
一風変わった廓ものを見た。主役が土屋アンナのためか、啖呵を切る言葉遣いといい、花魁というよりツッパリ現代娘の印象が強かったが、廓ものにありがちな湿っぽさはなく、むしろ現代感覚の時代劇だった。
桜が満開の季節、ある少女が吉原の遊郭《玉菊屋》に売られて来た。《玉菊屋》で「きよ葉」と名付けられた少女だが、生来負けん気が強い彼女は、遊女になる 恐ろしさに一旦逃げようとするものの、あえなく捕まり折檻を受ける。それでも涙も見せず、いつか吉原を出ると言い放つきよ葉だった。それにしても、遊郭の 名が《玉菊屋》とは、いかにもそれらしいし、遊女見習い少女に「きよ葉」の名を与えるのは、皮肉としか感じない。
成長したきよ葉は目を見張るような美貌と、他の遊女と異なり男に媚びない気丈さで、たちまち売れっ子となり、客たちが彼女目当てに押しかける。先輩格の花魁もいたが、やがてきよ葉は《玉菊屋》のトップの座となり、花魁「日暮」と成長する。
だが、日暮も生身の女だ。馴染み客に“まぶ”ができ、心底惚れた男への思いに引き裂かれる。日暮を何とか蹴落とそうと画策する先輩の花魁にも“まぶ”がお り、彼女もまた痴情のもつれから命を落とす。頚動脈を剃刀で切られたといえ、血が噴水のように噴き上がる先輩花魁の最後は、オーバーではないか。凄惨より もお笑いにちかいものを感じた。
日暮にぞっこんとなった大名がおり、大名は本気で彼女の身請けを申し出る。しかも妾などではなく正式に 妻にするという条件だ。莫大な資金が入るため、《玉菊屋》主人は願ってもないが、晴れて吉原を出られるというのに何故か日暮は心が弾まない。いかに吉原一 の花魁でも、大名や店の主人の命には逆らえない。しかし、日暮と大名がこのまま祝言を挙げてメデタシの最後ではなく、予想外の展開だった。
土屋アンナの日暮はこれまでのような淑やかな花魁とまるで違い、「花魁をなめんじゃねぇ!」などと上得意の客にも啖呵を切る。あの大きな目で挑発的に男を見る視線といい、着物を着た平成の風俗嬢にも思えてくる。もっと雅なイメージがある花魁には程遠い。
江戸風俗に詳しい漫画家・杉浦日向子さ んによると、吉原では花魁を笑わせることこそが、風流な客として喜ばれる条件だったという。つまり客が花魁の機嫌を取っていたのであり、酌をしてお喋りで 客の気を引く平成の庶民相手のホステスとは対照的だ。1回吉原で遊ぶのに、どれほどの金がかかったのか想像するのは、貧乏庶民根性丸出しの野暮だろう。
花魁は「わちき」「わっち」の言葉を使うが、これは本来男言葉であり、店によって異なっていたらしい。現代の女子学生にも僕やオレという者もいるから、彼女らは知らずとも花魁言葉を真似ているのだ。
時代劇での花魁と客の場面は、大抵宴会か床入りシーンばかりであり、この映画も例外ではない。史実どおり大名相手に和歌を詠んでいる、では見る側も退屈するから当然か。
監督がフォトグラファーのため、色彩や衣装が見事だった。赤を基調とした舞台は極彩色で溢れている。時代劇は舞台美術や調度品が貧弱だと見劣りがするが、遊郭のような世界を描くにはこれくらい派手であったほうが相応しい。
よろしかったら、クリックお願いします
桜が満開の季節、ある少女が吉原の遊郭《玉菊屋》に売られて来た。《玉菊屋》で「きよ葉」と名付けられた少女だが、生来負けん気が強い彼女は、遊女になる 恐ろしさに一旦逃げようとするものの、あえなく捕まり折檻を受ける。それでも涙も見せず、いつか吉原を出ると言い放つきよ葉だった。それにしても、遊郭の 名が《玉菊屋》とは、いかにもそれらしいし、遊女見習い少女に「きよ葉」の名を与えるのは、皮肉としか感じない。
成長したきよ葉は目を見張るような美貌と、他の遊女と異なり男に媚びない気丈さで、たちまち売れっ子となり、客たちが彼女目当てに押しかける。先輩格の花魁もいたが、やがてきよ葉は《玉菊屋》のトップの座となり、花魁「日暮」と成長する。
だが、日暮も生身の女だ。馴染み客に“まぶ”ができ、心底惚れた男への思いに引き裂かれる。日暮を何とか蹴落とそうと画策する先輩の花魁にも“まぶ”がお り、彼女もまた痴情のもつれから命を落とす。頚動脈を剃刀で切られたといえ、血が噴水のように噴き上がる先輩花魁の最後は、オーバーではないか。凄惨より もお笑いにちかいものを感じた。
日暮にぞっこんとなった大名がおり、大名は本気で彼女の身請けを申し出る。しかも妾などではなく正式に 妻にするという条件だ。莫大な資金が入るため、《玉菊屋》主人は願ってもないが、晴れて吉原を出られるというのに何故か日暮は心が弾まない。いかに吉原一 の花魁でも、大名や店の主人の命には逆らえない。しかし、日暮と大名がこのまま祝言を挙げてメデタシの最後ではなく、予想外の展開だった。
土屋アンナの日暮はこれまでのような淑やかな花魁とまるで違い、「花魁をなめんじゃねぇ!」などと上得意の客にも啖呵を切る。あの大きな目で挑発的に男を見る視線といい、着物を着た平成の風俗嬢にも思えてくる。もっと雅なイメージがある花魁には程遠い。
江戸風俗に詳しい漫画家・杉浦日向子さ んによると、吉原では花魁を笑わせることこそが、風流な客として喜ばれる条件だったという。つまり客が花魁の機嫌を取っていたのであり、酌をしてお喋りで 客の気を引く平成の庶民相手のホステスとは対照的だ。1回吉原で遊ぶのに、どれほどの金がかかったのか想像するのは、貧乏庶民根性丸出しの野暮だろう。
花魁は「わちき」「わっち」の言葉を使うが、これは本来男言葉であり、店によって異なっていたらしい。現代の女子学生にも僕やオレという者もいるから、彼女らは知らずとも花魁言葉を真似ているのだ。
時代劇での花魁と客の場面は、大抵宴会か床入りシーンばかりであり、この映画も例外ではない。史実どおり大名相手に和歌を詠んでいる、では見る側も退屈するから当然か。
監督がフォトグラファーのため、色彩や衣装が見事だった。赤を基調とした舞台は極彩色で溢れている。時代劇は舞台美術や調度品が貧弱だと見劣りがするが、遊郭のような世界を描くにはこれくらい派手であったほうが相応しい。
よろしかったら、クリックお願いします

今度、「舞妓は~~ん」っていう映画も公開するらしいので、
そこんとこは、はっきりするかもしれませんよ。
銀座の一流クラブにも縁がないので、あのような世界は費用を考えていたら、足が運べませんよね。
舞妓映画も公開とは知りませんでした。キャストは誰になるのか、興味深々です。