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奴隷が様々の分野で活躍したと云われるイスラム世界。その実態を解説した『イスラーム史のなかの奴隷』(清水和裕 著、山川出版社)を先日読了した。山川の世界史リブレットゆえに全編91頁ながら、コンパクトにまとめられている。以下は裏表紙の紹介文。
―前近代のイスラーム世界は、奴隷と自由人がともに生きる社会だった。そこでは、つらい肉体労働や性的搾取に苦しむ奴隷もいれば、宮廷で権力を握り、豪華な衣服を身にまとって人々に君臨する奴隷や元奴隷も数多くみられた。町には、商売に携わり、工芸に優れ、学問で名をあげる奴隷たちがあらゆる場所にいた。このように多様な奴隷の姿は、どうして生じたのか。主人と奴隷と家族のあり方を通して、イスラーム社会の過去の歴史を見直してみたい。
本書の初版は2015年5月、その時点での著者の経歴はこうあった。
「1963年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。専攻、初期イスラーム史。現在、九州大学人文科学研究院教授」
書は先ず「イスラーム社会の歴史と奴隷制」という序章で始まり、第1章「奴隷とイスラーム社会」、第2章「アラブの拡大と異民族奴隷」、第3章「宮廷の奴隷たち」、第4章「搾取される奴隷」の順で構成されている。一般に日本ではなじみが薄いイスラーム社会の奴隷の実態は興味深い。
イスラーム世界の奴隷制は、世界史的にユニークなものといわれることが多いという。宮廷ではカリフやスルタンの寵姫、宦官、小姓たちが華麗なハレムの生活を支え、荘厳な宮廷行事をも司り、また精強な奴隷軍人たちがその周囲を守り固めた。奴隷軍人は戦場にあっては果敢に外敵と戦い、市中においてはそのきらびやかな軍装と豪華な私生活で、一般の人々の耳目を惹きつけた。
市中の生活でも奴隷の姿は社会のいたるところに見られた。権力者や裕福な商人は、正式の妻の他に多くの奴隷妾姫を抱え、また奴隷少年を自らの手足として駆使したのみならず、成人した奴隷を腹心の部下や事業のパートナーとして用い、最も重要な仕事を彼らに託し、また子供の養育係としてその成長を任せた。インド人の奴隷は財産を守らせるのに最も適している、というのが人々の常識であった。
市井の一般人もまた奴隷に日常の雑事を託し、奴隷女を購入して台所を任せ、また床を共にし、時の彼女を解放して正式の妻とした。そうやって生まれた子供たちは、自由人女性から生まれた子供らとさしたる区別もなく、普通に父に育てられ、財産を受け継ぎ、立派に後継者となっていった。
特に上流社会においては、奴隷出身の母を持つことはあまりにも当たり前すぎて、何の支障ともならなかった。カリフやスルタンたち自身が、奴隷から生まれた子供だったのだから、それも当然のことだろう。
近代になり、欧州世界がイスラーム国家に奴隷制廃止の要求を突き付けるようになると、オスマン帝国政府の高官はこう言ったという。
「我々の奴隷制はあなた方の奴隷制とは違う。アメリカの黒人奴隷たちのような苛酷な奴隷制などイスラーム社会には存在しないのだ」
「イスラームの奴隷制は近代アメリカの奴隷制とは違う」という認識は、当のムスリムが自覚していたものでもあった。日本人イスラーム史研究者の中にも、この社会における奴隷制度を人材開発システムとして評価する者もいる。
しかし、イスラームの奴隷制をそのように描くことは、物事の一面のみを示したに過ぎない、と著者は断言する。著者は8世紀末のバグダードの名高い女性詩人イナーン・ビント・アブドゥッラー(?~835年)ケースを挙げている。彼女は生まれた時から奴隷であり、主人に教養を授けられて育った。
だが、イナーンが主人が自宅に伴ったある詩人との面会を婉曲に断った途端、問答無用に主人に殴打された。そのことを伝える史料は、彼女が殴られたことを当然のこととして語っている。主人には奴隷を殴る権利があった。また主人には奴隷を性的に搾取する権利もあった。殊に女性奴隷には性的役割は当然の如く付きまとっていた。女奴隷を性的に弄んだキリスト教社会と基本的に同じである。
その②に続く
◆関連記事:「奴隷制社会の実態」
9世紀後半、メソポタミア南部でも黒人奴隷による反乱「ザンジュの乱」が起きています。尤も反乱指導者はアラブ人ムスリムなので、地方独立王朝を目指していたのかもしれません。これもアッバース朝に鎮圧されました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%81%AE%E4%B9%B1
フランスで売られてきた黒人奴隷を「黒檀材」と呼んでいたとは知りませんでした。黒人蔑視はアラブやイランでもありましたが、大デュマがいい例で、19世紀になってもフランスでは黒人の血を引く者への蔑視が当たり前でした。
山椒大夫に見られるように、中世の日本でも人買いが横行していました。しかし、固定化した奴隷階級がなかったのは、やはり同民族という事情があるかもしれませんね。
画像のメルシーの邸宅、本当に豪華ですね!小宮殿並みだし、内部もベルサイユ宮殿さながら。邸宅から当時の大貴族の豊かさが伺えます。これほどの格差社会なら、革命も当然だった?
アメリカでは南北戦争、ハイチでも奴隷反乱という大規模戦争で解消されましたから、奴隷が経済の中にしっかりと組み込まれていた場合は暴力的なやり方で解消するしかないのでしょうか。フランスの場合、売られてきた黒人奴隷を「黒檀材」と称したそうですが、完全に道具扱いです。
日本人の感覚だと高級技能を持つ人間が奴隷身分と言うのは感覚として掴み難いですよね。異民族はとりあえず奴隷、だから高級技能の持ち主も奴隷、と言う考えでしょうか。日本の場合戦国時代は人身売買が殊に盛んで、上杉謙信は敵国の領民を売っていたと言いますが、あからさまな奴隷階級っていませんよね。やはり、同民族ですから溶け込んで有耶無耶になってしまったのかと思います。
ちなみに、メルシーがフランス駐在時代に購入していた邸宅。現在はホテルだそうです。
https://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%B4tel_de_Mercy-Argenteau#/media/File:Hotel_de_Mercy-Argenteau.jpg
部屋の中。当時とは違うかも知れませんが、非常に豪華です。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/92/Hotel_de_Mercy-Argenteau_-_grand_salon_vers_l_est.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Hotel_de_Mercy-Argenteau_-_vestibule_menant_%C3%A0_la_salle_des_f%C3%AAtes.jpg
黒人奴隷の労働が維持費の一部になっていた、という事ですね。
その②にも書きましたが、作者は「特に7世紀から15世紀に至る時代においては、ローマ帝国の南方継承国家としてのイスラーム社会こそが、地中海的奴隷制度を継承した中心的な社会だった」と述べています。一方でイスラム帝国においても厳しい労働をする黒人奴隷が存在していたことは、続きで取り上げます。
メルシー伯がハイチに於けるプランテーションに投資をしていたことは知りませんでした。奴隷制が当たり前だった時代でも奴隷解放は功徳になるとされていましたが、経済的に犠牲を伴うならば実行は難しいですよね。
・・・全く関係ありませんが、かのメルシー伯は革命前、現在のハイチに於けるプランテーションに投資をしていたとかで、メルシー自身は黒人奴隷を所有していなくても、彼らの労働から利益を得ていました。奴隷解放は経済的に多大な「犠牲」を払うものだったのは確かでしょう。