扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 その34 2008.02.23

2008-02-23 21:34:11 | Stationery & Supply
言葉というのは大自然をもCanvasにできる......................

まだ見ぬ表現を楽しみにしている自分がいます。
誰がどんな表現で事象を表現してくれるのだろうという期待ですな。
人によって表現方法というのは違いますし、感覚も違う訳です。
また言葉の自由度のある日本語には潜在的な「造語の可能性」というのはすごく大きなものなんですな。
少なくとも自分の中から湧いてくる言葉があるのも事実ですし、それを筆記することが習慣になっています。

でも字を書くよりもタイピングする方が早いぐらいなのでこのBlogで書いているという行為自体がおいらの表現方法の一種となっています。
というかメインになっていることは間違いないでしょう。
良く毎日こんなに書くことがあるモノだと感心するのですがね。
人というのは自己表現の場を求めていて少なくともおいらの中での精一杯の表現の場なのです。
すべての心情を吐露するとまでは行きませんがね。
おいらの考えていることが綴られていますのでこのBlogを見とだいたい理解できるはずですな。

んで車の運転をしている時に思いつく事ってけっこう多いんですよ。
「あれはこうした方が良い」とか「コレはこうなのではないだろうか」などといった簡単な思いつきなどはしょっちゅうです。
おいらはDriveが気分転換であり、また黙想する時間でもあります。
よって思いめぐらして物事の結びつきなどを理解してはメモをしたいという衝動に駆られることがあります。

でも携帯電話の使用と同じで運転中にメモをするのは危ないんですな。
携帯電話の場合は意識が他のことにいってしまうことで運転に集中できない事から使用が禁止されるようになりました。
他の人との会話というのは非情に集中力を低くしてしまいます。
当然ながら運転中もほとんど全ての人は考え事をしているはずです。
しかし一人で考えることと他の人のランダムな会話とでは頭の使いようというのは全く違いますからな。
車の運転の場合は同乗者との会話をすることも多いはずですが、同乗者というのはほとんどの場合に同じ車という空間で会話をする訳ですよ。
よってシチュエーションというのは運転していること以外はほとんど同じ条件で話をすることができます。

では携帯電話の話し相手の場合はどうでしょうか?

違う状態であることが多いのは間違いないでしょう。
この場合は一方的に危険な状態にさらされているということを認識しなければならないと思います。
加えて携帯電話のMailとかWEB Browsingなどは車の運転をしながら行なうことは「危険運転」に当たると言えるでしょう。

なんだか話がへっちの方に行ってしまいましたけど車の運転中は電話の使用をしない事が最善だということを言いたいんですな。
おいらは常日頃から考えることを習慣としています。
「写真を撮る際に行えること」や「学んだことの適応方法」、「Computerの未来」など色々なことを考えています。
そして突拍子もないことからおいら個人の視点で面白いと思うことを思いつく訳ですよ。
でもメモを取るのは危険ですし、運転しながら記録する道具が欲しいと思う訳です。
ということでIC Recorderが欲しいな~としょっちゅう思っています。

まあいいんですけどね。
車の運転中というのは意識を集中することが必要な際に直ぐに忘れてしまうことが多いんですよ。
記憶の逆行を行なって思い出すこともできますけどね。
それほど重要なことだと考えていなくても意外と思い出してメモしたことを観てみると着想が面白いと感じることがある訳です。
メモするのは当然ですが、赤信号で車が止まっているときであったり、車を脇に寄せて駐めることができる場所があった際に車を駐めてメモをするのです。
でもメモをしているときも頭の中で色々な考えが湧いてきて追いつかなくなることがかなりあります。
全部書きたいのに追いつかなくて結局は忘れてしまうというもったいないという自責の念に駆られることもあります。
ここで発想の転換をしてまた新たな考えが湧いてくるから別に良いやと切り替えることができるようになりました。

人というのは話す速さの3~4倍のスピードで物事を考えているといわれています。
話す速さというのは早い人もいれば遅い人もいますがね。
通常は自分の話す速さの3~4倍のはずなんです。
そしてメモする速さというのはおいら個人の実感では言葉を話す速さの20分の1ないし50分の1程度だと感じています。
人によってはもっと大きな隔たりがあるでしょうしね。
メモをするのは要点だけだということを考えるともっと大きな差があるでしょう。
少なくとも頭に浮かんでる考えの60分の1から200分の1程度しかメモをとれていないぐらいではないでしょうか。
言葉を口にして発することまでにも数倍の言葉が浮かんでいるはずですしね。
話す速さの3~4倍というのは少なく見積もっているはずなんですな。

そんな風に考えていますからメモを取るのは要点だけにしておかなければ書き留めることはできないはずです。
でも書き留める行為によって思考が働き結論をシチュエーションで覚えていることになるんですな。

えーっと最初の言葉に戻そうと思います。
言葉の表現による表現というのは「指紋」と一緒で一人一人違います。
一つだけであれば解りにくいかもしれませんがね。
幾つかの記事を読んでいると筆者の事がわかるようなります。
・何に関心があるのか
・何に悩んでいるのか
・何をしたいのか
・どんな性格なのか
といったプロファイリングが出来るんですな。

でも人は一応ではありませんし、成長していきます。
そして感受性を育てることも可能ですし、語彙も増やしていくこともできます。
言葉の表現というのは書いていると増えていくのです。
よってさまざまな人の見えている風景をその人の視点で見たいと感じます。

言葉によって風景を言葉に置き換えて表現を可能にするんですな。
特に風景に関心事を集中させている方の表現というのはさながら

言葉によって風景をCanvasにし、自分のColorで色付けし、中心となるモノを見せ、周りの風景さえも読む人のImaginationのうちに無意識のうちに作り出す

かつ感動をリアルに伝えることも可能にする

のです。

まあ何事も続けることに意義があり、続けることによってでしか見えてこないモノもあります。
「継続は力なり」と言う言葉は短いですが、この言葉に含まれる意味というのは大きく強く確固とした意志が必要なのです。
考え続け、書き続け、努力を続けることによって人により効率的に伝達する方法を見いだすことができていくんですな。

そして努力を続けていくうちに表現できないモノが出てきた際に相応しい言葉を組み合わせて造語というモノができるんですな。

「継続は力なり」と言う言葉を念頭に置き、自分の言葉を塩で味付けされたモノにしていきたいモノです。

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