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仙台市博物館の特別展、『吉祥天女が舞い降りた!』を先日見てきた。何しろ今回の特別展は歴史教科書にも載っている国宝・吉祥天女像。この一点だけでも博物館に行く価値があり、チラシのコピーは「未来に吉慶(きっけい)をもたらす女神「吉祥天女」が仙台の地に舞い下ります」。続けて特別展をこう紹介している。
―奈良・薬師寺は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈り、西暦680年に建立を発願した由緒ある古寺です。およそ1300年を経た現代まで数々の名宝が大切に伝えられており、「古都奈良の文化財」として世界文化遺産にも登録されています。
東日本大震災からの復興を祈願開催する本展では、「吉祥天女像」と「聖観世音菩薩立像」の国宝2件をはじめとする貴重な文化財の数々を公開いたします。全国巡礼を行わず仙台のみでの開催であり、世の安寧を願った古代仏教文化の粋をご覧いただくこの機会が、みなさまの心の安らぎとなることを願っています。
私が博物館に行った5月14日は日曜日のためか、とにかく来場者が多かった。大抵の特別展なら朝一番でも並んでいるのはせいぜい20人くらいだが、この日は開館9時前から百人近くが行列待ちだった。昼頃になっても、まだ来場者たちが並んでいる有様。駐車場には山形からの観光バスも止められており、仙台のみでの開催の影響があったのだろう。
吉祥天女像は特別展の目玉なので、最後に展示されていると思いきや最初に飾られていた。展示解説で、はじめてこの画が麻布に描かれていたことを知った。仏画といえば絹布のイメージがあるが、この絵はそうではなかった。
吉祥天女像を見た第一印象は、小さいの一言。もっと大きな絵だとばかり思っていたら、サイズは53.0×31.7㎝しかない。それでも制作が8世紀のものとは思えないほど色が鮮やか。特に唇や左手に持った如意宝珠の赤は目にしみるよう。過去に何度も修復はされているにせよ、絹より麻布の方が保存に適しているのやら。
これも特別展で初めて知ったが、吉祥天女像は秘仏扱いで、正月の吉祥悔過会の際(1月1日~15日)のみ公開されるという。だから奈良県民でも普段は見れず、正月でも拝観できるのは遠くからなのだ。震災のお蔭で仙台市民はトクをしたようなもの。
この画像は天平美人を描いた作品と云われているが、ふっくらした顔立ちに二重あごなので、現代の美の基準なら完全なおデブだろう。満足に食が得られなかった時代は太った女が美人とされたのは他国も同じであり、ルーベンスの絵にある女のヌードを、「三段腹の女」と言ったのはエーベルバッハ少佐(漫画『エロイカより愛をこめて』副主人公)だった。
同行した友人は、絵のモデルになったのは皇族か貴族の奥方だろうと推測していた。齢は三十路ちかくで、若い女とは思えないという。私もこれには同感だし、十代には見えない。吉祥天自体が処女神ではないから、モデルは人妻でも構わないはず。
5月14日10時から約30分間、村上太胤(むらかみ・たいいん)副住職による講演があり、とても面白かった。高校の修学旅行で薬師寺に行った時も面白い解説をしていた坊さんがいたが、さすがに有名な古寺には説法の上手い坊さんがいるようだ。村上氏が寺に入山したのは僅か9歳の時で、今年3月で68歳を迎えている。当時の修業は実に厳しく、粥の中の米粒を数えたら12個だったこともあったそうだ。
村上氏は名指しこそしなかったが、当時の薬師寺管主は「昭和の怪僧」の異名を持つ橋本凝胤(はしもと ぎょういん)。酒も肉魚もとらず、妻帯せず、「何が楽しみで生きているのか分らない人物」であり、弟子へのシゴキが生きがいだったのやら。
村上副住職によれば鬼には赤と青、黒の3種類がいて、最も性質が悪いのが青鬼とか。とかく強欲で何でも欲しがるのが青鬼、すぐに怒るのは赤鬼で、道理の無いのが黒鬼だそうだ。村上氏の言、「日本の側にもそのような国がある。何処とは言わないけど」には納得。
かつて銅は金と同じくらい貴重な鉱物であり、そのため金と同じという字が当てられたそうだ。そして正月とは自ら犯した罪や過ちを正す悔過の月であり、だから正月となったという。初詣に行き、お節とお餅をたらふく食うのが正月と解釈している日本人が大半だろうが。
聖観世音菩薩立像は最後に展示されており、これもよかったが、私的には展示№19の地蔵菩薩立像が好みだった。上の画像がそれで、制作は10~11世紀なのに、衣には金で細工された模様がくっきり残っていた。これは国宝ではなく重要文化財だが、気品ある顔立ちがイイ。他には№4の四天王立像もよかった。これほど見事な仏像は見飽きることがない。
吉祥天はヒンドゥー教の女神ラクシュミーが仏教に取り入られてなった神である。日本での人気は七福神の紅一点・弁才天に押され気味だが、ヒンドゥー教徒にとって最も重要な女神はラクシュミーという。日本の弁才天と同じくラクシュミーも富の神であり、上のように手から金貨を降り注ぐ女神。日本もインドも美人の福の女神さまを有難がるのは同じなのだ。
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実はわたしにとって「エロイカ…」の主人公は「少佐」でした。いまでも「KGB」は、「カーゲーベー」と読んでしまいます。少佐のお蔭でうっかりドイツ語を(挫折しましたが…)勉強し、東西の冷戦や国際情勢に興味を持ちました。いまでもその後遺症のせいか、ドイツのニュースは読んでしまいます。自国を棚に上げて、日本に言いたい放題ですね。昔からドイツ人気質は苦手でした。
再開してからの「エロイカ」は読んでいませんが、青池さんのことだからものすごく勉強なさって描いておられると思います。
ブログ主さまも「エロイカ」お好きだったのですね?お好きなのは、もしや伯爵ですか?
そして「都民です。」さんも、エロイカファンだったとは意外でした。私も未だに「KGB」は、「カーゲーベー」と読んでしまいます。エロイカの影響で「KGB」を知った日本の少女たちも多かったはず。
エロイカファンだったのにも拘らず、私は学生時代に映画「アラビアのロレンス」を見て中東に関心を持ってしまい、ドイツへの関心は失せました。ドイツについて学んだ貴方でも、ドイツ人気質は苦手でしたか。自国を棚に上げて、日本に言いたい放題なら英国も全く同じです。
再開以降のエロイカも見ていますが、最新作は見ていないですね。昔と違って絵柄も変わっているし、それよりもオバサンになると少女漫画の世界についていけないのかも。
私は昔から伯爵ではなくて、少佐ファンでした。それでも齢を取ると、ボーナム君がお気に入りになってきました。エロイカ関連の記事も前に書いています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/cc7beea411b32772ae36f0b82789e8d4
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/42dcb8497d3633e1ac2b72e65e542f7f
あのスペインでの少佐の嫌らしいミーシャの奥さんへの発言は、流石に酷いと思いました。でも意外な愛妻家の一面をみてミーシャって良いご主人だと、そして執事さんに一秒単位で時計を管理させる少佐は実際は堪らないだろう、などと妄想しておりました。有名な乱闘シーンは、超ヘビー級同士の闘いで「カッコいい!」と見ていました。本当は格闘技は苦手なのですが…
いろいろ思い出すと、確か少佐はシュミット元首相を尊敬していましたね。わたしもメルケル首相より政治家として文化人として大きな人物だと思います。それからレオパルドB-1や「砂漠のキツネロンメル」など、決して軍事オタクではない私が何となくそういう方面の記事を読んでしまうのも、少佐の影響だと昨夜気が付き少々驚きました。
いぜんテレビで青池さんの特集(動画は見つかりませんでした。)で、リアルタイムで読んだファンのなかには本当に欧州で仕事をしたり、各分野の専門職に就いた人が多いと知り、おなじファンとして嬉しく思いました。残念ながら、私は平々凡々な日々を過ごしておりますが。
それから青池さんがドイツが敗戦国として叩かれている事に反発し少佐を主人公にしたえすが、私もドイツ人女性の被害や最近知りましたが現在の東欧に住んでいたドイツ人への虐殺など、どうしても読んでしまいます。
ASREAD 「ポーランド現代史の闇」西岡昌紀
http://asread.info/archives/1902
上記の記事は衝撃的な内容です。これからこういう、埋もれてていた事実が出てくるのかもしれませんね。
「エロイカより愛をこめての創りかた」はとても面白かったですよ。制作裏話だけでなく、作者の家庭環境は興味深いものでした。
「9月の7日間」で少佐がミーシャと大乱闘する直前の嫌味は笑えました。わざわざ下着の色や柄を挙げており、さすがのミーシャも低レベル過ぎると怒っていた。尤も少佐に彼女や妻がいたとしたら、ミーシャもしっかり少佐の女の下着の色や柄を調べていたと思います。気難し屋で職場でも煙たがられている少佐と対照的に、ミーシャは家庭でも職場でも好感のある人のようですね。
乱闘シーンなら再開後の「熊猫的迷宮」でも見られます。少佐と中国人スパイが派手な殴り合いをしていました。
「グラスターゲット」では、シュミット元首相と英国女王が登場していましたね。シュミット元首相は日本では評価の高い人物ですが、彼も結構嫌味を言っていましたよ。ドイツと違い、日本には周辺諸国の友人がいない等と言ったのを憶えています。「国家間に友人はいない」と
言ったのは、キッシンジャーでしたが。
青池さんの『イブの息子たち』にもロンメル将軍が登場していました。ただし、女性に変更されています。
西岡昌紀氏の名は初めて知りましたが、実に興味深いコラムですね。敗戦後、ドイツ民間人が占領地で虐殺の憂き目にあったことは聞いていましたが、詳しくは知りませんでした。ナチスのような軍部エリートは早々と逃げたのに対し、取り残された民間人が地獄を見たのは日本の満州と同じですよね。中国残留孤児の悲劇もここから来ていますが、朝鮮残留孤児というのは聞いたことがない。これまた事実上の封印でしょう。
ロシアと並んでポーランドという国は19世紀からボグロムをしていました。実際は自分たちがユダヤ人を虐殺しても、ナチスの犯行にする。カチンの森事件も本当は旧ソ共産党の虐殺ですが、これまた冷戦中まではナチスの虐殺にされていました。
第一次大戦後もポーランドは非道を行っていたのです。インド初代首相ネルーは著書『父が子に語る世界歴史』で、こんな記述をしていました。
「ポーランドはウクライナの一部を領有しているが、これは拷問、死刑、その他さまざまな野蛮な刑罰を用いて、テロをほしいままにすることによって「平定」され、「ポーランド化」されたし、現にされている…」