昨日は不世出のロック・ヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの死去からちょうど30年目になる。2018年に公開された映画ボヘミアン・ラプソディの大ヒットで再びフレディやクイーンが注目されるようになったのは嬉しいが、オールドファンにはクイーン再ブームについて複雑な感情のある人もいるだろう。
ちなみに私はクイーンをリアルタイムで聞けた世代にも関らず、フレディの生前はファンどころか、ルックス的にダメで敬遠していた。そのためフレディの訃報を聞いても、あの男なら当然……と感じたほど。ロック界にはゲイが多いことで知られ、エイズに罹患したのは乱れた性生活の結果……と思った人は少なくなかっただろう。
私がファンになったのはフレディの死後5年目となる1996年の春だった。キリン一番搾り生ビールのCМに使われていたボーン・トゥ・ラヴ・ユーを聞き、いい曲だと思った。
元からクイーンの曲はフレディの生前から何曲か聞いていたし、音で聞く分には良かった。しかし、フレディの濃すぎる胸毛と大仰なパフォーマンスがビジュアル的に受け付けなかったため、ついに好きになれなかなかった。そこでボーン・トゥ・ラヴ・ユーを知った後、試しにCD『グレイテスト・ヒッツ』を購入して聴いたら、すっかりハマった。
『グレイテスト・ヒッツ』購入後、書店の音楽コーナーにふと立ち寄り、クイーン関連本を探したら、目に留まったのがフレディの伝記『フレディ・マーキュリー 華やかな孤独』(リック・スカイ著、シンコーミュージック)。
さっそく手に取って読み始めたが、冒頭にはフレディの葬儀の様子が載っていて、本書で彼がパールシーだったことを初めて知った。Amazonレビューでは低評価ばかりの本でも、フレディの出自を明記してある箇所だけは評価したい。
フレディの父は英国人だが母がペルシア(イラン)系と書かれたFM雑誌もあり、彼がペルシアの血を引いていることは知っていたが、まさかパールシーだったとは想像もしていなかった。そしてフレディの両親ともにパールシーであり、FM雑誌の記述は間違いだった。
以前からゾロアスター教やイスラム以前の古代ペルシア史に関心を持っていた私は、フレディがパールシーだったことを知り、それまでの見方が一変してしまう。昔は胸毛の濃いキモいオッサンの印象しかなかったが、パールシー、つまり古代ペルシア人の末裔だったため、歴女によくある妄想的親近感を一気に覚えてしまった。
そもそもアングロサクソンのロックスターなんて珍しくない。パールシーのようなマイノリティ中のマイノリティのスーパースターなど滅多にいない。フレディが日本を愛し、日本美術の収集に夢中になったのも、非アングロサクソンの血筋があったためだろうか。
ファン歴が25年となるので、私は古参ファンではないが新参でもない。それでも伝記映画のヒットで、若い方がクイーンの曲を聞いてファンになるのは大変うれしい。
同時に残念なことも起きている。フレディの出自や性的指向を以って、LGBT啓蒙活動に利用しようとする向きもあるのだ。岩崎賢一なる朝日新聞記者による「「フレディは幸せだった?」クイーン映画の問い 移民・差別・家族…」等の駄記事が典型で、フレディが幸せでなかったのは、移民や性的少数派への無理解のためだったという世論誘導があからさまで実に不快だった。
岩崎記者の記事には猪熊弘子という一ファンの声、「私たちクイーンファンは、当時からLGBT、移民への抵抗感がありませんでした」が載っている。だが猪熊氏も一般人クイーンファンではなく、ジャーナリストだったのだ。岩崎記者の記事には猪熊氏もジャーナリストだったことへの言及がないのは流石朝日だ。
LGBTなどという用語は21世紀になってから作られたもので、「当時からLGBT、移民への抵抗感がありませんでした」という主張は完全に時系列を無視した捏造と言っても過言ではない。
朝日記者への反論記事をアップしたら、やはり特亜ウヨが湧いて出た。subやffなどHNを変えても句読点も使えぬ悪文だけで同一人物なのは一目で知れる。「朝日はタイムズなどと並ぶ世界の文化的新聞」とほざいていたが、日本語の読み書きも不自由な様子。
他にもディライラなる人物から猪熊氏を擁護するコメントがあったが、HNこそフレディの愛猫名でも、この者は別にファンではないと見ている。フレディやクイーンへの言及が皆無だから。ファンでもないのにディライラのHNを使う意図は不可解だった。
没後30周年とは本当に月日の経つのは早い。フレディがパールシーと知ったおかげでファンになった私は、ファンの中でも稀かもしれない。本当に何がきっかけになるのかわからないことが多い。
尤もそれで困ることもある。ゾロアスター教と聞くと、エーオ!の声が直ちに頭の中で鳴り響く。私の脳内ではゾロアスター教とフレディが絡みついていて、もう切り離せなくなっているようだ。
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「フレディはなぜ孤独だったのか?」
「フレディ・マーキュリーと私」
「フレディ・マーキュリー/孤独な道化」
「映画ボヘミアン・ラプソディ」
私の場合は、アメリカのバンドは全く好きになれませんでした。『コイツ等脳まで筋肉かい❗』チカラばかりを信仰した単純バカにしか思えませんでした。
ヨーロッパ特にイギリスのバンドは神話や伝説、黙示録なんかね題材を取り入れ、伝統に根差した曲づくりをするバンドが多かったように思います。
テクニック的に抜きん出ていたのはミシェル・ポルナレフとクイーンでした。
どちらも当時の私には実にカッコ良かった。
ミシェル・ポルナレフはオランピア劇場でスカートを履いて登場したし、クイーンはフレディーがデザインしたヒラヒラの衣装で演奏、舞台づくりのテクも最高だった(どちらも実にクールでした)。
今から考えると中性的だったのだろう。
少女マンガの登場人物のようなイデタチでドラマチックな曲を聴かせるミュージシャンでした。
『ザ・ゲーム』でフレディーが髪を切って出てきたときは『ゲッ❕』とのけぞりました。
しかぁし❗どんなに変化してもファンは続けるぞ❗と決心して今日に至っています。最近の盛り上がりにはいささか戸惑いを感じます(映画って凄い❗)。
私はアメリカのバンドも結構好きでした。ヴァン・ヘイレンやボン・ジョヴィなど頭を使わず聞けるので、ストレス発散になります。『コイツ等脳まで筋肉❗』バカですが、そこが陽気なアメリカンらしい。アメリカからは絶対クイーンは生まれなかったはず。
ミシェル・ポルナレフ!懐かしいですね~~ 彼はスカートを履いて劇場に登場していたことは知りませんでした。私は初めてミシェル・ポルナレフを見た時(たぶん中学生の頃)、女性と思いました。
何分田舎の少女だったので、男性があのようなヘアスタイルをするはずがないと思い込んでいたし、友人から実は男性と聞かされて驚きました。それでもポルナレフの曲は校内放送でも流されていたのです。
私が洋楽を本格的に聞くようになったのは20歳頃です。それ以前は洋楽は苦手で、大人気だったベイ・シティ・ローラーズも好みではありませんでした。第一印象がアホのあんちゃん集だったし、洋楽のアイドルってこのような連中ばかり?と誤解してしまいました。
初めて好きなかったのはビリー・ジョエルだったし、バンドではポリスでした。一方フレディは既に短髪になっていて印象は最悪。かつては男性のクイーンファンは肩身が狭かったはず。にも関らず今日に至るまでファンとは素晴らしい。