
'98年日本公開時、インド映画にしては珍しくロングラン上映になった『ムトゥ 踊るマハラジャ』と同じスタイルの作品で、主演もラジニカーント。インド映画特有の歌と踊りはもちろん、アクション、コメディ、友情、恋愛がてんこ盛りの娯楽モノだが、これにホラー要素も加わる。
主人公はアメリカで医学を学んだ精神科医サラヴァナン。彼が帰国後に再開した親友は結婚したばかりの妻ガンガを紹介する。親友夫婦は価格が格段に安かったため、半世紀以上も空き家になっていた屋敷を購入、引っ越すが、新居では怪奇現象が相次ぐ。
実はこの屋敷はかつてはラージャ(王)の住まいであり、150年前、美貌のためラージャに強引に後宮に入れられた踊り子チャンドラムキの怨霊が封じ込められていたのだ。チャンドラムキには恋人があり、妾にされた後も恋人と密かに密会していた。これを知ったラージャは激怒、チャンドラムキの目の前で恋人の首を刎ね、彼女にも油を注いて焼殺する。非業の死を遂げたチャンドラムキは強い怨霊となり、優れた霊媒師がやっと封じ込めたという事情があったのだ。
ガンガはチャンドラムキの霊の封じ込められた部屋に入ったため、悪霊が解き放たれたばかりではなく、ガンガに霊が取り憑き、霊に支配される。チャンドラムキの悪霊はガンガを操り、悪事まで働くようになる。優秀な精神科医であるサラヴァナンは親友夫婦のため、祈祷師と共に命懸けで「悪霊退散」の治療に立ち向かう...
インド映画といえば、これぞ見せ場といわんばかりにやたら歌と踊りが入る。ダンスシーンはさすがに圧巻。大勢の男女が民族衣装で踊る様はスゴイ。特に女性のサリーは色彩の洪水のようでとても美しい。同じ色彩や柄のサリーがないのも見事。無表情な日舞や中国の踊りと違い、笑顔で踊るから、見ていただけで陽気になる。しかも動きも結構激しい。まさか、バレエの様式も取り入れているのだろうか?
歌もJポップと違い結構哲学的な内容なのが特徴。冒頭流れた歌の歌詞はこのようなもの。
♪おお、神様、我々をご覧下さい。我々の心はダイヤ、磨けばもっと光る。全ての力を一つにすれば、地上に天国が訪れる…どんな仕事も神の業、偉大な詩人もそう謳う…雲が出ても、カラスが飛んでも空の美しさは変わらない、水に沈めても花は浮き上がる、人も花のように浮き上がれ…
場所にもよるだろうが、この映画で見られたインドの踏切は手動だった。柵を開け閉めするのは人間で、日本のように遮断機はない。また花火が打ち上げられるシーンがあるも、その花火たるや色は単色で環もなく小さい。色鮮やかで少なくとも3重くらいの環がでる日本のそれに比べれば前時代風だ。
凧揚げの場面もあるが、凧はどう見ても西欧風で小さめなので、これまた日本のものとは違い単調でデザインはつまらない。ただ、この箇所でも歌が入り、「飛べ飛べ」が「パラパラ」に聞こえた。タミル語が日本語起源と称えた学者もいたが、立証はされていない。それにしても、タミル語は早口だ。機関銃のようにしゃべりまくる。
悪霊払いの儀式は面白い。登場した祈祷師は長髪に豊かなひげといういかにもインドの聖者スタイル。火を焚き、その前で祈りの言葉を奉げるのは、やはり護摩のルーツの国か。「オーム、カーリー、ホーリー…」と称えた脇で、「ホーリーって北インドの祭りでは?」とツッコミも入れられていた。さらに霊媒師が鮮やかな色の粉で六芒星を床に描き、中心に火を置いて祈祷するのも、曼荼羅を描くチベット仏教を思い出させる。法外なカネを取るインチキ祈祷師も多いらしい。
明るい娯楽作品のイメージが強いインド映画だが、カースト制の重い問題もあった。ガンガに悪霊が憑依したのは、幼少の不幸な体験が原因だった。彼女の母は低カースト出なので、父は村人から村八分にされ、その心労で死ぬ。死んで事が済む日本と違い、死亡しても葬儀も出してもらえない。母は村人全員に亡き夫の葬式を頼むが、不祥事を出した日本企業の社長のように頭を下げるのではなく、文字通り土下座、村人の足に額づいて頼むというほど。母も屈辱と心痛で死亡、両親を失ったガンガは多重人格となり、悪霊が取り憑きやすい性質になる。映画の舞台である南インドはカースト制が厳しいといわれる。
それにしても、ラジニカーントは『ムトゥ』の頃より太ったようだ。インドの俳優は恰幅がよすぎる。女優は美しいが、日本人から見ればかなりグラマラスな体型だ。インド映画は日本では公開はおろか、DVD化もあまりされない。韓流、華流以外に第三世界の映画がもっと見たいものだ。
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主人公はアメリカで医学を学んだ精神科医サラヴァナン。彼が帰国後に再開した親友は結婚したばかりの妻ガンガを紹介する。親友夫婦は価格が格段に安かったため、半世紀以上も空き家になっていた屋敷を購入、引っ越すが、新居では怪奇現象が相次ぐ。
実はこの屋敷はかつてはラージャ(王)の住まいであり、150年前、美貌のためラージャに強引に後宮に入れられた踊り子チャンドラムキの怨霊が封じ込められていたのだ。チャンドラムキには恋人があり、妾にされた後も恋人と密かに密会していた。これを知ったラージャは激怒、チャンドラムキの目の前で恋人の首を刎ね、彼女にも油を注いて焼殺する。非業の死を遂げたチャンドラムキは強い怨霊となり、優れた霊媒師がやっと封じ込めたという事情があったのだ。
ガンガはチャンドラムキの霊の封じ込められた部屋に入ったため、悪霊が解き放たれたばかりではなく、ガンガに霊が取り憑き、霊に支配される。チャンドラムキの悪霊はガンガを操り、悪事まで働くようになる。優秀な精神科医であるサラヴァナンは親友夫婦のため、祈祷師と共に命懸けで「悪霊退散」の治療に立ち向かう...
インド映画といえば、これぞ見せ場といわんばかりにやたら歌と踊りが入る。ダンスシーンはさすがに圧巻。大勢の男女が民族衣装で踊る様はスゴイ。特に女性のサリーは色彩の洪水のようでとても美しい。同じ色彩や柄のサリーがないのも見事。無表情な日舞や中国の踊りと違い、笑顔で踊るから、見ていただけで陽気になる。しかも動きも結構激しい。まさか、バレエの様式も取り入れているのだろうか?
歌もJポップと違い結構哲学的な内容なのが特徴。冒頭流れた歌の歌詞はこのようなもの。
♪おお、神様、我々をご覧下さい。我々の心はダイヤ、磨けばもっと光る。全ての力を一つにすれば、地上に天国が訪れる…どんな仕事も神の業、偉大な詩人もそう謳う…雲が出ても、カラスが飛んでも空の美しさは変わらない、水に沈めても花は浮き上がる、人も花のように浮き上がれ…
場所にもよるだろうが、この映画で見られたインドの踏切は手動だった。柵を開け閉めするのは人間で、日本のように遮断機はない。また花火が打ち上げられるシーンがあるも、その花火たるや色は単色で環もなく小さい。色鮮やかで少なくとも3重くらいの環がでる日本のそれに比べれば前時代風だ。
凧揚げの場面もあるが、凧はどう見ても西欧風で小さめなので、これまた日本のものとは違い単調でデザインはつまらない。ただ、この箇所でも歌が入り、「飛べ飛べ」が「パラパラ」に聞こえた。タミル語が日本語起源と称えた学者もいたが、立証はされていない。それにしても、タミル語は早口だ。機関銃のようにしゃべりまくる。
悪霊払いの儀式は面白い。登場した祈祷師は長髪に豊かなひげといういかにもインドの聖者スタイル。火を焚き、その前で祈りの言葉を奉げるのは、やはり護摩のルーツの国か。「オーム、カーリー、ホーリー…」と称えた脇で、「ホーリーって北インドの祭りでは?」とツッコミも入れられていた。さらに霊媒師が鮮やかな色の粉で六芒星を床に描き、中心に火を置いて祈祷するのも、曼荼羅を描くチベット仏教を思い出させる。法外なカネを取るインチキ祈祷師も多いらしい。
明るい娯楽作品のイメージが強いインド映画だが、カースト制の重い問題もあった。ガンガに悪霊が憑依したのは、幼少の不幸な体験が原因だった。彼女の母は低カースト出なので、父は村人から村八分にされ、その心労で死ぬ。死んで事が済む日本と違い、死亡しても葬儀も出してもらえない。母は村人全員に亡き夫の葬式を頼むが、不祥事を出した日本企業の社長のように頭を下げるのではなく、文字通り土下座、村人の足に額づいて頼むというほど。母も屈辱と心痛で死亡、両親を失ったガンガは多重人格となり、悪霊が取り憑きやすい性質になる。映画の舞台である南インドはカースト制が厳しいといわれる。
それにしても、ラジニカーントは『ムトゥ』の頃より太ったようだ。インドの俳優は恰幅がよすぎる。女優は美しいが、日本人から見ればかなりグラマラスな体型だ。インド映画は日本では公開はおろか、DVD化もあまりされない。韓流、華流以外に第三世界の映画がもっと見たいものだ。
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この映画、隣の町にある映画館で見ました。インド映画ブームが去った後なので少々うらぶれた映画館なのがさびしいですが…。
これは途中で思っていた「悪霊退散」の話とコースを変えてきましたが、ラストシーンで「まったくの迷信でもなかったのか」と思いました。やはり…いたんですよね?
>>映画の舞台である南インドはカースト制が厳しいといわれる。
一応日本では村八分でも葬儀は出してもらえるのですが、葬儀も出せない、と言う辺りが過酷ですね。同じ村でどういう住み分けになっているんでしょうか。
娯楽映画ですから真面目に考えてはいけないのでしょうが、ガンガはちゃんと高校(?)にも通えて大金持ちとも結婚してましたから、その辺りどう融通がついたのか興味があります。父親のカーストがましなのでその伝手で結婚できたとか。しかしカースト制度は難しいですね。父親のカーストは何だったんでしょう。
>>韓流、華流以外に第三世界の映画がもっと見たいものだ。
映画館ではありませんが、うちの近くのツ○ヤ、異常に韓国物が多く、世間の認知度からすると非常にアンバランスな品揃えに見えます。
インド映画は踊るマハラジャしか置いてありませんでした。映画を見たければYOU TUBEを探す方が早いかも。
主役の俳優さん、久しぶりに見ましたが、あまり写真で見る限り変わっていないような…。それにしてもインド人の女性は美しいですね。某番組での世界美女ランキングでもインドが堂々1位、納得でした。あまりスリム過ぎるより均整が取れていて女性らしいと思います。サリーも綺麗ですし。
カーストの問題は外国人には理解が難しく、善悪で判断できるほど単純な問題ではないので、これからも続いていくのでしょうね…。
宮城県ではこの映画、上映さえされませんでした。最近はハリウッド以外だと、韓国物ばかり上映されてます。昔は他のアジア映画も上映していたのに、最近は見られなくなりました。
インドも霊媒師がかなりいるようなので、そのような存在は信じられているのでしょうね。日本以上に迷信深いし。
同じ村でも、同カースト同士が固まって住んでいるそうです。もちろん、低カーストは外れの方。中世、北インドにイスラム勢力が侵攻した際、バラモンや職人が多数南インドに難を逃れてきたので、南は特にヒンドゥー色が強くなり、保守化したそうです。
異なるカーストの結婚でも男性のカーストが高いならまだ許されますが、それでも地方では映画のように村八分になるので、都会に駆け落ちするカップルもいるとか。
ただ、篤志家もおり、主人公も孤児なのに養家でちゃんとアメリカまで留学するという教育を受けることも出来ました。その主人公が読んでいたのがGITA。これは有名な聖典ですが、カーストの遵守を説いています。
私の行き付けのツ○ヤも韓国物は幅広くコーナーを取っていますよ。かなり意図的なものを感じますね。
>ハハサウルスさん
インド映画にも真面目な作品もあるのですが、何故か歌と踊り中心の長編映画ばかり公開されます。何か意図的なものあり
インド人知己もあり、現地に何度も行かれた女性ブロガーさんによると、美人も多い一方、??の人も結構見かけたそうです。人口が多いので単純な算術により、美女が多いならそうでない女性はそれ以上にいるという訳で。
インドに関心を持つ人なら、カースト制に無関心ではいられないですが、やはり異教徒には分からない制度ですね。社会的宗教的面があり、根幹にも関るので複雑すぎる問題です。