その一、その二、その三の続き
流刑同然に送られたディーンガル村だが、ワーカンカル博士は村の暮らしに満足していた。先住民が多い地区でもあり、ゴタゴタは少なかった。インドには先住民族もいて、指定部族として認定されている。彼らはインドの総人口の8.2%を占めるとも言われているが、日本の研究者にはよく知られていない。
ディーンガル村は広大な面積を擁していたが、過去十年の間に人口が増えたため、90年代初めには先住民族の留保選挙区として、国政選挙区となっていた。だが選挙と政治は全て非先住民が動かしていた。先住部族民の国会議員はいても、地域のマフィアの手下だった。
そんなディーンガル村に、インド首相が遊説のため訪れることになった。首相を迎える準備に当たり、村の様相は一変する。村は政府の役人で膨れ上がり、どこもかしこも警官、警察予備隊、武装警察隊のテントやジープ、トラックが走る。
動き回っているのは公務員だけではない。公共事業局の御用建設業者、炭鉱からの横流しや盗みで石炭を売りさばいている石炭王、酒の卸元のヤクザ一家、配給紙を横流しして役人や大臣にゴマをすって荒稼ぎしている地元紙編集長などの面々が暗躍していた。首相訪問で落ちる6百万ルピーを巡り、皆が必死で駆けずり回る。
先住民にとって役人とは警官、土地台帳役人、主税局役人で、この者たちは彼らの家に押し入り、鶏を持ち去り、酒造りの壺を割り、女を犯して暴力を振るう輩に他ならなかった。先住民の古老たちは、先住部族民社会に行政や外部の人間がこれほど入り込んでいなかった昔の方がよかったと、ワーカンカル博士に話していた。
首相がディーンガル村に来たのも、米国の援助と世界銀行のローン、並び大資本家の資本により設立される製紙工場の定礎式のためだった。インドの後進地域の開発では、先住部族の田畑が工場拡張のために取り上げられることは珍しくないという。
ディーンガル村周辺の地域には様々な様式のブッダの石像が見られ、先住部族民はこれがブッダの像であるのを知らなかったのだ。彼等はその像をタークル様と呼び、誰の願いでも届けてくれる神様と信じて酒や鶏、花をお供えしていた。著者は村の信仰をこう書く。
「世界に広がる仏教の祖がここではオカルトや神頼みの対象となり、酒を飲み肉を食らって人々の願いを聞く神様になっていた…」
有能な医学博士にも関わらず、ワーカンカルは神を信じており、神のような存在や神話が存続することは必要と言っていた。彼は民族奉仕団(Rashtriya Swayamsevak Sangh:略称RSS)の一員でもあり、医療の他にも積極的に奉仕団活動をしていた。尤もかつてこの組織のメンバーが行ったガンディー暗殺を疑問視しており、奉仕団の活動への疑問も生じていた。ヒンドゥー社会の覚醒や再生のためではなく最近の活動は、奉仕団や団に賛同する政党を権力の座に据えるために行われているのではないか、と。
首相のディーンガル村訪問後、ワーカンカルは突然コートマー(MP州北東部)という小都市に赴任させられる。これも彼がナクサル(極左武装組織インド共産党毛沢東主義派)主義者といういわれなきレッテルによってだった。コートマーでも博士は人々の心を捉えたが、ここで起きたデモで彼は「…そして最後に祈りを」することになる。
横暴な警官に対し、コートマーの学生が警察署へのデモを行うが、ここにいた副司法長官は学生への発砲を許可、群衆に向かい警官が発砲する。犠牲者となったのは、デモとは無関係のムスリム青年だった。
このムスリム青年への検死報告書に、ワーカンカルは虚偽を書くよう命じられる。行政長官や副司法長官、医務部長、警察などがこぞって、死因は銃弾によるものではなく投石が原因、と記入することを強要する。博士はもちろん拒絶、小声でガネーシャ神への詠歌を唱えながら、正確な報告書を書く。
すると、博士に圧力をかけていた医師たちは催眠術にかかったように、ワーカンカルの署名の下にそれぞれ署名する。その後、ワーカンカルは床に倒れる。長年の無理がたたっての脳溢血だった。
この展開は不思議だった。何の疑問も感じず州政府の意向に従っていたお偉方の医師が、神への詠歌を耳にしただけで主人公の要請に応じたのか?『ウダイ・プラカーシ選集』を検索したら、ブログ『インド小説に万歳三唱』の2013-09-17付の記事がヒットし、次の文章で納得がいった。
「ワーカンカル医学博士は、最後に勝利する。政治家や役人やギャングや警官の悪党どもを蹴散らし、若いムスリム青年の死の尊厳をまもる。ワーカンカル医学博士は、自らの死とヒンドゥー神・ガネーシャの介添えによって真実をまもる。しかし、そのタッチは、受難というよりは、トリック・スターとしてのヒンドゥー賢者に近い」
名は忘れたが、80年代に第三世界の文学は面白いと言った人がいる。社会背景や文化が違うため理解は難しい面があるにせよ、『ウダイ・プラカーシ選集』の三篇はどれも面白かった。警官や役人の汚職、後進地域開発での環境破壊などは中国との共通性が見られるが、医療現場の諸問題は、ひょっとして日本にもあるのではないか…と心配になってきた。医師が製薬会社の営業担当者とつるんでいるのは日本も同じはずだし、政治家や官僚と繋がりのある医師もいるのだから。
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