その一の続き
11月22日付の河北新報に、「オウム裁判 終結」というコラムが掲載された。執筆者は映画監督の森達也氏だが、どうしたものか“特別寄稿” と銘打っている。コラムの中心には「異物排除に走った社会」「恐怖と憎悪、動機解明阻む」と大文字の見出しがあり、以下森氏のコラム全文を紹介する。
「最近は私の(死刑判決)の確定が近いということで、マスコミの方からの質問が増えています。でも聞かれる内容が、サリン事件直後に戻ってしまっているような感じなんです」
そう言ってから中川智正は、透明なアクリル板越しに少しだけ困ったように微笑んだ。
「風化したとつくづく思います。考えたらあの頃に小中学生だった世代が、今のオウム担当なんですね。なぜ事件は起きたのかと何度も質問されます。取材内容が継承されていないと同時に、結局は何も解明できていないってことでしょうね」
最高裁判判決まで1ヶ月を切ったこの日は、たぶん中川への最後の面会になるはずだ。東京拘置所6階のこの面会室で僕はこれまで、複数のオウム幹部たちとの面会を繰り返し、手紙のやり取りを続けてきた。今では彼ら全ての死刑が確定することになり、もう会うことも手紙のやり取りもできなくなった。
中川も含めて彼らは皆、多くの人を殺(あや)めた自分が死刑になることは当然だと口にする。遺族や自分の家族への想いを聞けば涙ぐむ。凶暴さや邪悪さなど欠片もない。だから思う。これ程に優しくて善良な彼らが、これほどまでに凶悪な事件を起こした理由とメカニズムを、僕たちは考えるべきだった。しかし結果としてこの社会は、そんな思考や考察を拒絶した。
16年は長い。風化は当然だ。でもオウムがこの社会に与えた後遺症は大きい。しかも過去形ではなく現代進行形で、善悪二元化とセキュリティー化を促進し、管理統制や厳罰化を加速している。
なぜなら地下鉄サリン事件は、不特定多数を標的にしている。1995年3月20日に東京の営団地下鉄に乗っていたら、誰もが被害者になる可能性があったのだ。だからこそ、この社会は危機意識を喚起され、強い被害者感情を一気に共有した。それも恐怖や憎悪や報復感情などの表層で。さらに中川も指摘するように、彼らがサリンをまいた理由を、この社会はいまだに解明しきれていない。つまり動機が分からない。ならば不安が持続することは当然だ。
こうして不安と恐怖を抱え込んだ社会は、集団化や結束を求め始める。これは人類の本能だ。でも9.11後のアメリカが示すように、集団は内部の結束を高めれば高めるほど、外部の敵や内部の異物を探したくなる。攻撃して排除したくなる。さらに集団の同調圧力が強くなることで、全体と違う動きがしづらくなる。こうして集団は、足並みをそろえて暴走する。人類の歴史は、そんな過ちの繰り返しだ。
だからこそ動機を解明するべきだった。弟子たちが麻原彰晃(松本智津夫)に従ったとするならば、麻原が何を思い何を考えていたのかを、追及するべきだった。
でも結果として麻原法廷は、一審だけで確定した。精神が崩壊した可能性がある麻原の治療さえなされなかった。事件の解明よりも集団にとっての敵と異物を抹消することを、この社会が望んだからだ。急激な関心低下が始まったのはこの時期だ。ならばこれは単純な風化ではない。根底で起動していたのは、オウムなどもう見たくもないとする嫌悪と憎悪だ。つまり社会は、自らオウムから目をそむけたのだ。
「もしかしたら、これで最後になります」。立ち上がりかけた中川に僕は言った。中川は少しだけ微笑みながら、「お元気で」とつぶやいた。
出来ることなら同じ言葉を返したい。でも言えない。言えるはずもない。口ごもる僕の目の前で、扉はゆっくりと閉ざされた。
河北新報は森氏をこう紹介している。
-作家・映画監督。56年、広島県生まれ。オウム真理教を内側から描いた映画「A」「A2」などのドキュメンタリー映画を制作。近書「A3」では麻原法廷のいびつさを訴え、サリン事件の謎解明に挑んだ。
その三に続く
◆関連記事:「思想の法廷-J.ネルーの宗教観」
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私も数年前に朝日新聞で同じような記事を見て、ブログにも書いたことがあります。
もしよければご笑覧ください。
http://rootakashi.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-477a.html
私も貴方とほぼ同じような感想をもっているひとりです。
リンクされた記事は見逃してしまい、興味深く拝読させて頂きました。我が家では朝日新聞を購読したことはありませんが、降幡賢一なる者の記事はいかにも…ですね。要するにすべて社会が悪いということですか。何でも戦前の滅私奉公に絡めて結び付け、オウムやイラク人質事件を論じる姿勢には辟易させられます。
残念ながらカルト宗教は日本の特異現象ではなく、先進国ではもっと深刻な社会問題になっています。ブンヤならそれ程度知らないのはモグリとしかいいようがない。犯罪を犯した反社会的宗教信者に対する社会の風当たりも、日本など比べようもないほど厳しいのです。
さらにインド・中東オタクから言わせれば、こちらの迫害はさらに苛烈です。身体生命の保障も難しいし、これぞ本物の排斥の論理がまかり通る。
社会のゆがみの原因を戦後の高度成長に求めるのも安易ですね。こんなバカげたコラムは読む価値もないと思いました。
今訪問したのですが、文章が詰まって読み難く
諦めてしまいました
それと、記事と珈琲さんの文章の区切りが分かりません。
空間のたくさんある文章にしていただけませんかm(_)m
から昨年の死刑執行までずっと同じことしか言って
ませんよね。結局知ろうとしなかっただけじゃない?と思います。
しかしまあ犯人自信が
>彼らがサリンをまいた理由を、この社会はいまだに解明しきれていない。つまり動機が分からない。ならば不安が持続することは当然だ。
とはまあ。呆れて物が言えない。そんなんだから
やっちゃったんじゃない?と言いたくなります。
そして、どう見ても犯人を殺すな!かばってるだけですよね。この弁護の言説も戦前の青年将校の
反乱(5.15や2.26)をかばう言説と一緒。
(腐敗した重臣と財閥と政治家が悪い)
さらに言えば赤軍派などの過激派をかばう言説も
(日本社会がわるい)と犯人以外がわるいと
のパターンなんですよね。日本の知識人て基本的に
戦前も戦後無責任だと思います。そして丸山正男
が東大紛争で自分の研究室がやかれたように自分
に降りかかってから真の抜けたことをいうんですよ。
中川は自分が死刑になることは当然と言いつつ、裁判では控訴、上告していました。他人事のように「結局は何も解明できていない」という神経はやはりオウム幹部でした。そんな中川を「凶暴さや邪悪さなど欠片もない」「これ程に優しくて善良な彼ら」と書く森氏の神経もかなり異様。
基本的に言論に無責任なのが日本の知識人ですが、毛沢東やポルポトを称賛していたフランスの知識人もそれを咎められることはなかったそうです。
丸山正男のエピソードは初めて知りましたが、妻を殺されて死刑賛成派に転じた人権派弁護士がいましたよね。もちろん彼の功績は評価しますが、妻が殺されなければ一生死刑反対論者のままだったことでしょう。