その①、その②、その③の続き
インドが注目を浴びるのは、特にIT部門であり、その躍進の背景を記したのが第3章「IT:才能と努力そして欲望の賜物」。インド人がいかに数学に強かったのか、大学の歴史科を首席卒業した著者らしく、数学に長けていた輝かしい祖国の過去を紹介している。インドが零を発明したのはあまりにも有名だが、著者は十進法もインド人の発明によると書いている。それらの数字はアラブ人によって長くヒンズセット(インドの科学の意)と呼ばれ、西欧に広められた、と誇らしげだ。日本でも使われるに至った“アラビア数字”さえ、インド数字に由来する改良型なのだ。イスラムで発展した代数学も、ヒンズセットがなければ成り立たなかっただろう。
単に数学に強いのみならず、インド人独自の思考プロセスもIT発展に寄与している。西欧人のように一歩一歩演繹的に諸前提から論理の規則に従い、必然的に結論を導き出すことはせず、帰納的に個々の特殊な事実や命題の集まりからそこに共通する性質や関係を取り出し、一般的な命題や法則を導き、妙案を得るという。インド人は物事を巨視的に見ることにより、相互の関連を見つけ、解決策にたどりつくそうだ。また、インド人は昔から分類マニアと言ってよい程、細かい分析と分類に長けており、その能力は科学や文学にまで及んでいる。
著者は元から数学に強い能力の他に、インドでの高等教育優先の政策が大きいと指摘する。独立したばかりのインド国民の大半は文盲、初等教育が必要だったにも係らず、既に読み書きのできる中流・上流階級のインド人は初等教育にはあまり関心を向けなかった。そして元からある肉体労働への恐怖があった。ヴァルマ氏は肉体労働への蔑視は中国や欧州のような農耕民族にも共通していると見るが、これが甚だしかったのがインド。指導層の中流・上流階級者は、上の階級に続く道を与えてくれる高等教育の開発により力を入れた。
この政策を推進したのがインド初代首相ネルーだった。彼自身西洋の教育を受け、時代ゆえに社会主義を信じていたのだ。その結果、初頭・中等教育がなおざりとされ、高等教育関係の学校が林立するという、共産主義国ではない現象が生じた。未だに識字率では中国に大きく水を開けられ、小学校を途中でやめる子供が世界最多の国でもある。社会的不釣合いをあれ程恥ずかしげもなく受け入れ、周囲の人を犠牲にしても個人の利益を平気で追求することは、インド人にしか出来ない、とまでインド人著者は記す。
しかし、皮肉なことに現代インドが技術面で世界に躍り出られたのは、この無神経さのお陰であるのは確か、と断言する。中国と違いインドは機会均等という考えの下で働かず、中国の6倍もの学生を大学に送り込んでいるそうだ。
外務省公式スポークスマンも努める著者は、終章でずばり「中国経済を追い抜けるか」という項目で、自国と中国の比較を試みている。中国への対抗意識が浮かび上がり興味深いが、優越の拠り所にするのはやはり民主主義なのだ。開発において中国が全般的に勝っているも、経済発展だけを基礎に国が安定することはない、と著者は言う。そして経済において自分が楽しめるもの、最善を尽くせるものを追求する自由がインド人にはあるが、中国にはそれがない。この違いは長期的に見た場合、途轍もなく重要と主張する。独立後のインドでは飢饉は起きておらず、そこが中国と違うところ、とまで強調しているのには苦笑した。
日本のことも触れられており、「ドイツ人や日本人はシステムの中でこせこせと念入り過ぎる働き方をするが、インド人はシステムを越え、或いはその外で問題解決を図ろうとする」と得意げな記述がある。カースト制打開のため差別撤廃措置政策が取られ、著者はその具体例を示している。1993年、国中のパンチャーヤット(村落自治体)で33.3%の女性議席優遇措置が法で定められたそうだ。それ自体は結構だが、オーストラリアやニュージーランドでも地方自治体の女性議席は3分の1以下、日本は僅か6%だけ、と書いている。インド女性が置かれた状況はこれらの国よりも決して良いとはいえない、と断りはしているが、空港の係員に威張り散らす日本の女性議員はいない。
著者はお国自慢ばかりではなく序章では問題点も書いている。
-インド人が不公平や汚職や災害にあった人々に対して驚くほど無関心でいられるのは、自己中心性が強いからだと思います。インド人は実利を追い求め、その結果、往々にして道徳観念に欠けた見方をします。ヒンドゥー教には原罪の概念はなく、どのような行為も状況次第で正当化され、神々ですら日常的に賄賂を受けています。このように贈収賄は風土独特のものになり、良い結果が得られる限り、悪であるとは考えられていません…
他に「水面下にある暴力性」として、ダウリー(持参金)にまつわる花嫁虐待・殺害事件も取り上げていた。これらの問題は深刻だが、祖国の「今現在の本当の姿」を外国人に紹介する本で、暗部や恥部をあっさりと書いていたのは驚きだ。「インドの恥を曝した」といった批判はないのだろうか。欧米諸国の批判には偏見と金切り声を上げ、敵意を露にする中国やイスラム圏ではまず考えられないことではないか。
いずれにせよ、インドも強かさでは中国に劣らぬ国なのは明らかだろう。我国の外務省のスポークスマンも、ヴァルマ氏のような優秀な人材が望まれる。
■参考:『だれも知らなかったインド人の秘密』
パヴァン.K.ヴァルマ著、東洋経済新聞社 4-492-44330-4 C3033
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①~④を読ませて頂きましたが、びっくりすることが多かったです。インドにお詳しいmugiさんですらご存じなかったのですから、私などは「えっ、え~!?そうなの?」という感じでした(笑)。
クリシュナの言葉にも驚きましたね。『マハーバーラタ』は大分前に読んだことがあるのですが、全然気がつきませんでした。神もまさに「インド的」だということなのでしょうか。
>インドで民主主義が続いたのは国民が民主的であったからではなく、民主主義の中では権力が効果的に追求できると分ったからだ、と結論付ける。国民は昔ながらの非民主的な社会はそのままに、上昇が約束されるという民主的政策を喜んで取り入れた。民主主義は新旧双方の階級性に正当性を与えるという先例のないシステムゆえ、インド人にとって魅力的だった。
という考えには、一番意外性を覚えましたが、そういう発想はやはりインド人ならではなのだと納得しました。
何だか今までインド人に対して抱いてきたイメージが変わってしまいましたが、現実の姿を知ることが出来て大変興味深かったです。
インドは実に多様な国であり、私の知識などお粗末、一面的なものです。
それでも、この本は初めから驚きっぱなしでしたね。これまでの認識がひっくり返される想いでした。
ヒンドゥーの男児にクリシュナの名前が多いことから、この神様がいかに愛されているのか分ります。
単に美男のモテ男だけでなく、頭も切れ世知に長けているところが人気かも。女性への手の出し方もクリシュナはやはりズルイ。それでも憎めないんですね。著者ヴァルマ氏はインド人の性格を、「世知に長けていてもシニカルではない」と書いているので、ハッとさせられました。
インドと同じく日本も民主主義の伝統などない国でした。それでも戦後急速に根付いたのは何故だろうと思っていたのですが、インドの例を見て、案外日本も似たような事情ゆえではないかと。伝統の「和」の精神はそのままに、社会秩序が保たれるシステムゆえ、魅力的だった?
著者が外国人向けの本に自国の問題をちゃんと紹介しているのが興味深いと感じました。これがイスラム、儒教圏なら、まず考えられませんよ。自国の良い面だけを記した本となるでしょう。相手を理解せず、お体裁ぶるだけの国々よりは好感をもてます。
すみません、「日本に住み続けたチャンドラ・ボースのの同志」のエントリーの寄せた質問を取り消させて下さい。その前のインドの選挙から、Phootan Devi、それからこちらの記事等、お書きになった過去記事で答えられておられ、大変興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。
中世はイスラム支配が始まりヒンドゥーは防戦一方となっても住民の大半はヒンドゥーであり、低カーストの一部に改宗者が出ただけでした。しかも改宗者は、ヒンドゥーはもちろんムスリム支配層からも軽蔑されていた。このムスリム支配によりカーストが喧しくなり、幼児婚やサティーのような未亡人殉死が目立つようになったそうです。
マイナーなインドネタを興味深く読まれて頂いたなら、記事にした甲斐がありました(笑)。今後ともよろしくお願い致します。
わざわざお返事をいただき、本当にありがとうございます。
私は歴史は日本史も世界史も、卒業に単位が間に合えば良いレベルで、高校までしか勉強せず、しかもほとんど何も覚えていず、恥ずかしい限りです。
たまたま現在アメリカに住んでいるわけですが、ご存知のように、さすがは移民の国で、あたかも人種の見本市のようです。私自身、日本とは全然違う価値観、文化、歴史の環境に適応するのに一苦労ですが、アメリカ人だけでなく、いろいろな国から来た人と接する機会、それも職場を共にする機会があるので、他のニュー・カマーも自分と同じような苦労があるのか等、興味も出できます。
意外に聞こえるかもしれませんが、2年ほど前のTIMEの記事によれば(オリジナルの記事が見つけられなっかたのでちょっと関係ないところからの引用ですが: http://www.csmonitor.com/2005/0321/p03s01-ussc.htm)、アメリカにおける最も富裕なエスニックグループは、ユダヤ人ではなく、なんとインド人です 。私が出会うインド人はほとんど医者、IT 関係者、エンジニア、大学教授のうちのどれかです。明白ですが、これらの人は特権階級出身と思われます。
以前コメントで、上には非常に従順なのに、立場が自分より下となったと見るや豹変するインド人氏のことを申し上げましたが(彼の結婚式の招待客は5000人だったそうだ)、mugi さんのブログで勉強させていただいて、他にもいろいろ「なるほど~」と、いちいち腑に落ちちゃってます。
しかしインド本国はとてつもなく混沌としているようですね。
さて、紹介されたTIMEの記事をとても興味深く拝読させて頂きました。寄稿したのがThe Christian Science MonitorのBen Arnoldy、この人はインド系かは不明ですが、名前からしてクリスチャンですね。インドの宗教、民族対立が移住先でも影を落としているのは、やはりと感じさせられます。同じインド移民でも宗教やカーストが異なるとあまり交流せず、同じエスニックグループ同士で固まると聞いたことがありますが、それを見せ付けられました。
記事に見るNishrin Hussainというイスラム女性実業家のロビイスト活動もすごい。彼女の故郷の2002年グジャラート暴動で肉親を亡くし、それを煽った州首相Modiに対する報復ということでしょうか。何やら渡米した在日韓国系を髣髴させられました。
渡米できるインド人は富裕層が大半なので、どうしても上位カーストが多いのですが、数は少なくとも低カーストもいる。後者はカースト制に縛られる祖国よりも実力が発揮できる米国に希望を託し、移住してくる。Nishrin Hussain女史も米国で成功し、故郷のヒンドゥー至上主義者を牽制することが出来た。ただし、このような活動は故郷のムスリムに対し、多数派ヒンドゥーの敵意と報復を招く元にもなりますけど。本国だけでなく移民先でもインド系の動きは複雑なようです。
アメリカで最も富裕なエスニックグループがユダヤ系ではなくインド系とは、人口数が多いこともあるのでしょうね。ただ、政治的影響力となればまだユダヤに及ばない。それまでダイヤモンド取引はユダヤ系の独占だったのが、インド系が今や圧倒しています。以前この件で記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/d378b5d04d68056113e252eb30538b39
ありがとうございます。
イギリス滞在中で、インド人男性とお付き合いされているのですか!かつて英国在住で現地人の彼といえば、イギリス人が相場でしたが、さすがグローバル時代ですね。
この駄記事が少しでも貴女の参考になったのならば、ブロガー冥利というものです。さらに少しでも貴女の御役に立てれば尚のこと。