録画していた『英雄たちの選択 100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~』(※放送日8月21日)を見た。既に大正時代で21世紀を先取りするような教育改革が行われていたことを、番組で初めて知った視聴者は多かっただろう。以下は番組HPでの紹介。
―目前に迫る2020年の教育改革。その先駆けともいえるのが100年前の大正新教育運動だ。与謝野晶子等の芸術家や教師たちが目指した教育の理想、現代への教訓を探る。
目前に迫る2020年の教育改革。子供の自発的学習を促すアクティブ・ラーニング等が、教育現場を大きく変えようとしている。今から100年前、それを先取りするような改革があった。大正新教育運動だ。与謝野晶子など名だたる芸術家や教師たちが、草の根から子供中心の教育を掲げて活躍した。
しかし、運動は20年ほどで下火に。大正新教育は、何を目指し、なぜ挫折したのか?現代にも通じる教訓を徹底討論で明らかにする。
大正新教育運動の旗振り役は児童雑誌『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉だった。『赤い鳥』創刊は大正7(1918)年、当時の第一級の文学者たちが作品を寄稿しており、不朽の名作も多い。私の小学校国語教科書に「ごん狐」が載っていたが、これも『赤い鳥』に掲載された作品なのだ。
画一的な明治の学校教育に反発していた鈴木は、子供の純性を育むための話・歌を創作し世に広める一大運動を宣言、『赤い鳥』を発刊する。この文学活動は「赤い鳥運動」と呼ばれ、優れた児童文学作品を生み出していく。読者の大半は新中間層と呼ばれた高学歴の富裕層で、彼らは「赤い鳥運動」の熱心な支持者だった。
「赤い鳥運動」は必ずしも純粋な文学運動ではなく、ゲスト解説者の1人高橋源一郎氏によれば、子供の為と言いつつ実は作家の複雑な社会参加と言うのだ。その背景には大逆事件があり、思想面でこの方面に向かったのではないか、と語っている。
『赤い鳥』では子供読者からの投稿も受け付けていて、それが雑誌に載っていたそうだ。もちろん選考は完全な大人目線であり、子供の純性が全面に出ている作品が選ばれたようだ。司会の磯田道史氏がこの点で面白いコメントをしていた。
「兎が可愛い口で食べているといった作品は選ばれても、飼っている兎が子供を産んで、3円で売れたという話は絶対に載らない」
磯田氏はこれを「リアルとロマン」と上手い表現をしており、児童文学はどうしても後者に偏る傾向がある。wikiの脚注にも「子どもを「純真無垢」とする『赤い鳥』などに見られた児童観は戦前においてもプロレタリア文学の側から批判を受けていた」ことが見える。
『赤い鳥』による児童観は現代でも引き継がれているのではないか?メディアに登場する教育評論家の大半は、子どもを「純真無垢」と見る者が多いような。評論家連中は子供のため、子供目線で等と主張したところで完全な大人目線だし、自分たちの価値観に背く子供には必ずしも寛容ではないだろう。
番組では大正新教育運動として、この時期に開校された複数の私学校を挙げている。中等教育では日本初の男女共学を行った文化学院や自学自習を唱えた成城学園、全人教育をモットーとする玉川学園、家庭と学校を融合させた自由学園等々……
これ等の私学校の教師は大半は教育資格を持たなかったそうだが、大正の新教育運動は私学校が中心だった。与謝野晶子が創立に関わった文化学院では制服はなく女生徒は洋装で登校、これも与謝野が“個性”を重視したためだった。また公立学校では必修だった体育の代わりにダンスが取り入れられていたという。
私学校に入学できたのは富裕階級に限られ、お受験のための教育の低年齢化が進むようになる。個性が大事で詰め込み教育は良くないとする有名私学校だが、先ず入学のための受験勉強や合格後にも成績は大事だったのだ。
加熱する私学校入学熱を揶揄する風潮は多かったし、大正の新教育運動はやがて一般社会と隔絶するようになっていく。ある公立校の教師は興味深い証言を遺している。赤いネクタイをした私学の児童は馬車や自動車に乗って登校するものの、通りには裸の子供たちがいたのだ。裸の子供は庶民だったのは書くまでもなく、富の格差は教育の格差を生み出す。
要するに大正新教育の恩恵を受けたのは一部富裕層の子弟のみであり、社会の激変で運動が20年ほどで下火になるのは当然の結果だった。磯田氏は大正新教育を「冬の前に出来たつぼみ」と言っており、“冬”が来れば自由や理想は脆くも潰れてしまった。特権階級のみが恩恵を受ける社会では、“冬”が到来するのは時間の問題だろう。
私的な教訓としては、学校教育と一般社会との隔絶を出来るだけ少なくすることと感じた。もちろん教育において理想は大切だが、あまりにも実社会とかけ離れれれば、役に立たない観念論ばかりを詰め込まれるかもしれない。
個性を尊重するのであれば、学力別のクラス編成や飛び級を認めてもよいのではないか?一律に画一的な教育指導のやり方では子供達の能力を伸ばせない。教育改革では教育現場に蔓延る悪平等主義を廃してもらいたいが、ただでさえ世間知らずで定評のある先生方にアクティブ・ラーニングが実施できるのか、かなり疑問に思える。
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面白いお話の紹介を有難うございます。ホントに実話なのか怪しいし、ルターが「家内の父親の持つてゐるモーターボウトを借り…」の箇所は、当時のアデンにモーターボートを持つ長老がいたの?と突っ込みたくなります。
発表が昭和はじめにしても、現代ではとても「子供の純性を育むための話」とは思えない内容ですよね。「りんぜんたる愛国的奉仕」を讃える話が好まれる時代だったのでしょうか。
赤い鳥に収録されたものです。今ではあり得ない内容です。「青空文庫」から。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000107/files/45189_26260.html
私の母校(女子校)も大正時代の設立ですが公立です。もしかすると設立も大正新教育運動の影響があったのかも。在学当時は自由で自主性を重んじていたとは感じられなかったのですが、母校は校則もユルユルだったし、厳しい先生がいた記憶はありません。
お受験もそれほど必死ではなく、家がそれほど裕福でなくても大丈夫というのは宮城も同じですが、公立が強いのは今でも変わりないと思います。所謂「ナンバースクール」を名門校とする見方が強く、私立を低く見る傾向があります。おそらく東北の他県も公立校が強いはず。
現代は昭和時代のようなナンバースクール重視は薄れてきていますが、地元の政財界の有力者にはナンバースクールOBが多いのは否めません。尤もトップクラスは県外、特に東京に行ってしまうのですが。
設立時の校風を受け継いで非常に自由で自主性を重んじる学校でした。先生も自由でしたよ。アカいのから体罰上等までいろいろ。
正しく文武両道でもありました。部活動で全国大会出場レベルで活躍して難関大学に合格する友人も数多くいました。
私も大正新教育の末裔なのでしょう。
高知の中でも田舎に生まれても、それなりに良い人生を歩ませてもらっているので感謝しています。
高知なので、お受験もそれほど必死ではなく、家がそれほど裕福でなくても大丈夫だったりと、首都圏に比べると温すぎるのですが。(小6の娘が受験勉強中なのですがちょっと可哀想。)
また、高知は地方では例外的に私立校が強いのですが、これは私立校が良い人材をとってしまうので、公立校はリーダータイプがいなくなってしまうからと言われています。高知の政財界は母校の OB ばかりなので、それでいいとしていますし。(しかも、トップクラスは龍馬のように県外に出てしまいますし。)