原題:Viceroy's House、このタイトルだけで英国人は総督が誰を指すのか分かるのだろうか?一方、インドでのタイトルは「Partition:1947」、こちらも1947年のインド・パキスタン分離独立をテーマとしていることが、インド人には即座に分る筈。最後のインド総督マウントバッテンが目の当たりにした印パ分離独立前後の様相が描かれている。映画の冒頭に出てきたスーパーは意味深い。
「歴史は勝者によって記される」
“Viceroy's House”といえ、日本の庶民がイメージする House とはかけ離れた大豪邸であり、初めて総督官邸に足を踏み入れたマウントバッテンの妻はその広さに驚き、バッキンガム宮殿より立派と漏らしている。総督一家を世話するため、官邸では500人のインド人使用人が常駐していた。
映画の実質的なヒロイン、アーリアはマウントバッテンの娘の秘書として働くことになったが、彼女の言うように女は子守り役が相場だった。インド駐在の英国武官文官の家庭では家事や子守りをするため、大勢のインド女性が働いていたのた。
一般に日本では印パ分離独立は知られていないが、ある程度それを知っている方ならば、その際の未曽有の大惨事も聞いているだろう。映画のスーパーにも1,400万人が故郷を追われ印パ双方に向かい、100万人が犠牲になったとある。犠牲者数はさらに多いと私は見ているが、日本人観客は100万人の数に絶句するはず。
ただ、当時4億とされたインドの人口比から見ると、意外に少なかったのではないか。スターリン下の旧ソ連、毛沢東による文革などに至ってはゼロがひとつ多く、少なくても犠牲者数は1,400万人どころではない。
印パ双方の作家たちは、印パ分離独立時の惨状を作品にしており、しかも自らの体験を描いている作家も多い。これら作品は「動乱文学」とも呼ばれ、私も何冊か読んだことがある。宗教・民族対立の話はやはり日本人には想像を絶する世界だった。同じ国に住み、人種的には同じでも、宗教が異なれば異民族となり、凄惨な殺し合いを行う。
恐ろしいのは普段交流のある隣人知人の方が、暴動時には真っ先に襲うケースもあるのだ。むしろ顔も名も知らぬ人の方が返って異教徒を匿ったりする。
それでも脚色化されている「動乱文学」はまだ読めるが、ノンフィクション『沈黙の向こう側』(ウルワシー・ブターリア著、明石書店)はあまりにも重い内容だったため、読むのを途中で止めてしまった。
特に虐殺が頻発したのがパンジャーブ地方。映画もパンジャーブの虐殺や放火、輪姦の応酬を触れているが、この地域はヒンドゥー、イスラム両教徒が同数くらい居住しているため、凄惨な蛮行が相次ぐ。この地域にはシク教徒も大勢暮らしており、映画では言及されなかったが、彼らにも大勢の犠牲者が出ている。パンジャーブのシク教徒はヒンドゥーと共にインドに逃れる。
これまた映画では扱われなかったが、大都市デリーやボンベイ(現ムンバイ)でも宗教暴動のため、キリスト教徒やユダヤ人、パールシー等の少数民族も巻き込まれ、命を落とした者もいる。
ガンディーの尽力もあり、ベンガル地方はパンジャーブに比べればマシだったが、英国が1905年に出したベンガル分割令は民族運動の激化のみならず、宗教対立も引き起こした。
映画ではヒンドゥーとムスリムの対立が強調されがちだが、ムスリムが団結して建国したはずのパキスタンもまた悲惨な分裂をたどった。かつてパキスタンはインドを挟み、東西2か国あったことを憶えている人は少ないだろう。西パキスタンが現代のパキスタンとなり、東パキスタンはバングラデシュとなる。1971年のバングラデシュ独立戦争は西が東を武力鎮圧しようとして起きているが、反独立派のイスラム過激派組織がベンガル人を大量虐殺、死亡者は9ヶ月で300万人に達したという。つまり、ムスリムがムスリムを弾圧・虐殺したのだ。
マウントバッテンは同僚たちから「ディッキー」の愛称で呼ばれ、良心的な総督という設定になっている。映画ではパキスタン初代総督となるジンナーが強硬に分離独立を主張するシーンが何箇所かあるが、実はチャーチルと英国政府が密約でパキスタン独立を保証したかたちになっていた。これが史実か映画特有の脚色化は不明だが、英国ならソ連への対抗だけでなく国益のため、その程度の二枚舌外交は朝飯前だろう。
マウントバッテンといえば、IRA暫定派のテロで1979年に暗殺された。葬儀には当人の遺言により、かつて戦った日本人の参列を拒否したことは憶えている。記事にするためwikiで見たら、血筋では英国人というよりもドイツ系だったことを初めて知った。
監督はグリンダ・チャーダ、名前通りインド系女性である。彼女の祖母も印パ分離独立時で難民となり、九死に一生を得たことがラストクレジットに写真と共に出ている。
wikiにはこの作品が詳しく解説されていて、パキスタンでは上映禁止となったそうだ。パキスタンの作家ファーティマ・ブット(イスラム諸国初の女性首相ベナジル・ブッドの姪)は、映画を「分離主義者の奴隷的なパントマイム」と批判するも、監督はこう反論したという。
「1947年の分離独立に関するこの映画について、自由への闘争を無視することはなく祝福している」
◆関連記事:「タマス―暗黒―」
「書かれなかった叙事詩」
「グルムク・スィングの遺言」
「インドが長く支配された訳」
「ガンディー主義が挫折した訳」
トルコとギリシャやアルメニア、戦後の日本と朝鮮などの例もありますが。
https://www.yamakawa.co.jp/product/67350
インドの高校3年生用の国史教科書ですが、スゴイ水準です。このような本は図書館でもなければ置いていないでしょう。
仰る通り、分離独立時の住民交換は当事者に多大な犠牲を強いることになります。故郷を離れたくなくとも、もう住むことも叶わず、難民として新国家に向かう他なかった。移動の途中での襲撃は毎度、特に若い女性は誘拐の標的になりました。ある意味で民族浄化でしょう。
身一つで難民キャンプにたどり付いても食料も満足に取れず、疫病で倒れる人も多かったのです。印パ両国とも総じて「移住者」の社会的地位は低く、移住先で生活が激変した結果、ヒンドゥー至上主義やイスラム主義に投じるケースも。
同胞を守れ、同胞のいる地を併合しろ、などの理由で戦争要因にもなります。
難しい問題だと思います。
リンクした動乱文学のひとつ「タマス―暗黒―」には、イスラムに改宗してパキスタンに残ったシク教徒の若者が登場します。
もちろん命欲しさゆえだし、改宗しても周囲のムスリムからは信用されません。ムスリムになった処で改宗者が悲惨な目に合うのは目に見えています。インドに留まったムスリムは改宗は迫られなかったにせよ、忌み嫌われるのは同じです。
印パ両国の緊張が高まるとマイノリティは迫害の標的にされ、宗教暴動に拍車をかけるのです。宗教は実に難しい問題の要因に成り易いのです。