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史実“戦火の馬”

2012-08-31 21:10:12 | 音楽、TV、観劇

 先週、BS世界のドキュメンタリーで、「動物と人間社会」シリーズを特集していた。中でも特に面白かったのが8月24日放送された「史実“戦火の馬”」。映画「戦火の馬」を私は未見だが、この番組で初めて第一次世界大戦時、戦場で騎兵隊が活躍していたことを知った。番組サイトには次のように紹介されている。

映画「戦火の馬」で描かれた第一次世界大戦の時代、戦場に駆り出された馬と兵士たちが体験した現実を、アーカイブ映像と歴史資料、そして元兵士たち自身の証言で綴る。1914年、イギリス軍は国中から馬を接収し、ヨーロッパ大陸の戦線に送り込んだ。しかし、兵器が近代化していく中、近代兵器が主力になり、敵の機関銃による攻撃にさらされた騎兵隊は多くの犠牲をはらうことになった。

 その後の苦戦が続く中、馬たちは前線に食料や弾薬を運ぶため、砲弾が飛び交う戦場をひたすら歩き続けた。死と隣り合わせの日々、馬と兵士たちの間にはいつしか絆が生まれたと元兵士は語る。
 1918年春、騎兵隊が突破口を開き、ついにイギリス軍を勝利へと導く。しかし、馬たちの悲劇は終わらなかった。終戦時にイギリス軍が所有していた75万頭の馬の大半は、農耕馬としてフランスの農家に売られたり、食料にされたりしたのだ。故郷イギリスに戻った馬は10万頭に満たなかった。知られざる史実を紐解いていく。

 この戦いで英軍は百万頭の軍馬を投入したという。戦争直前、英陸軍で所有していた馬は2万6千頭ほどだったが、対戦勃発後、僅か2週間で英国内から14万頭の馬を集めている。何処の農家に馬が何頭いるか情報を得ていた警察の購入官の働きが大きかったそうだ。所有していた4頭のうち、3頭まで徴用させられた農家もあった。
 集めた馬を大陸まで運ぶのも一苦労があった。殆どの馬は海を見たことがない上、乗船を怖がりロープを付けて無理矢理引っ張り船に乗せる。それでも動かない場合は胴にベルトを付けて起重機で吊り上げる。パニックに陥り、海に飛び込む馬もいたそうな。

 当時の騎兵隊は精鋭部隊であり志願者も多かったが、意外だったのは騎兵隊になった兵士は農家の出ではなく、ロンドンのような都会育ちが大半だったとか。つまり、馬に触ったこともない若者ばかりで、志願理由も砲兵よりはマシというものだった。乗馬訓練は実に厳しく、短期間で乗馬技術を叩きこまれる。鞍なしで、あらゆる種類の馬に乗せられたそうだ。
 そして戦場に送られたが、特に西部戦線での闘いは人馬共に辛酸を極めた。西部戦線だけで25万頭の軍馬が使われたとか。軍馬といえ、戦場で戦う馬は僅か2%、残りは食料や武器弾薬の輸送だったことも、この番組で初めて知った。

 さらに意外だったのは軍馬の死因の大半は戦死ではなく、疲労や病気、気候の変化によるものだったそうな。特に西部戦線での泥とぬかるみは兵士も馬も苦しめられる。不衛生な環境で馬にはダニがつき、それが他の馬に感染する。抗生物質のない時代、消毒薬で洗うほかなかった。
 ドイツ軍が撒いた鉄びしに傷付く馬も多かった。踏むと蹄内部に泥も深く入り込み、そうなれば洗っても泥は落ちないそうだ。感染症に罹り蹄をやられた馬は立てなくなり射殺された。兵士が射殺を実行する苦悩は想像に余りある。

 これほどまでに英軍の勝利に貢献した馬たちだが、戦後軍が所有していた馬の中でも若く健康な2万5千頭は本国に送られたが、8万5千頭は処分されたという。後解体され、肉や皮、骨まで売られ戦費に充てられた。50万頭はフランスやベルギーの農家に売られたという。馬は本来の農耕馬に戻ったのだ。軍以外で所有していた6万頭の馬も無事に帰国できた。人間だけでなく馬の犠牲も途方もなかったのだ。

 この番組で初めてカナダ騎兵隊将軍ジャック・シーリーと愛馬ウォリアーの名を知った。ウォリアーはサラブレットとしては小型だが、実に勇敢な馬だったという。機関銃や砲弾で怯える馬も少なくなかったのに対し、ウォリアーは前線を駆け抜ける、名称通りの戦士だったのだ。ウォリアーも無事に故郷に帰還できた数少ない馬であり、1941年33歳で天寿を全うしている。
 大英帝国時代らしく、インドからもベンガル騎兵隊が出陣している。インドに関心のある私としては、彼らがどうなったのか知りたかったが、英国のТV番組のためか、ベンガル騎兵隊は取り上げられなかった。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (スポンジ頭)
2012-09-16 19:09:30
 こんばんは。

 以前靖国神社へ行ったら、慰霊碑として鳩・犬・馬の銅像がありました。鳩は伝書鳩、犬は軍用犬、馬は騎兵や輜重用ですが、「肉や皮、骨まで売られ戦費に充てられた。」と言うのは想像しませんでした。馬の骨って何になるのでしょう。

 かの悪名高いインパール作戦では牛に荷物を運ばせたため、渡河する際に川で流されて補給が絶たれたのですが、馬で運搬すればまだそこまで損害が出なかったのでしょうか。私の知る範囲ではあまり牛に軍隊の荷物を運ばせたという話はないような。もっとも現地で馬の調達は無理だったこともあるのでしょう。

 ウィキでインパール作戦の項目を読んでいたら、イギリス軍がインド産の大型ラバを使用して補給物資を運んでいた、と言う事が記されておりまして、インドは大英帝国の戦争を支えて大きな功績があったのだと思った次第です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6
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スポンジ頭さんへ (mugi)
2012-09-17 21:02:33
こんばんは。

 実は私は未だに靖国神社に行ったことがありません。靖国神社で犬・馬ならともかく、鳩までも慰霊碑の銅像にされていたとは思いもよりませんでした!以前貴方からのコメントで、ケンタッキーフライドチキンで鶏の供養をするのは日本だけというお話を思い出しました。
 それにしても、西欧では馬の骨をどう使うのでしょうね?日本でも鯨の骨は利用しますが、馬の骨を骨粉にでもするのでしょうか??

 インパール作戦では旧日本軍は牛、英軍はインド産の大型のラバを補給物資を運んでいたことも初めて知りました。インパール作戦に参加したインド国民軍は6000人、うち1900人ほどが死亡しています。残念な結果でしたが、こちらでも日本の戦争を支えていたのです。
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今にして思えば (スポンジ頭)
2012-09-20 23:36:03
 昔、小学生の頃に読んだ太平洋戦争の本に東南アジアで日本と共に戦ったインド兵の話がありました。あれが今にして思えばインド国民軍だったのですね。その本で描かれた場所はインパールと違ったと思いますが、その戦いに参加したインド兵はできるだけ多く帰還して欲しいものです。

 >インパール作戦に参加したインド国民軍は6000人、うち1900人ほどが死亡しています。
 約3割の犠牲ですが、鉄の暴風とまで言われた第二次世界大戦の激戦地の一つ、沖縄では県民の犠牲者が10万人、当時の人口は57万人程度なので、沖縄県人の損害は約2割、民間人の犠牲者と軍隊であるインド国民軍の損害を単純比較はできないものの、非常に過酷な戦場だったのは間違いないところです。軍隊で3割の損害は軍としての機能を果たさず「全滅」と評価されるそうです。
ttp://mltr.ganriki.net/faq12c07.html (軍隊の損害率についての解釈を書いたHP)
ttp://www.pref.okinawa.jp/toukeika/kokutyou22/H22kakuhou.pdf (沖縄県の人口推移の資料)

 例の牛での貨物輸送を発案したのは牟田口廉也ですが、子供向けの本でも傲慢横柄で不愉快な人物として描かれ、インパール作戦の内容や関係者はほとんど忘れても、この人物だけは今でもはっきり覚えています。この本の著者の名前も忘れましたが、著者も非常に牟田口を嫌っていたのでしょう。
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RE:今にして思えば (mugi)
2012-09-21 21:23:40
>スポンジ頭さん、

 有名なスターリングラード攻防戦でも、民間人死者は4万人だったことがwikiにも載っています。全死傷者数では沖縄戦はずっと少なかったものの、民間人の犠牲者が桁外れでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E6%94%BB%E9%98%B2%E6%88%A6

 軍隊で3割の損害を出すと軍としての機能を果たさず、評価は全滅となるとは知りませんでした。まだ7割が残っていると思うのは、素人の浅はかですね。

 インパール作戦で悲惨な崩壊をしたインド国民軍ですが、彼らの戦いは第二次インド独立戦争と呼ばれているそうです。インドがこの作戦で反日感情を抱かないのが救いでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%BB%8D

 牟田口廉也こそが「ジンギスカン作戦」の発案者でした。ビルマとモンゴル平原はまるで違うのに、軍事に素人の私でも唖然とさせられます。wikiに載っている牟田口の訓辞は酷過ぎる。
「皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ…」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F

 傲慢横柄以前に、人格面にかなり問題があったとしか思えません。牟田口の戦後も興味深いもので、wikiから再び引用します。
「死去までの約4年間はインパール作戦失敗の責任を問われると戦時中と同様、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と頑なに自説を主張していた…兵士たちへの謝罪の言葉は死ぬまで無かった…」
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Unknown (牛蒡剣)
2021-12-10 23:24:55
じつは戦火の馬は見に行きました。
主人公の馬は本作でも農耕馬でした。

本稿でも触れられていますが軍隊の馬は大半が補給物資を運搬するためのもので例えばww2のドイツ軍は
自動車生産力もそれなりにありましたが補給に150万頭以上投入しております。日本も200万頭ぐらい使ったと記憶してます。まあ自動車が年産
2万台(現在5~600万台)の時代ですから。

>兵隊になった兵士は農家の出ではなく、ロンドンのような都会育ちが大半

騎士と自分を重ね合わせたりとかもあったんでしょうが、馬がメンドクサイものであることをよくわかってないのでしょう!爺様の馬の世話の大変さを聞いていると耕運機と軽トラは神!と思うようになります!ホント簡単に命の危機に陥るですよ。
例えば水を一定量のまなかっただけで大惨事。疝痛から場合のよっては死にますからねえ寝床の藁の硬さが不味ければ背中の皮があっさり破れて瞬く間に化膿して死ぬ。豆を食わせないと消化不良から消化器官がダメになって死ぬ。(代用になる餌もあるのでしょうがそこまで詳しくないので)聞いてるだけで嫌になります。日華事変でも上海から南京の日本軍の進撃路はストレスで死んだ病死馬だらけだったというくらいストレスにも弱い(これも本稿でも出てますね)

>インド産の大型のラバを補給物資を運んでい


21世紀、アフガンでのタリバン討伐で米軍がラバの山岳輸送部隊を投入して、さらには特殊部隊員が現地人から馬を調達。訓練を受けて騎兵を編成した話が。

ラバは馬とロバのいいとこどりで粗食に耐えて持久力とストレスにも強い軍用には馬より(騎兵として使うのでは無ければ)向いていると思います。
 
 ロバはストレスに強くて砲弾がガンガン飛んでくる中でも平気で交尾をしているくらい図太いらしいですが、馬だと訓練しない砲弾銃声におびえてしましますからね。ただロバだと体格も敏捷さがあなあと。

 ラバにも問題があり、一代限りでラバ同士の交配ができないし、ロバと馬両方を大量に飼っていないと数量の確保が大変なんですよね。牧畜後進国の日本では真似できない話ですねえ。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2021-12-11 22:17:52
 ww2時の日本の自動車が年産2万台程度だったとは驚きます。これでは馬に頼るのは無理もありません。そしてお爺様の馬の世話の話には仰天させられます。ストレスに弱いだけでなく、寝床の藁が硬いだけで死ぬといった話は一般には知られていないでしょう。
 仙台市博物館の入り口には「軍馬・軍用動物彰忠塔」が建っていますが、もしかすると埼玉にも似たような慰霊塔があるのでしょうか?ストレスで死なずとも、大陸に取り残された軍馬はどうなったのやら。

 まさか21世紀のアフガンで、騎兵隊が編成されていたとは想像もできませんでした。山岳地域のアフガンでは今でも馬が重宝されているのでしょう。
 牧畜後進国の日本ではロバさえあまり使われていませんよね。ラバと言ってもピンとこない人が多いと思います。
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Unknown (牛蒡剣)
2021-12-11 22:50:15
大陸の馬は降伏先の連合軍に接収されたはずです。
特に中国軍は日本式の騎兵制度を降伏した騎兵から習得し、馬だけでなく馬具や騎兵刀も手にいれました。(なんと中国軍は2021年現在でも騎兵を維持してます)装備は日本式の改良です。中国軍の65式軍刀は日本の32式軍刀の改良型で未だ中国騎兵はこの軍刀を振るって突撃する訓練をしています。いや勿論馬から降りて
自動小銃や機関銃や対戦車ミサイルで戦うのがメインですが、いまだそんなこともしています。
特にチベット侵攻では日本式の訓練を受けた騎兵が投入されて活躍しています。道なき道が広がる辺境の荒野の警備では未だ有効性があるようです。

そんなわけで大陸の軍馬の戦争は終わらず、国共内戦で両軍に使い潰されてほとんどしんでしまったのではと思われます。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2021-12-12 22:07:54
 大陸に残された軍馬のその後のお話をありがとうございました!特に中国軍の騎兵の話は興味深いですね。日本軍の軍刀を改良して武器にしたということは、それだけ旧日本軍の武器が優れていたとなりますね。
 尤もチベット侵攻で日本式の訓練を受けた騎兵が投入されていたことは初めて知ったし、何だか複雑な思いになります。

 実は私も大陸の軍馬は殆ど死んだと見ていましたが、その理由は食料用でした(汗)。馬刺しにはしなかったと思いますが、戦争で死んだ馬の肉はひょっとして食べられていた?
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