この頃「しなければならんな~」と前々から思っていたことを実行しつつあります..............................
まずはComputerが無い状態にしないと勉強に集中出来無いことが解りつつあります。
ということで勉強に集中出来るように出かけるようになりました。
今週は週の始めには「図書館」、2009.11.14には「GUSTO」で勉強してきました。
図書館は静かで良い環境だと思われがちですが、この頃の図書館って違うこともあります。
まあそのあたりは書くまでもないことでしょうか。
おいらは勉強するとなるとガッツリしなければ達成感を感じません。
でもおいらのガッツリは結構時間がかかります。
1日掛かりでも納得出来ないことが少なくありません。
勉強をするには結構な時間を要します。
図書館には2時半ぐらいに行ったのですが6時が閉館です。
3時間半って短いですよね。
なぜもっと早く起きないのかと憤りを感じるのですが、
「もっと勉強したいな~」
という衝動が中途半端な勉強時間では湧いてきます。
ということで2009.11.14はUNIQLOに寄った後にGUSTOに行ってきました。
本来であればもっと早く行きたかったんですけどね。
Televisionで観たい番組がありそれを見ていると遅くなりました。
GUSTOには5時前ぐらいに着きました。
図書館に行きたかったのですが、さすがに1時間では何も出来ません。
最近の傾向として調べモノをする際にはComputerが不可欠だと思われがちです。
しかし人間というのは本を読むように作られています。
二次元のMonitorではなく手に取って見ることが出来る本という形が最も学習効率が良いはずなんですよ。
理由は以前にも書きました。
ComputerはKeyboardとMouse、Tabletなどを使って操ります。
作業効率的には断然Computerの方が良いのは解っていますけどね。
学習というのは心で行うものだというのが意外と知られていませんよね。
暗記重視な教育制度はどうかと思ってしまいます。
ただ単に暗記して因果関係を理解しない学習というのは学ぶ本質を見失っていると思うわけですよ。
心で「把握」をするという作業があります。
宿題で「この頁の単語を10回ずつ書いてきなさい」とかいうモノがありますよね。
「覚える気がある」10回と「ただ単に単語を写すだけ」の10回とでは意味合いが全く異なります。
これは心の持ちようの問題でやる気がなければ覚えることは無いでしょう。
厳密に書くと深層心理上では写した単語は覚えているのは間違いありません。
しかし心の認識上ではそれは「覚えたくもないのに嫌々させられた宿題」なのですから記憶として残ることって期待出来ません。
おいらは特になのですが「あの頃もっと勉強しておけば良かったな~」と思うことって少なくありません。
でも勉強しないには理由があり、その理由を親や教師は図り兼ねるのです。
若い頃特有の精神状態は非常に繊細で心が揺れ動く頃です。
自分自身でも解らないのですから、それをすべて理解しろと他人(自分以外の人間という意味)に強請するほうが間違いなのです。
「だからこそ今することが重要ではないか」と最近は考えています。
得るものは若い頃よりも多いことは間違いありません。
受け入れることが出来る量が多くなっていますし、学習する理由も解っています。
ただ、「時間を取り分ける」というのは非常に労力を要する作業であることは間違いないでしょう。
聖書の中には
「自分のために、よい時を買い取りなさい。今は邪悪な時代だからです。」
という言葉があります。
つまり学習することは金を掛けても行うべき事であるということでしょう。
ということでGUSTOでやってきたわけです。
本当はお腹も空いていなかったのですがCheese CakeとDrink Barを注文して飲み物を入れてから学習を始めました。
飲食店で思うことはなぜあんなにToiletに行きたくなるのかという疑問です。
確かに飲み物を飲んでいますがね。
1時間に1回ぐらいの頻度で行ったのではなかろうか..........
飲食店というのは周りが五月蝿くなることも予想されたためにHeadphoneとiPodが2つ、ZOOMのH2を持っていきました。
勿論ですが、SANYO eneloopも相当数持っていきました。
充電が完了した電池をCaseに入れて机の上に置いてあるのですが、少しずつ持っていけばいいだけなのに結局1週間も経てば全部が鞄の中に入れてしまっていますね。
使える電池というのは一度に2本ずつ、一日音楽を聴くだけであれば4本入りのCaseが2個あれば間に合うのにです。
これって何にでも当てはまりますよね。
たとえば飲食することはどんなに金を持っていても一度に食べることが出来る量は決まってきます。
それに安くても質が良くて美味しいものがあります。
生モノは特に貴重ですよね。
それを買い占めても質が悪くなってしまうんですな。
また一度に使える文具というのは精々同時に2種類でしょうか。
Notebookと筆記具を使えばふさがってしまいます。
それ何に沢山の筆記具を購入してしまいます。
これは使用感が違うし、それぞれが発する「言語」が違うのですから個々を使用する意味はあります。
「言語」という言葉を使いましたが、人は何事からでも信号や言語を受け取っています。
沢山の言語を読み取り把握して生きているんですな。
映画の「MATRIX」は世界がProgramで構成されているという設定でしたが、あの表現は強ち間違いでもないでしょう。
個々の人間が受け取る周波数が違い、受け取る言語は違うと書くと解りやすいでしょうか。
それが個性(individuality , personality)やIdentityを構築するといっても良いでしょう。
信号の受け取り方はそれぞれが強力な暗号化が行われているとも言えます。
え~っと話が解らない方向に行ったので戻します。
ようは「必要なモノは多くはない」ということでしょうか。
Simpleに勉強に集中するならば周りの音は気になりません。
Headphoneを装着するのはそれら外界の音を遮断したいということでしょうか。
音も大きくはしませんでしたが、夕食時はさすがに周りが騒々しくなってきました。
ところがありがたいことに店員さんが気を利かしてくださったのか、隣の席にはおいらがいる間にお客さんが座ることがありませんでした。
角に座ったのですが、片方は仕方がないとあきらめていたのですがね。
気がつくと11時になっていて日曜日は朝起きねばならないことから慌てて家に帰って風呂に入って寝ました。
それでも6時間程度しか勉強出来なかったのは残念です。
これからは定期的に勉強するように図書館や飲食店に行こうと計画を立てよう。
まだまだ勉強し足りません。
読みたい本も沢山あるし、もっと深く知りたいものが沢山あります。
限られた時間を大切に使っていきたいものです。
まずはComputerが無い状態にしないと勉強に集中出来無いことが解りつつあります。
ということで勉強に集中出来るように出かけるようになりました。
今週は週の始めには「図書館」、2009.11.14には「GUSTO」で勉強してきました。
図書館は静かで良い環境だと思われがちですが、この頃の図書館って違うこともあります。
まあそのあたりは書くまでもないことでしょうか。
おいらは勉強するとなるとガッツリしなければ達成感を感じません。
でもおいらのガッツリは結構時間がかかります。
1日掛かりでも納得出来ないことが少なくありません。
勉強をするには結構な時間を要します。
図書館には2時半ぐらいに行ったのですが6時が閉館です。
3時間半って短いですよね。
なぜもっと早く起きないのかと憤りを感じるのですが、
「もっと勉強したいな~」
という衝動が中途半端な勉強時間では湧いてきます。
ということで2009.11.14はUNIQLOに寄った後にGUSTOに行ってきました。
本来であればもっと早く行きたかったんですけどね。
Televisionで観たい番組がありそれを見ていると遅くなりました。
GUSTOには5時前ぐらいに着きました。
図書館に行きたかったのですが、さすがに1時間では何も出来ません。
最近の傾向として調べモノをする際にはComputerが不可欠だと思われがちです。
しかし人間というのは本を読むように作られています。
二次元のMonitorではなく手に取って見ることが出来る本という形が最も学習効率が良いはずなんですよ。
理由は以前にも書きました。
ComputerはKeyboardとMouse、Tabletなどを使って操ります。
作業効率的には断然Computerの方が良いのは解っていますけどね。
学習というのは心で行うものだというのが意外と知られていませんよね。
暗記重視な教育制度はどうかと思ってしまいます。
ただ単に暗記して因果関係を理解しない学習というのは学ぶ本質を見失っていると思うわけですよ。
心で「把握」をするという作業があります。
宿題で「この頁の単語を10回ずつ書いてきなさい」とかいうモノがありますよね。
「覚える気がある」10回と「ただ単に単語を写すだけ」の10回とでは意味合いが全く異なります。
これは心の持ちようの問題でやる気がなければ覚えることは無いでしょう。
厳密に書くと深層心理上では写した単語は覚えているのは間違いありません。
しかし心の認識上ではそれは「覚えたくもないのに嫌々させられた宿題」なのですから記憶として残ることって期待出来ません。
おいらは特になのですが「あの頃もっと勉強しておけば良かったな~」と思うことって少なくありません。
でも勉強しないには理由があり、その理由を親や教師は図り兼ねるのです。
若い頃特有の精神状態は非常に繊細で心が揺れ動く頃です。
自分自身でも解らないのですから、それをすべて理解しろと他人(自分以外の人間という意味)に強請するほうが間違いなのです。
「だからこそ今することが重要ではないか」と最近は考えています。
得るものは若い頃よりも多いことは間違いありません。
受け入れることが出来る量が多くなっていますし、学習する理由も解っています。
ただ、「時間を取り分ける」というのは非常に労力を要する作業であることは間違いないでしょう。
聖書の中には
「自分のために、よい時を買い取りなさい。今は邪悪な時代だからです。」
という言葉があります。
つまり学習することは金を掛けても行うべき事であるということでしょう。
ということでGUSTOでやってきたわけです。
本当はお腹も空いていなかったのですがCheese CakeとDrink Barを注文して飲み物を入れてから学習を始めました。
飲食店で思うことはなぜあんなにToiletに行きたくなるのかという疑問です。
確かに飲み物を飲んでいますがね。
1時間に1回ぐらいの頻度で行ったのではなかろうか..........
飲食店というのは周りが五月蝿くなることも予想されたためにHeadphoneとiPodが2つ、ZOOMのH2を持っていきました。
勿論ですが、SANYO eneloopも相当数持っていきました。
充電が完了した電池をCaseに入れて机の上に置いてあるのですが、少しずつ持っていけばいいだけなのに結局1週間も経てば全部が鞄の中に入れてしまっていますね。
使える電池というのは一度に2本ずつ、一日音楽を聴くだけであれば4本入りのCaseが2個あれば間に合うのにです。
これって何にでも当てはまりますよね。
たとえば飲食することはどんなに金を持っていても一度に食べることが出来る量は決まってきます。
それに安くても質が良くて美味しいものがあります。
生モノは特に貴重ですよね。
それを買い占めても質が悪くなってしまうんですな。
また一度に使える文具というのは精々同時に2種類でしょうか。
Notebookと筆記具を使えばふさがってしまいます。
それ何に沢山の筆記具を購入してしまいます。
これは使用感が違うし、それぞれが発する「言語」が違うのですから個々を使用する意味はあります。
「言語」という言葉を使いましたが、人は何事からでも信号や言語を受け取っています。
沢山の言語を読み取り把握して生きているんですな。
映画の「MATRIX」は世界がProgramで構成されているという設定でしたが、あの表現は強ち間違いでもないでしょう。
個々の人間が受け取る周波数が違い、受け取る言語は違うと書くと解りやすいでしょうか。
それが個性(individuality , personality)やIdentityを構築するといっても良いでしょう。
信号の受け取り方はそれぞれが強力な暗号化が行われているとも言えます。
え~っと話が解らない方向に行ったので戻します。
ようは「必要なモノは多くはない」ということでしょうか。
Simpleに勉強に集中するならば周りの音は気になりません。
Headphoneを装着するのはそれら外界の音を遮断したいということでしょうか。
音も大きくはしませんでしたが、夕食時はさすがに周りが騒々しくなってきました。
ところがありがたいことに店員さんが気を利かしてくださったのか、隣の席にはおいらがいる間にお客さんが座ることがありませんでした。
角に座ったのですが、片方は仕方がないとあきらめていたのですがね。
気がつくと11時になっていて日曜日は朝起きねばならないことから慌てて家に帰って風呂に入って寝ました。
それでも6時間程度しか勉強出来なかったのは残念です。
これからは定期的に勉強するように図書館や飲食店に行こうと計画を立てよう。
まだまだ勉強し足りません。
読みたい本も沢山あるし、もっと深く知りたいものが沢山あります。
限られた時間を大切に使っていきたいものです。