批判した意見もあった。当然女性からの意見で、確かに「用済みになった女」には男は見向きもしないのだ。



 マレーナが町から去った後、戦死したはずの夫が帰還する。妻の転落を知り衝撃を受ける彼だが、レナートはそんな夫に彼女がずっと愛していたのは貴方だけだったという手紙を送る。それにより夫は妻の行方を探す。
 一年後、マレーナは夫と共に町に戻る。夫婦の帰郷に驚く町の人々だが、やはり同性の見方は興味深い。太ったよう、目じりに皺が出ている、わき腹がたるんでいる、昔の面影はない等々。マレーナが市場に行っても女たちはかつてとは違い声をかけ、親切に振る舞う。容色が衰えてようやく寛容になったという所に、女の嫌らしさが表れている。

『ローマで語る』にはこの作品はシチリア人の醜さがよく描かれているという一文があり、監督ジュゼッペ・トルナトーレもシチリア人である。保守的で噂好きの傾向は東北にも通じるものがあり、プロモーションで来日したモニカ・ベルッチも南イタリアの封建性をこぼしていたのを憶えている。
 映画で救いなのは主人公の少年。マレーナを影から常に見守っていたが、アクションを起こしたこともある。隙を見て彼女のパンティを盗み、そのニオイを嗅いでいるシーンは笑えた。その夜は女の下着を顔に乗せて熟睡、翌日親に見つかり大目玉をくらう。下着泥棒のすることは洋の東西変わりない。ただ、父親が町の娼館にレナートを連れていき、性の手ほどきを受けさせたのもイタリアらしい。エンニオ・モリコーネの音楽もよかった。



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6 コメント

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以前のエントリーの続きです (のらくろ)
2012-06-20 01:43:48
あのエントリーが、「特別手続」のみのコメント受付に変ってしまったので、どうしたものかと思っていたら、ありがたい(?)具合にmugiさんにまた釣り針をたらしていただきましたので、ダボハゼよろしく喰いつきました。

ただし、ネタとしては前回の引き続きです。

>「オスの泌尿器」はどのオンナにとっても禁忌の対象でしかないのに対し、「男性器」“状態”ならば、まあ千三つ、つまり千人に3人くらいは「釣られる」オンナも出てくるかもしれない。

とは前回書いたが、実は「露出男」はその3人にすらダメ出しされるに違いない。それについて解説する前に、「婚活したらすごかった」(石神賢介・新潮新書)から引用する。

婚活界はおおむね「女高男低」
「なぜこの人にパートナーがいないのだろう?」
いつも不思議に思う。容姿も悪くなく、身なりもきちんとしていて、話し方に知性も感じる女性は珍しくない。
それに対して、男性の参加者にはなかなか強烈な人が多い。髭をきちんと剃っていない人、眉毛ぼうぼうの人、過剰に肥満している人、など。男性とは基本的に会話はしないので、人によっては魅力的な内面を持っているのかもしれないが、少なくとも外見からは判断できない。
「オレが女だったら、こいつとキスは無理だなあ」
そう感じてしまう。

以上は、著者が某お見合いパーティーの席において、自らも婚活中の際に見聞したことである。

人生の伴侶と出会いたいはずなのに、オトコ側はこの体たらく。「過剰に肥満」はともかく、「髭をきちんと剃っていない」、「眉毛ぼうぼう」は、パーティー、それも人生の伴侶探しのためのパーティーに、こうまで身だしなみに無思慮で臨んでしまう無神経さにあきれるほかはない。

で、それがどう露出男に関係するかって?

人生の伴侶に出会うべくパーティーに出かける男であるから、意識のそこに「女の人に気に入ってもらいたい」という思いは絶対にあるはずである。ところがそういう男でも、「髭をきちんと剃っていない」、「眉毛ぼうぼう」なのだから、当然アソコは○○○スだらけのハズ。「何もパーティーのあと即ホテルじゃないんだから」は言い訳にすぎない。万に一つでも可能性があるのなら、備えはすべきなのだ。○○カ○は相手にとってはもちろんだが、自身にとっても貯めておいていいことは何もなく、むしろ害にしかならないのだから。当然掃除しておくべきなのだ。

「女の人に気に入ってもらいたい」婚活男がこれでは、「オンナを見下している」露出男が○ン○○掃除などしているわけがない。だが、このチ○○○のせいで、千のうち三の「興味津々」オンナを一気に幻滅させ、「興味津々→憎さ百倍」となること間違いなく、もともとが「肉食」なり「猛禽」なのだから、この「粗末なシロモノ」に対し、嘴、爪、牙で激しい攻撃をかけるに違いないのだ。オーコワ
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この映画「マレーナ」 (えびせんZ)
2012-06-20 17:44:33
私は男性ですから、少年の気持ちがわかる気がします。
映画の展開は酷かったですね。 ディーノ恐ろしや
この映画を見て、少年の思いは救いになりました。 憧れ、恋心、もう無くしたかな?
フェリーニの「ローマ」を連想するのは私だけ?
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RE:以前のエントリーの続きです (mugi)
2012-06-20 21:34:17
>のらくろ さん

 あの記事をログイン式にしたのも耶蘇虫を締め出すためで一時的なことで、今は元通りにしました。そうでないと、何度も連投しますから。コイツはクッキングホイルさんのところでまたもHNを変えて参上したようです。管理人、常連さんには見透かされていますが。
http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-148.html#cm

「婚活したらすごかった」という体験談も出ていたのは面白そうですね。過剰に肥満やひげぼうぼうでも彼女がいる者もいますが、そんな男たちなら婚活する必要はないのでしょうね。お見合いパーティーの席でこうも無精ならば、非常識としかいいようがない。
 そして無精男のアソコは○○○スだらけのハズというのは、さすがですね。私にはそんな発想は出来ませんでした(笑)。パーティーのあと即ホテルと“臨戦態勢”の男性ならば、肝心のモノはきれいにしておくだろうし、そんなタイプは婚活で早々と“内定”するでしょう。

 露出男と婚活無精男が同じタイプというのも納得。「興味津々」ではない千のうちの997人のオンナも、チ○○○塗れよりもクリーンな「短○」を選ぶはず。
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RE:この映画「マレーナ」 (mugi)
2012-06-20 21:36:03
>えびせんZさん、

 大人がやればストーカーやセクハラ行為ですが、少年ならばまだ許されます(笑)。映画のラストで、この先も多くの女性を愛するだろうが、初めて愛した女性は忘れない…のようなナレーションが入りましたね。

 確かに映画の展開は凄かったですね。もしマレーナに子供がいれば、あれほどの迫害は受けなかったかも。私も女なので、彼女を虐めた女たちの気持ちもわかる気がします(汗)。
 フェリーニの「ローマ」は未見ですが、「道」は名作でした。
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不潔な○●、清潔な●○ (のらくろ)
2012-06-25 20:46:28
mugiさんの前コメに返しつつ、本エントリーにも若干かかわるのでこちらでカキコします。

>チ○○○塗れよりもクリーンな「短○」を選ぶはず。

お見事!なコメ返しでした。

さて、これをオトコ側から言わせてもらうと、「不潔なカワイコちゃん(書いておきながらすっきりしない表現たど思うが 、それでも「不潔な美人」よりは違和感が薄らぐ気がする)より清潔なブサイク」ということでしょう。

前コメに引用した「婚活したらすごかった」にも「身なりもきちんとしていて、話し方に知性も感じる女性」という表現があるが、最近は歳のせいか、不潔なカワイコちゃんよりも清潔なブサイクを応援したくなっている自分に気がつく。ただ、もって生まれたブサイクを受け入れつつも、体や衣服を清潔にと自らを陶冶しているオンナというのを、どうやってきちんと評価したらいいのかよくわからない。「清潔なブサイク」と思って応援していたら、ホントは箸にも棒にも掛からない論外の「不潔なブサイク」だったりしたら目も当てられない。mugiさんに見分け方をご教示していただければと思う。

ちなみに本エントリーに静止画で掲載されているマレーナは、ロングの黒髪に白のボディコン、端正な顔立ちに、肉感的でいてスッキリしたボディ、もう圧倒的な存在感のある「美人」だ。このエントリーの後あわててツタヤで本作をレンタルしてきたが、静止画の前後の場面でボディコンの前側に、歩くときの太腿の動きにつれてガーターの留め金が浮き出る(もちろんボディコンのスカートに隠されてはいるが)ワンカットがあり、これはレナートならずとも“勃起”するわな、と感嘆させられました、と申し上げておく。
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RE:不潔な○●、清潔な●○ (mugi)
2012-06-26 22:10:04
>のらくろ さん

>>mugiさんに見分け方をご教示していただければと思う

 正直に言ってこの質問は意外でした。顔は一目で分かりますが、その女が清潔か不潔かも傍で観察、多少なりとも話をすれば分かると思いますけど…男性には見分けが難しいのでしょうか??

 若いなら多少の不潔も許されるし、まして美女なら尚更です。しかし、ある年齢を過ぎたら不潔は単なる無精に過ぎず、何時までも不潔を続けていれば例え美女であっても、ついにはどうしようもない論外の「不潔なブサイク」に成り果てる。
 俗に40過ぎたら男は顔に自信を持てと言われますが、容色の衰えが目立ってくる女も40過ちかくもなれば性格が顔に表れます。「外面如菩薩内面如夜叉」も若い頃までで、それ以降は夜叉面になってくる。ただし、内面如夜叉でも清潔な身なりをしている者はいますが。

 このエントリーがきっかけで、ついに貴方もツタヤで『マレーナ』をレンタルされましたか!実は私行きつけの店もツタヤです。映画館で見た時、同性でもため息が出るほどの美女だと思いましたね。さすが「イタリアの宝石」と謳われるだけある。ハリウッドと違い、イタリアやフランス映画の女優たちには優雅で美しいタイプが多い様な。やはりラテン系は男女ともにセクシーです。
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