α好きの写真日記

毎日の奮闘記を自分が撮影した写真とともに掲載します。写真が撮れないときは写真の掲載はありません。

講演会取材

2025-02-09 05:48:39 | 日記
朝の体重66.6kg。
朝から雪が積もっていました。びっくりしました。軽トラックの荷台にもうっすら積もっていました。陸上練習に行くときに市後浜に寄ったら4人くらい釣りの方がいました。寒いのになあ。

9時から陸上練習。寒かったのと雪が積もっていたせいか40人の参加でした。最初の10分は雪遊び。みんな楽しそうでした。私はアップが終わってから日本講演新聞の中部特派員の仕事に出かけました。

講演は「激動の2025年。今の時代、何が大切なのか?~原発を止めた裁判長&元暴力団組長の僧侶・整体師」でしたが、元暴力団の僧侶・整体師の方は雪で出られず裁判長さんの話だけになりました。

前日かみさんが買ってくれたランチパックを食べながら移動しました。
雪で渋滞すると思って2時間早く出ましたが、道路は順調で、早く着きすぎました。会場は津城跡のすぐそばだったのでお堀にカワセミがいないか探索しました。津城跡は初めて入ったかも。3人くらい観光の方がいました。

会場に行ってみると講演主催者の方がちょうど来ていて準備を手伝いました。娘さんが美人でスタイルも良かったのでポートレートを撮影させて欲しいと思いましたが声をかけられませんでした。どう考えても非常識ですね。

14時から講演が始まりビデオとボイスレコーダーで録画録音。写真も撮りました。原発関係は本も読んでいたのでよく分かる話でした。原子力発電の危うさが解る講演でした。耐震性は脆弱でずっと人間が管理しないと核燃料が暴走する。停電が起こっただけで大事故になる。日本が滅んでしまうほどの規模の危険をはらんでいます。

政府や電力会社はなぜこんな危険な物を推奨するのでしょう。40年経った原子炉は廃炉にするという決まりだったのに60年までもどしています。福島原発の事故はいくつもの偶然と事業所の方々の努力があって紙一重であの規模に被害が収まっています。建屋の爆発が建屋だけでなく本炉まで爆発していたら東日本は壊滅していました。

三重県は芦浜原発を白紙に戻した経験があります。南島町の方々は兄弟同士でも争いあっていたと言います。三重に原発が出来なくて良かったです。
良い講演を聴けました。

17時30分に津を出て19時30分に帰宅しました。雪は松阪まで降っていました。注文していたマウスが届きました。納期3週間だったのに1日できました。すごいなあ。

ビールがないのでハイボールで良い気分。
感謝感謝。


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