その一、その二の続き
1996年4月、NHK BS2の番組ウィークエンド・スペシャルで、「塩野七生 わが恋人ユリウス・カエサル」が2回に亘り放送されていた。便利なことにネットではその動画も見られる。番組ではガリア戦争の天王山となったアレシアの戦いの古戦場と、アレシアの地に建つウェルキンゲトリクスの銅像も映していた。上記の画像がその像であり、19世紀、ナポレオン3世により建てられたという。
番組でこの像を見た時、その美男ぶりに思わず見とれてしまった。ウェルキンゲトリクスの実際の容貌は不明だし、かなり理想化して作られたと思われるが、少なくともブサメンではなかったはず…と女特有の好都合な解釈をした。
軍事オンチの私でも、やはり戦闘シーンは面白いと感じてしまう。『地球伝説』でのガリア軍とローマ軍の戦いは迫力があったし、赤い盾を構え、整然と進軍するローマ軍の様はやはり世界を制した帝国の軍隊に相応しい。この番組に限らずハリウッド映画に登場するローマ軍も殆ど似た描き方となっている。ただ、ローマ軍について今年1月、「ローマ史クラブ」管理人さんからコメントがあり、史実とは若干異なるようだ。
-ローマ軍の戦い方ですが、確かに、“黙って整然と行進して”攻められれば、怖いです。ただこの戦い方は、元首政に入ってからで、共和制までは、楯をガンガン叩いて、ワーワーわめきながら敵陣に突っ込んでいったらしいのです。多分、帝政期には、軍団兵の質も上がったのでしょう…
奮戦空しくローマに敗れたガリアの若き総大将は、自らカエサルの元に赴き、武器を捨て勝者の前に屈する。『ガリア戦記』には次の一文だけが記されているそうだ。「ウェルキンゲトリクスは自ら進んで捕らわれの身となった」
首都ローマに護送されたウェルキンゲトリクスは、6年間投獄生活を送った後、カエサルの凱旋式が挙行された紀元前46年、式に見世物同然に引き回された果て、処刑された。大抵は敵に回った蛮族にも寛容だったカエサルも、ウェルキンゲトリクスだけは違った。「生かしておいては危険すぎる、有能な人材」と塩野氏は書いている。『ローマ人の物語』4巻で氏はこう述べる。
-オーヴェルニュの若者は、おそらくカエサルが、軍団長にでも欲しいと思った人材であったろう。しかし、歴史は、そのような人材は、敵側にしか持てなかったという例で満ちている…(396頁)
『カエサルを撃て』(佐藤賢一著、中央公論新社)という歴史小説があり、こちらは主人公がウェルキンゲトリクス。ガリア側から描いた作品で、佐藤氏は『ガリア戦記』など勝者側の記録だ、と述べていた。この作品ではカエサルは出世意欲が先走り、ハゲを気にする中年男として描かれている。『ローマ人~』を読み、感動した後なので、この描き方には少し戸惑った。
主人公も偉大な英雄として描かれているのではなく、中年男を憎悪する粗野な若者になっていた。ウェルキンゲトリクスが中年男を憎むのは、寡婦となった母が生きていくため、金持ちの中年男に体を売っていた過去にある。また、ウェルキンゲトリクスは捕虜にしたカエサルの妻カルプルニアを犯す。
私は当時のガリア社会には全く浅学だが、この設定は佐藤氏の創作と思う。ガリアきっての美貌を讃えられた若く美しい寡婦ならば、再婚相手に不足しなかったはずだし、春を売る必要はなかっただろう。コブがひとつ付いていようが、それも男児が立派に産めるという証だし、返って喜ばれたのではないか。ローマでは男児を産んだ女は再婚相手として歓迎されたという。そして、戦場のガリアに妻のカルプルニアは来なかったはず。
他にも『カエサルを撃て』は性描写が多く、ローマ兵たちによるガリアの娘たちへの暴行シーンも描かれている。これは史実だろうし、この種の話は読み手の好みが分かれる。
ガリア戦争はその後のローマやガリアはもちろん、西欧の歴史の流れを大きく変えた出来事だった。もしこの戦いがなければ、今日の西欧はかなり違っていたはず。敗者となったウェルキンゲトリクスをBBCでは、「歴史の闇に埋もれてしまった」と説明していたが、幸か不幸か勝者側の記録は残っている。ガリア戦争でカエサルが敗者だったら、彼も歴史の闇に埋もれたが、同時にウェルキンゲトリクスの名も残らなかっただろう。一時的に撃退されても、ローマはガリア制覇を諦めなかったはずだから。
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私的にも『カエサルを撃て』は、歴史小説としてはよくないと感じています。この作品に限らず佐藤氏の小説は汚い言葉使いが多用されていて、好きな作家ではありません。但し、それがイイという読者がいるのも事実。私がこの作品を読んだのはカエサル関連だったため。
しかし初書込みで挨拶文もなく、長々とこの小説へのこき下ろしを書く貴方も、ハッキリ言ってコメントとしては上等とは言えませんよ。長文を書くのは結構ですが、改行もなく読み辛い。スペースで代用するのではなく、改行したほうが見やすいのに、貴方には読み手への心配りが欠けているとしか見えない。個人的感想をクドクド書くならば、2ちゃんねる辺りでやって下さい。
ネットには貴方のようなタイプが結構いますね。評論家気取りで他人の作品やブログを勿体ぶって論評しても、自らは決してHPを開設せず、他人のサイトに寄生するだけの輩が。では貴方自身が、カエサルとウェルキンゲトリクスの歴史小説を書けば如何ですか。
私の感想です
全然面白くない。カエサルとヴェルチンゲトリクッスとの戦いであるのに、両者の戦略、戦闘の過程が理解しにくい。またカエサルの人物像が描かれていない。ヴェルチンゲトリックスもどういう人間かが描写されていない。両者の性格を表す生きた言葉が皆無に近い。カエサルを情けない人物に描き、ゲトリックスを乱暴な、短絡的な荒くれに描いている。表現が乱雑で、落ち着いた文体ではない。「……」の部分が多すぎる。発話がありきたりの台詞で生きていない。400ページほどある長編だが、ゲトリックスの女好き話が多すぎる。マキシムにしても、ゲトリックスにしても、言葉使いが馬鹿とか、馬鹿野郎とか汚い言葉使いが多すぎて、下品な小説だ。カエサルの弁舌とかゲトリックスがいかにして部族をまとめたかを読者に納得させる箇所がない。そのための演説もない。 文体も短文が多すぎで、歴史小説としての重みがない。大体ゲトリックスがカエサルの妻を拉致してくる話もいい加減なものだ。 アレシアの戦いでもあれほどガリア軍が優勢であったのにシーザーの登場で激変するのはおかしい。救援軍の敗退も説明不足でよくわからない。 語り手がカエサル、アステル、マキシムス、ゲトリックスなど視点が変わるので、小説全体として落ち着かない。 下品で、表層的で、人間の奥底の心理をえぐっていない、話がわかりにくい。歴史小説になっていない。直木賞受賞作家が書いたものとは思われない。 最大の欠点:カエサルはゲトリックスを本心ではどう思っていたのかが描かれていない。ブルータスはげトリックスの助命を願いでるが、カエサルの反応が描かれていない。
嬉しいです!!明日DVDを探してみます!
*余談ですが、徳川家康がvol・1で取り上げられてましたね…
>密かに映画化を望んでます(笑)
ウェルキンゲトリクスを主役にした映画があります。
「グレート・ウォリーアーズ」のタイトルで日本でもDVDが発売およびレンタルされています。
もうご存知ならばすみません。
私も『ローマ人の物語』の登場人物では、カエサルに続いて印象的だったのがウェルキンゲトリクスでした。哀しいことに敗者ゆえに勝者カエサル側の記録でしか残っていないのです。それが歴史なのですが。
フランスに銅像が立っている程なので、私も映画化してほしいと願っています。フランス映画界で制作計画はないのやら。
ウェルキンは大好きな歴史人物です。しかし、敗者についての伝記は無く…残念です。
密かに映画化を望んでます(笑)
「カエサルとウェルキンゲトリクス」の三部作を読まれて頂き、どうも有難うございました。ウェルキンゲトリクスはやはり有能過ぎたため、処刑されたようですね。手足となる人材は必要でも、頭脳は不必要ということだった。
仰る通り、現代と過去では価値観も道徳も異なりますから、今の基準で歴史を見るのは誤りとなります。ただ、現代の価値観や倫理で生きている我々は、それ以外の見方をすることは余程の人でもない限り、極めて難しいでしょう。そのギャップが歴史の面白さでもありますが…
歴史には実際にはなかったのに、こうあるべきだという願望や夢想に基づく「夢想主義史観」というものもあります。そして捏造に精を出す。日本の隣国などはその典型ですが、他国でも同じようなことが行われているようです。先日、「ブルガリア研究室」さんからも、「どの程度の捏造か、強引な解釈か?と言う側面と、そうあって欲しいという「夢想主義史観」との接点というか、難しいですね」というコメントを頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/b35ed9a2bef7a0576bbdc0c4a92122c9#comment-list
英雄は歴史で見る限り魅力的ですが、実際に活躍する時代なら民衆にとっては不孝でしょう。
今回の「カエサルとウェルキンゲトリクス」という、三部作の記事、面白く読ませて頂きました。
味方よりも敵方(あるいは、同盟関係のある者)の中に、いい人材があるというのはよくありますね。また、実社会においても、そう感じる事がありますね。
現代の価値観で、歴史を観てはいけない、というのは真理でしょうけど、実際は難しいでしょうね。また、歴史の中には、当時の価値観にもないものを作り上げて、現在も引き続いているものもありますが、、、。ま、歴史は観るもののベクトルによって、陰にも陽にも見えるものですね。
(ま、歴史の中には、こうあった方がいいのに、とか、こうあるべきだ、とか、史実にもとらない、妄想の産物だけのものもありますが)
英雄、後、独裁者が生まれる土壌は、洋の東西を問わず同じだと思います。また、某金メッキの国(東洋の果ての地)でも同じでしょうけど、英雄を望んでいないのは、昔も今も同じかもしれませんね。