トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

17歳少女の見た戦国時代 その②

2010-04-29 20:18:06 | 読書/日本史
その①の続き
 大砲、首化粧、脱出、出産、田の水で産湯―何とも壮絶な戦国体験だが、読んでみて私には悲惨な印象はなかった。戦で命を落とす者なら“”ではあるものの、おあんの体験談にはむしろ当時の人々の逞しささえ感じる。権力者同士の争いに巻き込まれながらも、胆は据わっており、何としてでも生き抜いてやる…といった気概さえ伝わってきた。しかも、語り部は当時まだ17歳に過ぎない。人間は状況次第で、どんな生き方も出来るものらしい。

 合戦時の籠城の他にも、当時の生活について興味深い証言を残している。彼女の家は三百石取りだが、朝夕二食で雑炊ばかり。たまに兄が鉄砲打ちに行くとなれば、菜飯の昼食を持っていく。すると自分たちまで分け前をもらえるので、しきりに兄に鉄砲打ちに行けと勧めたと語っている。
 また、おあんは13の時に作った帷子(かたびら)1枚しか持っておらず、それを17まで着たので、すねが出て恥ずかしく感じ、「せめてすねのかくれる帷子壱(ひと)つほしや」と零している。

 城を抜け出したおあんは父と共に親戚のいる土佐に向かい、そこで雨森氏に嫁ぐことになった。夫の死後は甥の世話になり、80過ぎまで生きたという。現代残る「おあん物語」は、彼女の話を聞いた人が後で書き残したものであり、成立は江戸時代前期と考えられている。便利なことにネットでは、「おあん物語」の原文を紹介したサイトもある。彼女の証言にも乱世と平和の時代の比較が見えて、興味深い。

 日本史上の戦国の世とは、古代中国の戦国時代に倣って名称されたものだが、その戦や殺傷の規模、残虐性で到底大陸には及ばないし、比べるのは意味ない。それを以って、次のように述べたブロガーもいた。
世界史では万単位以上の虐殺事件は幾らでも出てきますが、日本史で日本人同士がそのような事件を起こした例は殆どないと思いますが。私の知る限りでは、織田信長伊勢長島の一向一揆殲滅戦ぐらいしか思い当たりません。戦国時代といっても、寝返りすれば味方の兵となるようなことが多く、取った駒を生かせる将棋のゲームのような世界でした…

 これを書いたのは左派ではなく、保守を自称するブロガーだが、「将棋のゲームのような世界」という戦国観には唖然とさせられた。確かに世界史で万単位以上の虐殺事件は珍しくないが、それは宗教や民族の異なる場合が大半であり、同民族、同教徒間の戦いで、万単位以上の犠牲者を頻繁に出した国は中国くらいだろう。古代インドのアショーカ王は、仏教を守護したことで有名だが、敵国の民十万人と自国兵士1万人が犠牲(中国同様、インドも実数はかなり水増し傾向)となったカリンガ戦争がきっかけで、仏教に帰依したという。「一将功成りて万骨枯る」の諺のある国では、その戒めがあまり守られなかったようだ。

 日本の殲滅戦は伊勢長島の一向一揆の他に島原の乱が知られ、犠牲者数も後者の方が多いが、双方共に宗教が絡んでいるのは意味深い。ただ、日本で宗教戦争は至って少なく、戦国時代でも「寝返りすれば味方の兵となるようなこと」が多かったのも、事実である。面白いのはルネサンス時代のイタリアも小国群立状態で、日本の戦国時代と似ており、これまた「寝返りすれば味方の兵となる」傭兵が跋扈していた。傭兵達は各地で略奪、暴行を繰り返したが、同民族、同教徒のよしみもあるのか、殺傷はしても大量虐殺までは行っていない。対照的にイタリアに来た新教のドイツ傭兵は、非戦闘員まで容赦のない虐殺をしている。

 衣食にも不自由する暮らしの下級武士にとって、戦は絶好の稼ぎ場であり、日本の戦国時代は食うための戦いでもあったのだ。それでもゲームと違いリセットは効かないので、それこそ命懸けで参戦しており、決して「将棋のゲームのような世界」ではない。将棋ゲームに興じるのは結構だが、それに嵌るとゲーム史観の発想となるのか。歴史を読み解く上で文献だけでは不足であり、想像力も必要なのだ。想像力も働かせないなら、いくら史料を見ても単なる一知半解に留まるだろう。

 昔を振り返り、おあんは言う。「此様にむかしは。物事不自由な事でおじやつた。またひる飯などくふといふ事は。夢にもないこと。夜にいり。夜食といふ事も。なかつた」「今時の若衆は。衣類のものずき。こゝろをつくし。金をつひやし。食物にいろ/\のこのみ事めされる。沙汰の限なことゝて」。
 1日2食だった戦国の世と異なり、江戸初期にはもう昼飯や夜食も食べられるようになったのだ。衣装にも凝るような若衆まで現れるのだから、食糧や物質に恵まれた平和の時代となったことが伺える。昭和一桁生まれの私の母も、衣食の貧しかった戦前戦後の昔話をしたがるが、おあんと似た想いがあるのだろう。
■参考:「歴史をさわがせた女たち-庶民編」(永井路子著、文春文庫)

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:イタリアのイギリス人傭兵隊長他 (mugi)
2010-04-30 21:38:48
>スポンジ頭さん、

 ジョン・ホークウッドという傭兵隊長のことは初耳です。情報を有難うございました。
 wikiに目を通しただけで、イタリア各地を戦いで渡り歩く人生だったようですね。晩年はフィレンツェの市民権と恩給を得て、ここで国葬となったというから、外国人傭兵でも存分に活躍できたのがイタリア・ルネサンス時代の特徴だったのでしょう。彼が残忍性を発揮した原因が性格か、外国人だったかは不明ですが、故郷のイングランドならここまで大量虐殺はしなかったかもしれません。

 欧米人もチェスと違い、取った駒が使える日本将棋のルールに驚いていたそうです。インドの将棋も確か同じはずで、取った駒が使えるのは日本くらいだと聞いたことがあります。インドや欧米も異民族相手の戦争だから、基本的に相手を信用しないでしょう。
返信する
Re:将棋のたとえ (mugi)
2010-04-30 21:36:56
>madiさん、

 貴方が将棋でアマ四段の腕前だったとは知りませんでした。私のような将棋をしない者から見れば、それだけで尊敬します(笑)。
 仰るとおり、将棋もプロの世界は真剣そのものです。生活やプライドもかかっていますが、それでも「ゲームの世界」ではないし、まして命を失うことはない。

 もし、チェスの巧者が戦争を指揮したら勝てるのでは…と想像する人もいますね。塩野七生氏は無理だろうと話していました。将棋の駒なら、飛車なら飛車の動きしか出来ず、いくら叱咤激励しても意味はないですが、戦争は人が動くので違ってくる、と。
返信する
イタリアのイギリス人傭兵隊長他 (スポンジ頭)
2010-04-30 20:21:17
ジョン・ホークウッドと言うイングランド出身のイタリア傭兵隊長がいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89
かなり虐殺をした人らしく、イタリア人の書いたルネッサンスの本を以前読んでいたら、とにかく「前代未聞」の残忍さだったそうで、ある街で部下が修道女を取り合っていた所、修道女を一刀両断にして「二人で分けろ」と言ったそうです。外国人だから残忍になったのか、この人物が特異な性格だったのか知りませんが、「略奪と虐殺、これがホークウッドの理想の生活」とまで書かれていました。
私の記憶違いもあるかも知れませんが、「この時代に生まれなくてよかった」、と思ったのは本当です。

後、将棋の話ですが、以前中国人が日経に書いていたところによりますと、中国将棋は取った駒と使うことがないそうです。だから取った駒を使用する日本将棋との違いに触れ、「中国は異民族相手の戦争だから、基本的に相手を信用しない、これが日本将棋との違いになったのだろう」とありました。妙に感心しました。チェスも取った駒を使用しませんね。すべての将棋の先祖であるインドの将棋も同じでしょうか。
返信する
将棋のたとえ (madi)
2010-04-29 21:49:15
将棋でも高段者どおしのものだと真剣そのものです。わたしはアマ四段ですが,はるかな高みがまだまだあります。アマどうしでも初段どおしでは戦績はとりかえしはつきません。命のやりとりとは比較になりませんが、囲碁将棋の家元を織田信長以降かかえて明治まで徳川家でつづいていたのは、徳川将軍は戦争との類似性を意識していたのでしょう。なお、戦争を日本の将棋と西洋のチェス型とにたとえるのは相当昔からあります。
返信する