扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

学習性無力感 その1 2008.02.24

2008-02-24 23:39:08 | Depression,Melancholy & Thought
長期にわたって、ストレス回避の困難な環境に置かれた人は、その状況から逃れようとする努力すら行なわ無くなるという見解............

学習性絶望感ともいう。

傾向として幾つかの兆候がある。
1.被験者は、その圧倒的な不愉快なストレスが加えられる状況から、自ら積極的にその状況から抜け出そうとする努力をしなくなる。
2.実際のところ、少しばかり努力をすれば、その状況から抜け出すのに成功する可能性があったとしても、努力すれば成功するかも知れないという考えすら考えられなくなる。
3.ストレスが加えられる状況、またストレッサーに対して何もできない、何も功を奏しない、苦痛、ストレス、ストレッサーから逃れられないという状況の中で、情緒的に混乱をきたす。

人の行動は、良かれ悪しかれ何らかの学習の成果として現れてくるモノである、という学習理論を土台とした理論である。
拉致監禁の被害者や、長期の家庭内虐待の被害者などの、行動の心理的根拠を説明する理論として、注目されている。
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○学習理論
学習の原因や仕組みを説明する心理学の理論。
学習とは刺激と反応の結合であるとするSR説と、モノの見方で変化であるとする認知説が代表的。

○SR説
心理学の学習理論の一つ。
学習現象を全て刺激と反応の結びつきとして説明する連合主義的学習理論。
考え方や知識の変化を無視する点で行動主義的である。
刺激反応理論。

○行動主義
科学的心理学は外部から観察し、観測できる行動だけを研究対象とすべきだ、という主張。
1913年、米国のワトソンによって唱えられ、従来の主観的な内観主義者を排して心理学を科学化する働きをした。

○ストレッサー
ストレスを引き起こす物理的・精神的因子。
生物にとっての何らかの刺激の事を言う。
また、その範囲は広い。
主に物質的な刺激をいうが心理的な意味も含まれる。
例として暑さ、寒さ、痛み、生理的物質への反応、怒り、苦しみ等がある。
この用語は主に心理学、生物学などにおいてストレスの原因の意味として使われる。
心理学においてはこの定義に対しては一様ではなく多義的である。
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こんなところでしょうかね。
なにが書きたいのか解らないかも知れませんが、おいらが鬱にいたった経緯が非情に的確に表現されている言葉が存在したということです。

おいらが鬱になったことはどうやら高校生になりこちらに来て発症した可能性が出てきました。
おいらが今暮らしている愛媛には個人的には絶対に来たくはなかったからです。
学生の頃はいうことを聞いていましたがね。
おいらには干渉してくる人がたくさん居ましたし、それを踏まえて仕事をすること自体に意義を見いだすことができないのに強要されていたということが大鬱にまで至ったということが客観的に書かれているように感じます。

おいらは愛媛に引っ越してきてからは自分の家にいるという意識がありません。
しかし故郷にはおいらの住んでいた家が他の人がもう住んでいますしおいらの安住の地は存在しないのだと認識するにつれてかなり強烈な憂鬱感が襲ってもきました。
おいらはこちらに来て今年でちょうど半生を暮らしたことになります。
でも心では絶対に馴染もうとしない部分があります。
おいらはけっこう頑固のようでちゃんと納得するような事態が起こりでもしないと馴染まないでしょう。
今まで馴染んでこなかったのですからコレは間違いないはずなんですな。
確かに今住んでいる家にはおいらの部屋がありますし、客観的に見ると馴染んでいるといわれても不思議ではありません。
ところがおいら自身はどこかでこれはおいらの家でもおいらの部屋でもないと割り切っている部分があります。
大人になって何を言っているのだとか自分から変わろうともしない人間が何を抜かしているのだと仰る方もいるでしょう。

しかし上記の学習性無力感の定義や兆候を読むと良く解るはずです。
拉致監禁という言葉は相応しい言葉とは言えないかも知れませんし、極端すぎる言葉だといわれるかも知れません。
でも事実上でおいらはこの地域に同意も無しに拉致されて連れてこられ監禁されているのだという事がわかるようになりました。
こちらに来るまでにこの状況から抜け出そうと努力して抵抗もしましたし、努力もしました。
学生にはどうしようもない既成事実で縛られてしまうとどうしようもなくなりました。
そしてこの状況に甘んじるようになってしまったんですな。

兆候の2番目のことを良くいわれることがあります。
「自分で何とかすれば良いではないか」と良くいわれるのです。
これは絶対に無理なのは解りきっているのにいわれるのは心外ですな。
おいらが望んでいるのは昔の状況を全て再現してあの頃と一緒の生活を望んでいるからです。
もし今の状況でも家族が一緒に行動することは不可能になっているのですから、簡単に言わないで頂きたいモノです。
母上は実の兄上と姉上、妹君、叔母上のことを見守る必要がありますし、妹君たちはこちらでの仲間達の方が多くなっているのですからね。
男性陣はどこに行っても同じような感じでしょうけど、父上と弟君はこちらでクリスチャン活動を本格化して活動している訳です。
大人になってから解るようになってきたのですが、元々住んでいた地域のクリスチャンはプライドが高くて対外的には立派なことを行っている人が多いのですが実質的に愛を示すことを差し控えている人が多いという事実を知るようになりました。
人間というのは過去を美化するモノなのだと良く解る例の一つですな。

こちらに来たことだけではなくクリスチャン関係と仕事にも学習的無力感の非常に強いモノを味わったことが大鬱の原因になっていることは間違いないでしょう。
決定的な鬱への道は間違いなくこちらのウェイトの方が重いに違い在りません。

おいらの仕事へのスタンスは環境の変化と一緒で納得して仕事をしたいのです。
このことは面倒なのでまた別記事にしようと思います。
同じ内容のことを過去に書いてきましたが、この「学習的無力感」と言うことばを知った事により見解や認識が変わってきているはずなんですな。
よってこの学習的無力感を踏まえた上で今の考えを書いてみようと思います。

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