言葉は本であり、言葉は声であり、言葉は時間であり、言葉は音であり、言葉は有無である.........
聖書の言葉から「言葉遣い」を少し拝借して書きました。
人間が行う言葉の定義は様々です。
多くの言葉がこの世には存在し、影響力を及ぼしています。
言葉を理解し、書き、発することは人間にしかできません。
動物が言葉を覚えるという事が良く言われています。
しかしあれはパブロフの犬と一緒で条件反射にすぎないとか思ってしまうんですな。
犬が数字を覚えて計算するということをするといわれています。
また他の動物で霊長類は理解力を持っていると考えられています。
では「もし無反応で食べ物も与えられなかったなら覚えたのか?」という疑問を呈する際に覚えることはないとも考えてしまいます。
動物でも記憶力を有しており、動物というのは人間に敏感であったり、生きるための手段として覚える必要に迫られて食べ物のために覚えるのです。
これは「人間の言葉」に関してだけですがね。
動物には鳴き声や動作によってコミュニケーションをとる手段を持っており、彼らたちだけの言葉を持っていると言えばそうなのです。
動物の羨ましいところは定義などが無く、世代を通じてコミュニケーション手段が全く同じであるという点でしょうかね~。
全く知らなくても、同じ種類ならば引き合わせると反応を見せます。
そしてジェネレーションギャップなんてものは存在せず、鳴き声や動作によって理解します。
まあ単純だといったらそれまでなんですがね。
日本語のように複雑怪奇な言葉をネイティブに使わなければならない
おいら自身が日本人
だという事実が言葉に対しての見方が根本から違う事の表れなのかも知れません。
タイプライターというのがあります。
あれは英語や字数の少ない言語では用いることが出来ますが、日本語は余りに字数が多すぎるので不可能でした。
コンピュータを最も有効に使うことが出来る言語が日本語だと言っても過言ではないとおいらは考えています。
Fontがこんなにも多岐にわたって作られている言語も少ないでしょう。
英語も沢山のFontが作られていますが、細かな設定を行えるようなFontを作るメーカーが沢山あり成立しているのは日本語が他の言語にない「複雑さ」と言葉の奥ゆかしさを追求していくことが出来る「魅力」を有しているからだとも感じます。
短い言葉でインパクトのある表現が出来るのが日本語の魅力です。
日本人には言葉に関してのセンスは日本で育ったならネイティブで持っている事もよく考えるんですよね。
他の言語でも見ることが出来ますが、日本語というのは漢字も含まれており、漢字の意味を知っているのであれば他の人にも伝えることが出来ますし、キャッチコピー等を作る人だけではなく、ほとんどすべての日本人が心に訴える手段を持っていると思うのです。
一つの例として「Love Letter」を考えてみると面白いですよね。
日本語では「恋文」です。
どちらがぐっと来るでしょうか?
横文字というのは言葉が軽くなってしまうような気がしてしまいます。
それに対して恋文というのは深く感じます。
この記事を書こうと考えたのは「博士の愛した数式」という映画を見ているからです。
寺尾聰さんのセリフの素晴らしい表現に感銘を受けています。
シナリオや脚本のすばらしさを感じますし、日本語の美しさが心にしみてきます。
日本語も捨てたモノではないですな。
「言葉に命を吹き込む」という言葉があります。
しかし命があるからこそ言葉が活性化し生きてくるのではないでしょうか?
「卵が先か?鶏が先か?」という問いかけと一緒です。
モノを作るに当たっては人間ありきで言葉を使う人間がいなければ言葉には意味がありません。
考えを書いた際に言葉が生まれ種になり、ドラマや映画、歌、詩、本などになり、それを演じたり、歌ったり、見たり、読んだ人間が言葉を成長させていくのではないでしょうか?
新芽(見る)が出て、葉(感じる)が生まれ、光合成(黙想、もしくは考えの反復)によって成長し、最終的に実(知恵)になるという結論になっています。
そして良い作品には実がなり豊かな収穫が待っていると言うことを感じます。
良いモノを作りたいと願っている人は、少なくとも良いモノを作る土台というのが備わっており、そして歳と共に作る方法を見いだすことが出来るようになっていくのもこの世の理です。
もっと書きたいのですが、考えがまとまりそうにないのでこのぐらいで失礼します。
良いモノをちゃんと評価が出来る人間でありたいと願っているmumu.comでした。
聖書の言葉から「言葉遣い」を少し拝借して書きました。
人間が行う言葉の定義は様々です。
多くの言葉がこの世には存在し、影響力を及ぼしています。
言葉を理解し、書き、発することは人間にしかできません。
動物が言葉を覚えるという事が良く言われています。
しかしあれはパブロフの犬と一緒で条件反射にすぎないとか思ってしまうんですな。
犬が数字を覚えて計算するということをするといわれています。
また他の動物で霊長類は理解力を持っていると考えられています。
では「もし無反応で食べ物も与えられなかったなら覚えたのか?」という疑問を呈する際に覚えることはないとも考えてしまいます。
動物でも記憶力を有しており、動物というのは人間に敏感であったり、生きるための手段として覚える必要に迫られて食べ物のために覚えるのです。
これは「人間の言葉」に関してだけですがね。
動物には鳴き声や動作によってコミュニケーションをとる手段を持っており、彼らたちだけの言葉を持っていると言えばそうなのです。
動物の羨ましいところは定義などが無く、世代を通じてコミュニケーション手段が全く同じであるという点でしょうかね~。
全く知らなくても、同じ種類ならば引き合わせると反応を見せます。
そしてジェネレーションギャップなんてものは存在せず、鳴き声や動作によって理解します。
まあ単純だといったらそれまでなんですがね。
日本語のように複雑怪奇な言葉をネイティブに使わなければならない
おいら自身が日本人
だという事実が言葉に対しての見方が根本から違う事の表れなのかも知れません。
タイプライターというのがあります。
あれは英語や字数の少ない言語では用いることが出来ますが、日本語は余りに字数が多すぎるので不可能でした。
コンピュータを最も有効に使うことが出来る言語が日本語だと言っても過言ではないとおいらは考えています。
Fontがこんなにも多岐にわたって作られている言語も少ないでしょう。
英語も沢山のFontが作られていますが、細かな設定を行えるようなFontを作るメーカーが沢山あり成立しているのは日本語が他の言語にない「複雑さ」と言葉の奥ゆかしさを追求していくことが出来る「魅力」を有しているからだとも感じます。
短い言葉でインパクトのある表現が出来るのが日本語の魅力です。
日本人には言葉に関してのセンスは日本で育ったならネイティブで持っている事もよく考えるんですよね。
他の言語でも見ることが出来ますが、日本語というのは漢字も含まれており、漢字の意味を知っているのであれば他の人にも伝えることが出来ますし、キャッチコピー等を作る人だけではなく、ほとんどすべての日本人が心に訴える手段を持っていると思うのです。
一つの例として「Love Letter」を考えてみると面白いですよね。
日本語では「恋文」です。
どちらがぐっと来るでしょうか?
横文字というのは言葉が軽くなってしまうような気がしてしまいます。
それに対して恋文というのは深く感じます。
この記事を書こうと考えたのは「博士の愛した数式」という映画を見ているからです。
寺尾聰さんのセリフの素晴らしい表現に感銘を受けています。
シナリオや脚本のすばらしさを感じますし、日本語の美しさが心にしみてきます。
日本語も捨てたモノではないですな。
「言葉に命を吹き込む」という言葉があります。
しかし命があるからこそ言葉が活性化し生きてくるのではないでしょうか?
「卵が先か?鶏が先か?」という問いかけと一緒です。
モノを作るに当たっては人間ありきで言葉を使う人間がいなければ言葉には意味がありません。
考えを書いた際に言葉が生まれ種になり、ドラマや映画、歌、詩、本などになり、それを演じたり、歌ったり、見たり、読んだ人間が言葉を成長させていくのではないでしょうか?
新芽(見る)が出て、葉(感じる)が生まれ、光合成(黙想、もしくは考えの反復)によって成長し、最終的に実(知恵)になるという結論になっています。
そして良い作品には実がなり豊かな収穫が待っていると言うことを感じます。
良いモノを作りたいと願っている人は、少なくとも良いモノを作る土台というのが備わっており、そして歳と共に作る方法を見いだすことが出来るようになっていくのもこの世の理です。
もっと書きたいのですが、考えがまとまりそうにないのでこのぐらいで失礼します。
良いモノをちゃんと評価が出来る人間でありたいと願っているmumu.comでした。