その①、その②の続き
経済成長著しいインドだが、その背景を分析したのが第2章「どんな環境下でも金儲けをあきらめない」。まず、冒頭の見出しで「脱俗のイメージは神話」と書いてある。インドといえば、釈迦やM.ガンディーのような清貧の偉人、サドゥー(行者)の国のイメージがあるも、彼らは稀なる極例。インド人一般を知る人は「どんな環境下でも金儲けに専念できる性格」と言う。インド人自身は外国人から自分たちが脱俗的と見られるのを、意識的に促進してきたのであり、そう見られるのを楽しんでいたようだ。著者は本当はインド人は常に物質世界が大好き、金や富を軽蔑するどころか、常にその2つを目標に生きていると言う。
氏名からして明らかにヒンドゥー教徒の著者が、同教徒にとって最も重要な神はガネーシャとラクシュミーと書いているのには本当に驚いた。シヴァやヴィシュヌ、女神ならドゥルガーだと思い込んでいたが、聖職者や戦時はともかく、平時の一般信者にとって富の神様が有難いのは当然だった。「ヒンドゥー教は金儲け礼賛」と、ヴァルマ氏はその歴史的事象を挙げる。インド人は食・人生・性・感覚・思考・見解…諸々に関し物質主義的であり、現世的なものを全く否定しないそうだ。
13世紀に訪印したマルコ・ポーロは、「アブライマン(バラモンを指す)は世界一の商人」と書いている。「金を払わねば神は歩き回らない」という表現を聞くと、一般にインド人はまず僧侶を連想する。日本でバラモンを僧侶と訳しているためか、祭事のみに携わる人と思われがちだが、実際はビジネスや経営方面に優れた手腕を発揮する者が多いのだ。近世以前なら武勇で王侯に使えたバラモンさえいたので、バラモン=僧侶では決してない。知識層であっても文官である中国の士大夫とは全く異なる存在で、食堂で働くバラモンも珍しくなく、そこにカースト制の複雑さがある。
ヒンドゥー教は物質欲を哲学的に是認している。聖書には富める者は天国への道を閉ざされるとの教えがあるが、ヒンドゥーは幸福と富に恵まれるよう、あっけらかんと祈る宗教なのだ。カウティリヤの『実理論』(アルタシャーストラ)にも、興味深いことが記されている。「王はとりわけ経済・経営に精を出さねばならない。富の根本は経済活動で…実り豊かな経済発展があってこそ、現在の繁栄や未来の成長がある…」。叙事詩『ラーマーヤナ』には実にシビアな文句もある。「富を得なさい。世界の根は富です。貧乏人は死人と同じです」!
著書によれば古代から文明が栄えたインドには既に高利貸しも横行していたが、彼らは聖職者から非難の対象とはならず、そこが中世キリスト教やイスラムと大きく異なる。金儲けに勤しむバラモンでも、神聖視される傾向のあるのがヒンドゥーらしい。
階級社会で莫大な人口を抱えるインドでは機会に恵まれる人は稀であり、生き残るため抜け目なさと世知に長けることが不可欠となってくる。この逆境こそ起業家精神を培うことになっている。印僑はあこぎさで悪名高いが、インド国内の商人も負けずしたたかだ。この本に紹介されていたジョークは実に面白い。野菜を買いに宦官が店に来た。「あの人は男?それとも女?」と、誰かが後で尋ねると、商売で忙しい店主はこう答えた。「彼は野菜を買いに来て、買って、それから彼女は帰ったよ」。
未だに貧困層と文盲者が夥しいインド。つい外国人は彼らを哀れみの目で見がちだが、貧困層のインド人が意気消沈ばかりしている訳では決してない。苦しい時の神頼みは日本人も同じだが、このような人々には宗教が絶大なる力を発揮する。インド哲学にマーヤー(Māyā)という観念があり、相対界を絶対的なものと見誤り、真理を遠ざけてしまう無知、幻影、幻惑を意味する。簡単に言えば、この世の出来事は全て幻であり、幻想に過ぎないというもの。また前世の行いより現世で結果が出るカルマ(業)の教えもある。
原則としてこの世は存在しないというマーヤーの考えは、物質を追い求める障害にはならない。逆境や敗北、富の喪失の時には心理的負担とならず、幻想の世界のつまづき故、大したことではないと考えられるのだ。本物ではないのだから何を気にすることがあるか、との考えに至る。現実をこのように二面的に見る信仰により、失敗しても負担が軽くなるのだ。「ボロから金持ちへ」「金持ちから物乞いへ」が受け入れやすくなる。
上記のような姿勢は多くの迷信や儀式を受け入れ、合理性など顧みられなくなる。毛髪の束、献金、聖地巡り、苦行、祈り、断食、お守り、お供え、お経…全てが己の人生を変えてくれるかもしれないと信じる。迷信溢れる信仰こそ、ヒンドゥーに挫折に挫けぬ回復力を与えるらしい。イスラム、キリスト教徒のように罪の贖いといった重圧の苦しみとは無縁の宗教なのである。ご利益になりそうなものなら、なんでも崇拝対象となるのだ。
ラクナウの村に、1857年のインド大反乱で死亡した英国人将校の墓があり、多くの人に拝まれているという。ゴラ・ババと呼ばれるその英国人の墓は何でも願い事がかなうことで有名で、英国人なので酒、煙草、肉などが供えられているとか。
その④に続く
よろしかったら、クリックお願いします
最新の画像[もっと見る]
- 禁断の中国史 その一 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- 第二次世界大戦下のトルコ社会 2年前
- 動物農園 2年前
- 「覇権」で読み解けば世界史がわかる その一 2年前
- ハレム―女官と宦官たちの世界 その一 2年前
- 図解 いちばんやさしい地政学の本 その一 2年前
- 特別展ポンペイ 2年前