その①、その②の続き
ザラスシュトラ42歳の時、ナオタラ族の君主カウィ・ウィーシュタースパ(馬具を外された馬の持ち主の意)夫妻との運命的な出会いがあった。彼らの宮廷を訪れたザラスシュトラに対し、これを受け入れたウィーシュタースパ王。王といえ後世のペルシア帝国の皇帝には程遠い小部族の王で、ナオタラ族もまた歴史から消えている。当然、旧来の宗教指導者や反対派重臣の妨害に遭うものの、アフラ・マズダーの奇跡と加護により克服する。そして宮廷での有力者一族と結びつき、彼らの娘フウォーウィー(良き家畜を持つ女)を第三妻に迎え入れ、代わりにザラスシュトラの三女ポルチスター(思いやり深き者)を嫁がせるとの政略結婚の実行で、ナオタラ族内の支持基盤を万全にした。
ウィーシュタースパという理解者を得て、原始教団はいよいよ順調に発展していく。ザラスシュトラの四半世紀に亘る苦節がやっと報われたのだが、新興宗教教団にとっていかに君主の保護が重要であるか如実に現れているエピソードである。一時期、ウィーシュタースパはアケメネス朝ペルシア第3代皇帝ダレイオス1世の父と見る学者もいたが、現代はこの皇帝こそ王朝の簒奪者説が主流で、ダレイオスによる歴史改ざんの可能性も高い。古代は神権国家は当り前だったにせよ、一応政教分離が定められている21世紀の諸国でも、影では政治と宗教が関っており、宗教勢力と無縁な指導者などまずいないのではないか?
後世の伝説では77歳でザラスシュトラは死亡したとされる。バルフ(現アフガン)の拝火神殿で祈りを捧げている時、敵の凶刃に倒れたという。バルフに当時拝火神殿があったのか疑わしいが、新興宗教の教祖ゆえ敵も多く、かなり暗殺される状況にあった。彼は死の前、教団組織の整備に尽力し、3人の息子のうち長男に神官階級の指導を、次男には農民階級、三男は軍人貴族階級の指導を任せ、後継者には三女ポルチスターの娘婿を指名する。この婿はウィーシュタースパ王の宰相ゆえ、政治的意図もあり息子より婿を選んだのだろうか。
ゾロアスター教の教義では世界の終りにサオシュヤントと呼ばれる救世主が出現することになっており、世界の終末に教祖の3人の息子が誕生するとされる。彼が生前放った精子はイラン高原のある神秘的な湖の中に保存され、将来この湖で沐浴した処女が懐妊、彼女から息子達が相次いで誕生するとの予言があるのだ。これぞ処女妊娠、どこかで聞いたことがあろう。あらゆる差別や迫害を受け、少数派になりつつも自分たちの宗教や伝統を守り続けているゾロアスター教徒に私は敬意を払うが、異教徒にはやはり荒唐無稽な予言に感じられる。何故沐浴した処女だけが懐妊するのか?と追求したくなるが、荒唐無稽でなければ宗教は成立しない。
他のあらゆる宗教と同じく、ゾロアスター教も教祖の死後は時代が経つにつれ教団が変容し、ザラスシュトラが禁忌としたことも神官が行うようになった。彼自身は諸神の中からアフラ・マズダーだけを選び、もっぱらこの神格だけを崇拝することを求めたが、この改革はあまりにも急進的すぎ、他の神格を優先的に崇める原始アーリア民族全てを敵に回すことに繋がる。教祖の教えを文字通り実行すれば、原始教団は周囲を教化する前に、袋叩きに遭い壊滅させられただろう。宗教より政治手腕に長けたザラスシュトラの後継者は、アーリア人の諸神格を復権させ、それまで通り祈祷と賛歌が詠まれる。原始教団のこの姿勢に、後世の教徒からの疑問視もなくはないが、柔軟な対応によって周囲のアーリア民族を徐々に教団内に取り込み、勢力拡大に寄与している。
原始アーリア民族の宗教儀式では神々に祈る時、犠牲獣を必要としたが、ザラスシュトラはこれに異を唱え、血生臭い儀礼をせずともアフラ・マズダーは願いを聞き入れてくれると説いた。これを放浪時代のザラスシュトラが充分な数の牛を持てず、彼の元に犠牲獣を捧げ祭事の執行を依頼する人物がいなかったことの反映か、と青木氏は見ている。さらに教祖は強烈な酩酊作用のあるハオマ服用も禁止、己の詠んだ韻文詩ガーサーを復唱するだけで充分とした。祭式儀礼の簡略化だが、これらは教祖の死後守られず、インドのゾロアスター教徒パールシーさえ、19世紀までは宗教儀式で羊や山羊を生贄にしていた。おそらく儀式の後、犠牲獣は食用として神官以下信者にも配られたと思われ、止めるには惜しい祭式だったろう。
ゾロアスター教といえば鳥葬や近親婚で知られる。しかし、これも教祖は説いておらず、メディア人の神官階級マゴイ(またはマギ)族(Magi)の風習から取り入れたものだった。イラン高原に進出した原始教団は、既に定住化し洗練されたメディア人の文化との妥協と習合の果て、変貌していった。マゴイ族が何故特異な葬儀や結婚の習慣があったのか未だ不明だが、彼らの宗教儀礼や生活習慣こそゾロアスター教そのものと見なされるに至る。
その④に続く
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ザラスシュトラ42歳の時、ナオタラ族の君主カウィ・ウィーシュタースパ(馬具を外された馬の持ち主の意)夫妻との運命的な出会いがあった。彼らの宮廷を訪れたザラスシュトラに対し、これを受け入れたウィーシュタースパ王。王といえ後世のペルシア帝国の皇帝には程遠い小部族の王で、ナオタラ族もまた歴史から消えている。当然、旧来の宗教指導者や反対派重臣の妨害に遭うものの、アフラ・マズダーの奇跡と加護により克服する。そして宮廷での有力者一族と結びつき、彼らの娘フウォーウィー(良き家畜を持つ女)を第三妻に迎え入れ、代わりにザラスシュトラの三女ポルチスター(思いやり深き者)を嫁がせるとの政略結婚の実行で、ナオタラ族内の支持基盤を万全にした。
ウィーシュタースパという理解者を得て、原始教団はいよいよ順調に発展していく。ザラスシュトラの四半世紀に亘る苦節がやっと報われたのだが、新興宗教教団にとっていかに君主の保護が重要であるか如実に現れているエピソードである。一時期、ウィーシュタースパはアケメネス朝ペルシア第3代皇帝ダレイオス1世の父と見る学者もいたが、現代はこの皇帝こそ王朝の簒奪者説が主流で、ダレイオスによる歴史改ざんの可能性も高い。古代は神権国家は当り前だったにせよ、一応政教分離が定められている21世紀の諸国でも、影では政治と宗教が関っており、宗教勢力と無縁な指導者などまずいないのではないか?
後世の伝説では77歳でザラスシュトラは死亡したとされる。バルフ(現アフガン)の拝火神殿で祈りを捧げている時、敵の凶刃に倒れたという。バルフに当時拝火神殿があったのか疑わしいが、新興宗教の教祖ゆえ敵も多く、かなり暗殺される状況にあった。彼は死の前、教団組織の整備に尽力し、3人の息子のうち長男に神官階級の指導を、次男には農民階級、三男は軍人貴族階級の指導を任せ、後継者には三女ポルチスターの娘婿を指名する。この婿はウィーシュタースパ王の宰相ゆえ、政治的意図もあり息子より婿を選んだのだろうか。
ゾロアスター教の教義では世界の終りにサオシュヤントと呼ばれる救世主が出現することになっており、世界の終末に教祖の3人の息子が誕生するとされる。彼が生前放った精子はイラン高原のある神秘的な湖の中に保存され、将来この湖で沐浴した処女が懐妊、彼女から息子達が相次いで誕生するとの予言があるのだ。これぞ処女妊娠、どこかで聞いたことがあろう。あらゆる差別や迫害を受け、少数派になりつつも自分たちの宗教や伝統を守り続けているゾロアスター教徒に私は敬意を払うが、異教徒にはやはり荒唐無稽な予言に感じられる。何故沐浴した処女だけが懐妊するのか?と追求したくなるが、荒唐無稽でなければ宗教は成立しない。
他のあらゆる宗教と同じく、ゾロアスター教も教祖の死後は時代が経つにつれ教団が変容し、ザラスシュトラが禁忌としたことも神官が行うようになった。彼自身は諸神の中からアフラ・マズダーだけを選び、もっぱらこの神格だけを崇拝することを求めたが、この改革はあまりにも急進的すぎ、他の神格を優先的に崇める原始アーリア民族全てを敵に回すことに繋がる。教祖の教えを文字通り実行すれば、原始教団は周囲を教化する前に、袋叩きに遭い壊滅させられただろう。宗教より政治手腕に長けたザラスシュトラの後継者は、アーリア人の諸神格を復権させ、それまで通り祈祷と賛歌が詠まれる。原始教団のこの姿勢に、後世の教徒からの疑問視もなくはないが、柔軟な対応によって周囲のアーリア民族を徐々に教団内に取り込み、勢力拡大に寄与している。
原始アーリア民族の宗教儀式では神々に祈る時、犠牲獣を必要としたが、ザラスシュトラはこれに異を唱え、血生臭い儀礼をせずともアフラ・マズダーは願いを聞き入れてくれると説いた。これを放浪時代のザラスシュトラが充分な数の牛を持てず、彼の元に犠牲獣を捧げ祭事の執行を依頼する人物がいなかったことの反映か、と青木氏は見ている。さらに教祖は強烈な酩酊作用のあるハオマ服用も禁止、己の詠んだ韻文詩ガーサーを復唱するだけで充分とした。祭式儀礼の簡略化だが、これらは教祖の死後守られず、インドのゾロアスター教徒パールシーさえ、19世紀までは宗教儀式で羊や山羊を生贄にしていた。おそらく儀式の後、犠牲獣は食用として神官以下信者にも配られたと思われ、止めるには惜しい祭式だったろう。
ゾロアスター教といえば鳥葬や近親婚で知られる。しかし、これも教祖は説いておらず、メディア人の神官階級マゴイ(またはマギ)族(Magi)の風習から取り入れたものだった。イラン高原に進出した原始教団は、既に定住化し洗練されたメディア人の文化との妥協と習合の果て、変貌していった。マゴイ族が何故特異な葬儀や結婚の習慣があったのか未だ不明だが、彼らの宗教儀礼や生活習慣こそゾロアスター教そのものと見なされるに至る。
その④に続く
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『キリスト教暗黒の裏面史』は初耳ですが、面白そうな本ですね!もちろんキリスト教に限らず他宗教も理想と現実のギャップはありますけど、キリスト教会の一元管理は他の宗教には見られない特徴です。現代まで生き残っているので、組織存続の為にあらゆる手練手管を労したとなりますね。
日本人クリスチャンによる、「人間という愚かな生き物が悪いのであり、宗教は悪くない」「幹部が悪いだけで、一般信者は悪くない」との意見を見たことがありますが、拙劣な詭弁そのものだと感じました。愚かな生き物が信じる宗教行為が、愚かしくなるのは当然なのに、それを絶対認めたくないのが浮かび上がる。信者自身、結局現世利益が目的であり、その点で聖職者と同じなのです。ただし、宗教組織の階級性から上の者はよくても、下っ端は恵まれません。これも、神の思し召しでケリをつける(笑)。
アイルランドの酔っ払い男に勧誘されたという、室長さんの体験談は興味深いです。昼間から酔っている怠け者風情でも、キリスト教だけが真の宗教と盲信しているのは間違いなく、それゆえ異教徒を教化しようとしたのでしょうね。そのような者には新約聖書「テサロニケ人への第二の手紙」のパウロの言葉、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」(3章10節)を返したいものです。
キリスト教への勧誘なら、私も小学生の頃、実に不愉快な体験があり、以前の記事に書きました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/49eebeb580b12b5758a6f8b9f150f664
また、聖書の解釈権を一元管理して、信者自身が神を探求する研究心などは排除し、神を恐れ、教会幹部を恐れて、盲目的に信じるように誘導した。神性を父・子(共に男性)・精霊(中性)の三位一体論に変形させた(本来は、父、母、子の三位一体論で、男性と女性の相乗効果を強調していたのを、男性重視、女性蔑視という教会(パウロ)の視点に合わせるため、変えた)由。
従来のローマ帝国内の各種の宗教で、女神信仰が盛んであったこと、民衆が女神復活を望んでいることに迎合して、マリア崇拝を容認することとした、その手法、背景なども解明している。
教義、組織を広めるためには、権力者(ローマ皇帝)にすりよるし、権威を高めるためには、十字軍による中東遠征を煽るし、それが失敗すると異端審問を行った、という手練手管を労したという。
結局、キリスト教も、一種の僧侶による「商売の種」という現実が浮かび上がります。浄土真宗も、商売に熱中しすぎて一時過激集団となり、織田信長から罰せられたが、欧州では、「宗教改革」に際してカトリックは巧妙に「反宗教改革」を行って、うまく生き延びたようです。
レバノン生まれの、インテリの女性が書いた本らしいですが、すごく迫力があります。まだ最初の部分しか読んでいないのですが、異端として政治的に排除されていった諸宗派にこそ、より真実の神に近づこうという姿勢があったらしい。
神ならぬ神父さん程度が、懺悔の場を通して、個人を指導する、というのは、いかがわしいし、懺悔すれば、かなり悪いことをしてもへっちゃらと考えるカトリック教徒も、けしからん存在に見える。アイルランドでは、昼間から結構酔っぱらっている男に、「教会を案内してやる」と強引に誘われ、あわてて逃げた経験もありますが、同人も「俺は酔っぱらいだけど、神様は信じる善人」という「上から目線」で、異教徒の小生を勧誘したに違いありません。迷惑な。