日本では公開さえ珍しいトルコ映画。今まで私が劇場で見たトルコ映画は『イラク-狼の谷』のみで、これで2作目となる。この作品は第60回ベルリン国際映画祭金熊賞をはじめ各国の映画祭で賞賛を受けたそうで、森を舞台にした映像は美しかった。残念ながらサントラが一切使われておらず、スローテンポな作品ゆえ、映画館でも眠気を感じた人もいたと思われる。
主人公は6歳のユスフ。子供の可愛らしさで見せてしまう映画は多く、この作品もそうだった。ユスフは森に囲まれた山村で両親と暮らしており、父は養蜂家なのた。父の名はヤクプなのは当然だろう。イスラムに関心のある人なら、ヤクプやユスフとは聖書のヤコブ、ヨセフのイスラム式呼称なのを知っているはず。そして、イスラム圏ではユスフは美男の代名詞にもなっているとか。但し、聖書のヨセフと違い映画のユスフ君に兄弟はおらず一人っ子だった。
ユスフは養蜂家の父の仕事をよく手伝っており、感心させられるが、親の強制というよりも父と森で過ごすのを好んでいたのだ。ユスフ一家の食卓の風景も印象的だった。食事には大抵トマトが出るが、トマトがとても大きく真っ赤なのだ。気候もあるのか東北のトマトなど、真夏でもあれほど赤くも大きくもならない。何か秘訣でもあるのか?
養蜂業はトルコでもさして儲からないらしく、森の蜂もめっきり減り、父は遠くの岩場に仕事に行くことにする。そして、父は仕事から戻らなかった…
トルコ式養蜂は日本とかなり違っているのには驚いた。高い木に巣をつくる蜂のそれを取りに、養蜂家が木登りをするのだ!日本のように巣箱で蜂を飼育するのではなく、昔ながらの自然の蜂蜜を採取している。トルコでは近代養蜂は取り入れていないのか?近代式にする養蜂家もいる一方、昔ながらのやり方を墨守する者もいるのだろうか。
人の手を加えず自然のままの蜂蜜はさぞ美味しいだろうが、トルコの養蜂家には命がけの仕事だし、ユスフの父ならずとも命を落とした人も少なくないはず。
トルコの学校の授業は興味深い。教室の後ろに共和国の父ムスタファ・ケマルの肖像画が掲げられ、肖像画の下にはトルコ国旗の小旗がいくつも連ねられ、レース飾りのように縁どられている。挙手するのも手のひらを開く日本とは違い、右手の人差し指を突き出し、他の指は折り曲げられている。よく出来た生徒には“優秀バッヂ”が与えられ、それを誇らしげにつける学童。
登場するトルコ人は総じて色白だし、主人公の母や学校教師、同級生にも碧眼が何人かいた。もしトルコ映画という紹介がなければ、欧州の何処かの国が舞台と思った人も少なくないだろう。トルコ人はかなり混血が進んでいると言われるが、アジアよりも完全に欧州の血が濃い。
映画の舞台となった森林は豊かで、まるで東北の山林を思わせるように美しかった。トルコの何処の地方なのか不明だが、あれほど美しい森がトルコにあるとは想像も出来なかった。ただ、美しい自然に家族愛といったテーマは文芸的だが、一般受けはしない作品だろう。
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金曜日に帰国したが、時差ぼけで早起きしてしまうので、こんな時間に書いてます。
この映画のように深い森、というのは、乾燥地が多いというトルコの風土印象から見て、不思議な地域というか。
もっと不思議なのは、「養蜂」ではなく、「蜂蜜取り」というべき、原始的なやり方です。バルカン半島では、トラキア時代から、巣箱を使って蜂を養う、きちんとした養蜂技術が存在したと言われるほどで、ブルガリア南部のトルコ系住民多数地域カルジャリ県の市場でも、小生はトルコ系養蜂家から、上等な蜂蜜を買った経験がある(03年頃)。
小アジアでも、元来の住民の多くはギリシャ系で、もちろん養蜂技術を持っていたし、上記のカルジャリ県の例から見れば、トルコ系社会にも養蜂技術はあるはずで、木に登って木の上の自然の蜂の巣を取る、などは、まるでアフリカの土人文明のようで、不可思議です。
とはいえ、地域によってはこのような原始的な手法での農業(養蜂業)が、存在すると言うことがあったからこそ、こういう映画も出来たと思われるので、ウソとも思えない。
でも、子供に頼り、幻想的な森の風景に頼る、というのは、映画としては、少し安易な狡い発想かも。
なお、小生のロンドン旅行報告は、これから執筆準備の段階です。懐かしい料理を色々食べて、特においしいヨーグルトに感動してきたので、食べ物の話ばかりになる予定です。ユーロ圏ではない英国の社会・経済は落ち着いていたし、心配すべきことはほとんど見あたりませんでした。
戦前の日本の学校にも「御真影」がありましたし、オーストリア=ハンガリー二重帝国では、皇帝フランツ・ヨーゼフの肖像画が市民の眼にふれるいかなる所にも掲げられていたそうです。
オーストリア国民は小学校に入るとすぐ「陸ゆくも水ゆくもただ皇帝の命ずるままに」という唱歌を歌って育ったそうです。
やはり国民統合に国父や君主というのは便利な存在だったのでしょうね。フランツ・ヨーゼフはオーストリア皇帝のほかにハンガリー国王、ベーメン国王も兼ねていましたから。
ついに英国から戻られましたか!貴方のロンドン旅行報告が楽しみです。欧州経済のことはまるで分かりませんが、少なくとも英国の社会・経済は落ち着いていたのですか??日本の報道だと、何やら欧州全体が混乱している印象を受けますが、英国がユーロ圏に深入りしなかったのは賢明でした。極東の島国も大陸に深入りするのは危険では?
あるトルコ史研究家は、「ダイナマイトでもまけば、生えてきそうな風土」と書いていたし、トルコ人作家もアナトリアの荒涼として厳しい気候を描いていました。そのため、トルコに映画のような豊かな森林地帯があったことに驚いたのです。トルコの国土も広いから、豊かな森林地帯も一部あるのかもしれませんけど。
もっと驚いたのは、仰る通りの「蜂蜜取り」というべき、原始的なやり方でした。映画の舞台がかりに僻地でも、未だにこのようなやり方が行われているのは不思議だし、欧州から近代養蜂をいち早く学んでもおかしくもない。日本さえ江戸時代には既に巣箱を用いた養蜂が行われていたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%9C%82
この作品は各国の映画祭で高い評価を受けていますが、子供や幻想的な森の風景をテーマにした内容は退屈でした。これなら反米B級アクションと酷評された『イラク-狼の谷』の方がずっと面白かった。
現代でも確かタイの学校の教室には、国王の「御真影」が掲げられているはずです。独裁政権時代のイラクやリビアなど、国中のあらゆる場所に「国父」の銅像が見られましたね。
日本人ムスリム並びに親イスラム派はムスタファ・ケマルに批判的な傾向があり、トルコの民族主義教育を非難していますが、ならば、どのような教育が相応しいとでも言うのでしょうね?皆とは言いませんが、この類には何やら「世界市民」的なニオイを感じさせられますし、国民が統合していない状態ほど、敵国にとって都合の良いものはありませんから。
たとえ指導者が独裁者であれ、家族・同胞を守るという戦う理由がある国民国家は強い、と言ったコメンターもいました。
私も夏にこの映画を観ました。
確かに退屈ではありました(苦笑)
ただ、イランほどではないにせよ、政治的な内容だと未だに露骨に「検閲」が入るお国柄ですので、こういう甘い印象の映画になってしまうのはしかたがないかなとも思います。
この映画はアンカラ、イズミル、イスタンブルのちょうど中間地点のボル県が舞台のようです。西アナトリアの経済発展の枠内にありながら、養蜂家で身を立てるこの一家のその後が『ミルク』という前作に描かれています。この少年が青年になって、ボルからイズミルに徴兵検査に行く場面が出て来るのですが、20年くらい前のトルコの様子がわかってなかなか面白いですよ。ぜひ機会がありましたら観て下さいませ。
これは退屈ではなかった(スリラーの要素もアリ)。
ケマルの肖像は、デノミ後のリラ札では表情が「優しく」なったともっぱらの評判です。それに先月エルドアン首相がデルスィムのクルド人大虐殺を公式に謝罪しましたよね。随分この10年でケマリズムの内実が変ったなあと思いました。
このアイコンなくしてトルコ人のアイデンティティーもすでに確立されたかと。
私もトルコの民族主義教育を冷たく見ていた方ですが(汗)、それは1920-30年代に世界的に流行した学校教育を通じた国民統合(国歌斉唱、初等義務教育における儀式や国語、歴史教育)の古典的スタイルをいつまでもとり続けるトルコがどうも今一つ理解できなかったからでしょう。
イスラム圏の独裁国家(cf.かつてのイラク)と外見は似たり寄ったりでは?との誤解を招きやすいですし。
たぶん同じスタンスでケマリズムの行く末を見ている人も日本には多いと思います。
それが親イスラムと言われてしまうのは、ちょっと心外かもしれません。
個人の信仰とトルコの政体とは直接関係ありませんし、アタテュルクの業績を否定しているわけでも何でもないのですから。
個人的には研究者で親トルコの方がよっぽどやっかいです・・。
話変りますが、東京タワーに行かれたのですね!!
私ももう一度、行きました。
同じく写真撮影に(爆)。
私は水曜午後に行きましたからすれ違いですね。
この作品の舞台はボル県が舞台でしたか!教えて頂き、有難うございました。前作があったのも初耳です。残念なことにトルコ映画は地方ではまず上映もされず、レンタル店でも置かれていません。昔はNHK教育ТVでマイナーなアジア映画を放送することもありましたが、今はそれもなし。トルコ語も分からないため、DVDを買ってもお手上げでしょう。
トルコ映画『少女ヘジャル』も、公開時には当局からかなり圧力を受けたそうですね。この映画についても、以前書きました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/0a2ffa82323aa72ad5da157fb09c2cab
ケマルの肖像は時代によって変わるのでしょうか??私がこれまで見たケマルの肖像はいかつく、「コワい」という印象のものばかりでした。国父の肖像も結構修正があるとは。
今や21世紀、何時までも1920-30年代のような民族主義教育を墨守するのは無理があると思います。私はトルコの20世紀後半の教育については知りませんし、あの国の教科書を見たこともありませんが、やはり古典的スタイルそのまま??
>>たぶん同じスタンスでケマリズムの行く末を見ている人も日本には多いと思います
どうでしょう?肝心のケマリズムさえ知らない日本人が多いのですが(笑)。ケマルよりホメイニの方が有名でしょう。
歴史教育はどの国も複雑な事情があるようで、インドも激しい歴史論争があります。『近代インドの歴史』というインドの歴史教科書を見たことがあります。私には特に問題はないと感じましたけど、左派寄りとの批判も少なくなかったそうで、ガンディー主義が何時までも続くとは思えません。
「親イスラム」とは貴女を指したのではなく、日本のイスラム系サイトに書込みしている人々のことです。「イスラム掲示板」というサイトはたぶんご存知でしょう。一部にせよ、この掲示板のカキコには過激な内容のものがあり、その連中がケマリズムを否定するのはもちろん、カリフ制復活を主張しているのを見ました。
さらに日本にもシャリーアを導入!と訴えたり、タリバーンを称賛したりするのには嫌悪と警戒心を覚えます。殆どカルトじみていますよ。
東京タワーの展示会に再び行かれたとは羨ましい。しかも、水曜日!確かこの日の午後のシアターでは、1977年のアールズ・コートのライブを上映していましたよね?アールズ・コートのライブは正式なDVDが発売されていないのは残念。