2005年7月22日、46歳で夭折した漫画家・杉浦日向子さんの作品に、文藝春秋漫画賞受賞した『風流江戸雀』がある。江戸時代の川柳を使いながら、生き生きと江戸の風俗を描いた漫画は素晴らしい。
若い恋人たちを詠んだ川柳がいくつも出てくるが、「相合傘の話の切れる水たまり」はにくい。相合傘で雨の中を歩いていたカップルが、現代の喫茶店に当たる麦湯を売る店に立ち寄り、2人して目の前に広がる蓮池を見ている。その内、男は女の手を握り締めるが、娘は照れ隠しに手をふり切り、「あ、鳥」と飛んでいる鳥を指差す。「れていても、れぬふりをして、られたがり」と締めくくる。恋愛にはすれている筈の21世紀の男女も、若い頃は似たような体験があったのではないか。
「あたりをきっと見渡して、文を出し」 で始まる一編も面白い。電話など無かった時代は付け文が恋人へのメッセージだった。彼氏から手紙を送られた若い女中は辺りを見回し、ドキドキしながら手紙 を読む。その夜、女は入念に化粧をして、枕を二つ並べた布団で男を待つ。しかし男は賭け事仲間の誘いを断われず、娘は結局待ちぼうけを喰らう。夜も白み、 「馬鹿にして!」と女は空いた枕を叩いている。「来ぬ君の、咎を枕にいふは無理」である。デートがお流れになれば、現代人も何かモノに当たる人もいるだろう。
おそらく夫婦喧嘩の原因で、最も多いのは亭主の朝帰りだろう。江戸時代も午前様が川柳に出てくる。「こわい顔、したとて高が女房なり」とばかり飲み仲間とハシゴして帰る旦那。既に妻は寝ているが、実はタヌキ寝入りなのだ。亭主は声を掛けてもフテ寝している。「タヌキあま」と毒づくが、妻は横を向いている。ついに夫は妻の側に寄るものの、「揺り起こす、手を叩かれる味気なさ」だ。
ハシゴ酒、深酔いしすぎて、つい野宿してしまう人がいる。明け方「酔い醒めの、ぞっとする時、世に帰り」、家路につくも、怒り心頭に達した女房が待っている。「あんたっ!昨晩は一体どこえっ…畜生!」と食ってかかるも、「胸ぐらを取った方から、涙ぐみ」と謝る亭主の胸元で泣く。同じようなことは現代もありふれている。
宮城県北部では「亭主妬くほど、がが(妻)はもてない」と言うが、やきもちを焼くのは亭主も妻も同じ。はさみを捜す夫に、「針箱をさがすと、女房とんで来 る」。針箱の中から夫は偶然手紙を見つけるが、妻はその手紙を隠そうとする。さては間男からか、と邪推した夫は手紙を妻から取り上げ、読んでみれば、「妻の手をもぎりはなせば、母の文」。ばつが悪い亭主は手紙を返すものの、妻はむくれている。
「息子の耳は馬、面は蛙なり」は放蕩息子に悩む親心。「喰いつぶす奴に限って、歯を磨き」、親の脛をかじる。年頃の娘を持つ親も結婚を真剣に考えるが、とうの娘は縁談を持ってきた「仲人を暦で叩く、おちゃっぴい」。
江戸時代の庶民も花見を楽しんだが、男女同席の花見はさすがにない時代だった。男同士の花見は味気ないかと思えば、「これはこれはとばかり花の山」と桜より女衆をしっかり見ている。若い娘を中心に見る者、年増や粋筋の女を好む者ありで楽しんでいる。花見の頃は雨が降りやすいが、雨が降っても粋な男はあわてて去らない。女たちが着物の裾をからげ、脛を丸出しにして走り去るのを景物とばかり鑑賞する。ただ、「花の雨、練馬の後に干し大根」と、若い娘ばかりではなく老婆の脛も見ることになるが。
それにしても、江戸時代の人々も現代日本人と感性は変わりない。反って現代よりも日々の生活を楽しんでいたように思われる。庶民が抑圧されていた封建時 代、と学校で教わったものの、いかに間違ったマルクス史観により歴史が語られていたのか、今更ながら分かる。文献を調べもしない左派学者より、風俗研究家 の方が遥かに江戸の庶民生活に詳しかったのだから。杉浦さんの早すぎる死が惜しまれる。
◆関連記事:「封建時代の日本女性の実態」
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若い恋人たちを詠んだ川柳がいくつも出てくるが、「相合傘の話の切れる水たまり」はにくい。相合傘で雨の中を歩いていたカップルが、現代の喫茶店に当たる麦湯を売る店に立ち寄り、2人して目の前に広がる蓮池を見ている。その内、男は女の手を握り締めるが、娘は照れ隠しに手をふり切り、「あ、鳥」と飛んでいる鳥を指差す。「れていても、れぬふりをして、られたがり」と締めくくる。恋愛にはすれている筈の21世紀の男女も、若い頃は似たような体験があったのではないか。
「あたりをきっと見渡して、文を出し」 で始まる一編も面白い。電話など無かった時代は付け文が恋人へのメッセージだった。彼氏から手紙を送られた若い女中は辺りを見回し、ドキドキしながら手紙 を読む。その夜、女は入念に化粧をして、枕を二つ並べた布団で男を待つ。しかし男は賭け事仲間の誘いを断われず、娘は結局待ちぼうけを喰らう。夜も白み、 「馬鹿にして!」と女は空いた枕を叩いている。「来ぬ君の、咎を枕にいふは無理」である。デートがお流れになれば、現代人も何かモノに当たる人もいるだろう。
おそらく夫婦喧嘩の原因で、最も多いのは亭主の朝帰りだろう。江戸時代も午前様が川柳に出てくる。「こわい顔、したとて高が女房なり」とばかり飲み仲間とハシゴして帰る旦那。既に妻は寝ているが、実はタヌキ寝入りなのだ。亭主は声を掛けてもフテ寝している。「タヌキあま」と毒づくが、妻は横を向いている。ついに夫は妻の側に寄るものの、「揺り起こす、手を叩かれる味気なさ」だ。
ハシゴ酒、深酔いしすぎて、つい野宿してしまう人がいる。明け方「酔い醒めの、ぞっとする時、世に帰り」、家路につくも、怒り心頭に達した女房が待っている。「あんたっ!昨晩は一体どこえっ…畜生!」と食ってかかるも、「胸ぐらを取った方から、涙ぐみ」と謝る亭主の胸元で泣く。同じようなことは現代もありふれている。
宮城県北部では「亭主妬くほど、がが(妻)はもてない」と言うが、やきもちを焼くのは亭主も妻も同じ。はさみを捜す夫に、「針箱をさがすと、女房とんで来 る」。針箱の中から夫は偶然手紙を見つけるが、妻はその手紙を隠そうとする。さては間男からか、と邪推した夫は手紙を妻から取り上げ、読んでみれば、「妻の手をもぎりはなせば、母の文」。ばつが悪い亭主は手紙を返すものの、妻はむくれている。
「息子の耳は馬、面は蛙なり」は放蕩息子に悩む親心。「喰いつぶす奴に限って、歯を磨き」、親の脛をかじる。年頃の娘を持つ親も結婚を真剣に考えるが、とうの娘は縁談を持ってきた「仲人を暦で叩く、おちゃっぴい」。
江戸時代の庶民も花見を楽しんだが、男女同席の花見はさすがにない時代だった。男同士の花見は味気ないかと思えば、「これはこれはとばかり花の山」と桜より女衆をしっかり見ている。若い娘を中心に見る者、年増や粋筋の女を好む者ありで楽しんでいる。花見の頃は雨が降りやすいが、雨が降っても粋な男はあわてて去らない。女たちが着物の裾をからげ、脛を丸出しにして走り去るのを景物とばかり鑑賞する。ただ、「花の雨、練馬の後に干し大根」と、若い娘ばかりではなく老婆の脛も見ることになるが。
それにしても、江戸時代の人々も現代日本人と感性は変わりない。反って現代よりも日々の生活を楽しんでいたように思われる。庶民が抑圧されていた封建時 代、と学校で教わったものの、いかに間違ったマルクス史観により歴史が語られていたのか、今更ながら分かる。文献を調べもしない左派学者より、風俗研究家 の方が遥かに江戸の庶民生活に詳しかったのだから。杉浦さんの早すぎる死が惜しまれる。
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江戸時代の皮肉やシャレは、現在でも通じるほど面白い者ですね。また、かくいう川柳がはやっていた封建時代と、共産主義時代とどちらが住み易そうかと。私の場合も、前者ですね。
以下は素人の下手な川柳で、お許しください。
まずは、色っぽい(?)ものから。
「しびれた手、君の寝顔で、そっと引き」
自分の腕の中で寝てくれるのはいいのですが。実際は、こういう経験をした者も、少なくないのでは?
(「唇の、大きさ比べ、チューをして」
認めたくないものです、若さゆえの過ちというものは。)
また、変な歴史ネタで、申し訳ないです。
「歴史とは、自分の都合で、つくるもの」@特ア人
「歴史とは、自分の都合で、隠すもの」@欧米人
「歴史とは、他人の都合で、謝罪です」@日本人
「歴史こそ、見ても見ずも、明日は来る」@変人
一定の、歴史認識など、できるはずもないと思うのですが。
いつものように、mugi様のブログ汚しで、申し訳ないです。
社会風刺さえ出来なかった共産圏は、史上かつてない暗黒地帯ですね。
マルキストたちは「封建的」な我国で未だにその事実を受け入れられず、美味いものをたらふく食ってはマルクスを夢想している、社会の最低の役立たずです。
体験に基づいた川柳は見事です。お座布団、5枚進呈。
私も下手の横好きでトライしたくなりました。
「唇も、ろくに見れない、初キッス」
>「歴史とは、他人の都合で、謝罪です」@日本人
上手い!事実ですが、情けないことです。
「歴史とは、言わぬが花よ、何事も」@日本外務省
「歴史とは、自分の趣味で、ブログネタ」@天邪鬼ブロガー