トーキング・マイノリティ

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人を幸福にするはずの宗教? その三

2011-12-05 21:12:04 | 世相(日本)

その一その二の続き
 十人十色なので、森達也氏のコラムを読んだ方の感想は様々だろうし、一応日本では“思想・信条の自由”が認められているので、オウム真理教を支持、擁護する権利や自由はある。それと同時に一切擁護せず批判する権利と自由もある。森氏のコラム内容は私には全く共感できず、終始オウムという「異物排除に走った社会」を糾弾しているとしか思えない。つまり、法を踏みにじったオウム側ではなく、日本社会こそがオウムに歩み寄れ、という主旨に見える。
 この姿勢はオウム御用宗教学者としてバッシングされた島田裕巳と酷似しており、御用学者がいたなら御用映画監督がいても不思議はない。森氏はオウムを扱ったドキュメンタリー映画を制作したそうだが、ドキュメンタリーという作品は事実を装った創作が挿入されたり、印象操作がしばしば行われる。この種のドキュメンタリーは教団のプロパガンダにも適応されるだろう。

 森氏のコラムは中川智正の発言で始まり、中川らオウム幹部を、「遺族や自分の家族への想いを聞けば涙ぐむ。凶暴さや邪悪さなど欠片もないこれ程に優しくて善良な彼ら」とまで持ち上げる。だが、死刑判決を不服としてこぞって控訴、上告したのも中川以下オウム幹部である。これだけでも「多くの人を殺(あや)めた自分が死刑になることは当然だと口にする」ことと矛盾した言行不一致を曝している。
 涙ぐむのも罪悪感からよりも自己憐憫としか見えない。人殺しゆえに己が殺される立場には心底恐怖しているのか。そんな幹部たちを “凶暴さや邪悪さなど欠片もない”“これ程に優しくて善良な彼ら”等、作家らしく安っぽい感傷主義表現を使うも、今更涙ぐんだところで許されるはずもない。

 オウム幹部がサリンをまいた動機、その命令を下した麻原彰晃の思いを社会が追及、解明するべきだと森氏は主張しているが、社会に実現不可能事を要求しているだけなのだ。中川のような麻原の側近さえ動機が分からず、単に尊師の命に従っただけと言い逃れしているではないか。
結局は何も解明できていないってことでしょうね」と他人事のような中川のつぶやきから、事件の動機や解明を社会に押し付けているのが知れる。麻原自身、弟子たちに責任転嫁しており、この師に相応しい幹部だと心底感じた。

 麻原の考えを追及するにせよ、本人が黙秘続ける様ではどうすることもできない。自白剤を用いた拷問がやれるならことは容易だが、今の日本ではこれも不可能事。森氏が書くように精神が崩壊した可能性もあるが、かりに治療を施し正気に戻ったとしても、麻原が事件の動機を正直に告白するとは到底思えない。まして、治療にどれほど時間を要するのだろう?結局のところ、森氏の主張はオウムの代弁であり、死刑執行を出来るだけ先送りにする詭弁に見える。この類の支援者こそ、オウム裁判を長引かせたのだ!つまり、裁判の非効率と税金の無駄に大いなる貢献をした文化人ということ。

 事件の解明を訴える森氏自身、オウム幹部の動機をどこまで解明しているのだろうか。オウム幹部とのインタビューで理解したつもりになっているのは分かるが、解明を繰り返しているのを見れば、氏自身も結局は何も解明できていないのだろう。どんな状態にあっても自己正当化と自己弁明心理が働くのは人間の本能であり、それはオウム幹部や森氏も同様のはず。

「社会は自らオウムから目をそむけた」と森氏は言うが、当たり前ではないか!冷たいことを書くが事件被害者や好事家でもなければ、オウムに関心を持ち続ける人の方が稀なのだ。まして16年の歳月は短くない。自分が関心を抱いていても他人は同じとは限らないという、ごく当たり前な人間心理を無視する氏の方こそ、人間性や社会から目を背けているのだ。
 森氏がオウムの解明に挑むのは自由だが、作家や映画監督という職業柄、一般人とは異なる特殊な関心を持つのも当然だろう。特にオウムなど飯のタネにも格好のネタであり、事件が風化すれば己の作品への関心も薄れる。氏が社会に利いた風な説教をするのも、所詮は多くの視聴者を獲得するための宣伝目的か?
その四に続く

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2 コメント

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Unknown (牛蒡剣)
2019-09-16 22:52:26
最終的に70億人の致死量のサリンを製造
文字通りハゲマルドンを起こして世界を
滅ぼすし廃墟に自分達の理想郷をつくること
考えていた、全人類の敵に対する同情なんて
私にはありません。

>日本社会こそがオウムに歩み寄れ、という主旨に見える

子の言説が私のマスゴミ不信の原点です。ちょうど
春休みの時期でテレビを沢山見れたわけですが、オウム事件でのマスゴミの報道が
サリン事件後でも「警察はけしからん!」
「衆教団弾圧」とオウムを恐れる人々を批判する
内容ばかりで愕然としました。この年の正月
の読売新聞の伝説のスクープ「上九一色村で
サリン残留物発見」の記事を覚えていたので
限りなクロに近い状況なのにかばいまくるのが
納得できなくて。しかも茨城に後継者候補の3女が
引っ越ししてきたので不安は増すばかりでした。
あの世間とマスゴミの乖離ぶりは本当にショック
でした。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2019-09-17 22:29:41
>>全人類の敵に対する同情なんて私にはありません。

 私も全く同感です。連中に同情するのは勝手ですが、そうでない自由もあります。しかしメディアには同情を装う者が多過ぎ。

 サリン事件の頃は勤め人だったため、普段ワイドショーは見られませんでした。しかし報道では事件後でも、「警察はけしからん!」「宗教団弾圧」とオウムを恐れる人々を批判する内容ばかりだったのですか!今も世間とマスゴミの乖離ぶりは変わっていませんよね。

 河北新報では森達也氏を「有識者」と呼び、彼はNHKでも司会者として出演していました。森氏はオウム事件で知られるようになった滝本弁護士からも非難されているようで、「マスコミの御用映画人」という記事をアップしたこともあります。
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4126998038a51ea67acfffaa7bb85dd9
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