やっぱり書く事というのは「生きている事を確認する作業」...............................
いろいろと報道されているニュースだけでも記事として書きたい事が沢山ありますね。
・「バカボン」の本当のパパの訃報とそれに対してのタモリさんの弔辞
・オリンピックは滞りなく行われるのか
・某国でのHyper Inflation
他にも沢山あります。
タモリさんの弔辞はクリスチャンでも凄く感動しました。
タモリさんの口から語られる赤塚さんの詳細を知る事によって更に「それでいいのだ。」という言葉の本質を知る事が出来ました。
「それで良いのだ。」は名言だと思いますな。
ところで書く事に関して少し記事として書こうと思います。
先日というか今月の初めの2008.08.01ー2008.08.03までクリスチャンの大きな集まりに参加してきました。
大きな集まりでは有益な話が行われ、年々自分自身が回復しているBarometerになっているようです。
その中でも講演のMemoを取る質というのは大きな目安になります。
集まりから得られた益をNotebookに残す質は年々良くなっていると思う訳です。
更に書くという作業はたとえ「話の内容」の少ししかとれなくても自尊心にダイレクトに繋がる事を実感しました。
人というのは以前にも書きましたが、Memoを取るのは難しいんですよ。
話として扱われている資料を全てとれる人というのは速記するひとやComputerで打ち込んでいく人ぐらいです。
それに速記している人も「言葉」を残すだけで内容を全て把握する事は難しいのだという事は後で書き起こす必要がある事からも解ります。
Computerで打ち込んで行くにしても誤字脱字が無いかを確認し、話を聴きながら打っていると内容どころではない状態でしょう。
Memoの内容を思い返すに当たってはおいらはIC Recorderで録音しましたし、聴く事が出来ます。
でも実際に目の前で話をして貰った事から来る益と録音したDataから得られる益とでは大きな差がある事を感じます。
当然ながらMemoは情報量が録音Dataよりも少なく関連する事というのは一部でしかありません。
感動して泣きそうになった所もMemoを取って感じた事を思い返してもどのような事が話されたのかが解らない事もありました。
IC Recorderで録音して良かったとも思いますし、もし録音の手間がなかったならもっと話から益を得る事が出来ていたかも知れません。
でもCassette Recorderよりも断然マシになった事は感じましたな。
カセットの入れ替え作業を父上が行っていたのですが、端で見ていてもかなり集中力がそがれます。
Memoを取るに当たっては大きなポイントです。
おいらがIC Recorderで録音する仕事をする事になりましたが、電池の量を気にする意外はテープの入れ替えが実質的に必要ではなくなりました。
おいらは話を聴いたり、本を読んだり、会話をする際に没頭し集中したいタイプです。
時間を無駄にはしたくありませんし、LossがあったりTime-lagがあることは益を得損なう大きな要因となります。
Real Timeで話と同調してMemoを取るようにしていきたいんですよね。
まあ参照する聖句をメモっていると話されている内容とはTime-lagが発生が多くなります。
でもカセット録音で煩わされる実質的に話とは関係のない作業をするのと比較すると比べるまでもありません。
人というのは不器用なモノなんですな。
同時並行して物事を行っていると言っても必ずどちらかに偏るようになっています。
つまり結局は人というのは一つの事しか行えないんですな。
時間が必要な場合や時間の経過が必要な仕事は別ですが、やればやるだけ物事が進んでいく作業の場合は幾つもの作業を並行的に行っていくよりも一つの作業を集中的に行う方が達成感を得る事が出来ます。
確かに同時並行して物事を行い全てを同時に終わらせるような仕事から得られるもの凄い達成感は難しいかも知れませんけどね。
確実に一つ一つを完遂し、確実に減らせていく方がおいらは性が合っています。
全て一緒に行い大きなフラストレーションを抱えるよりも少なくとも短いSpanで一つ一つの達成感を味わう事の方が良いんですな。
ここでおいらのMemoのとり方を少し書いてみようと思います。
おいらはMemoを取る場合に単位があるんですよ。
一日中話を聴く場合の方法を書いてみますね。
まず
・一つ一つの話
・幾つかのまとまった話の間に賛美歌を歌うのですがこの歌と歌の間の1時間半ぐらい
・午前、午後
・一日
・一つの集まり
といった感じですかね。
今回の集まりでは合計時間が12ー14時間弱の話のMemoを取った事になります。
前々々回(2005年)、前々回(2006年)、前回(2007年)と席を立つ回数が減り話に対してのMotivationも格段に高くなっているのを確実に理解する事が出来ました。
集中力(Power of Concentration)というのは動機の強さ(Power of Motivation)に大きく依存(Dependence)する関係にあります。
つまり話に集中する為には動機付けを強く大きなモノにする必要がある訳で、「益を得る度合い」というのは動機付けに比例して居るんですな。
おいらはこの集中力をはぐくむ事は苦手なんですよ。
ある程度のプロセスが必要で自分の内で燃え上がり、一つの事を行う為に全てのモノを排除(Exclusion、Removal、Eliminationの全てが必要で不可欠)していく努力を求められるんです。
おいらは不器用な人間ですからね。
特にこれらを強烈に意識し認識してから話を聴くようにしないと良質のMemoを取る事など出来はしません。
年々この度合いが「深く、広く、高く」なっている事を実感できているという事ですな。
いろいろと報道されているニュースだけでも記事として書きたい事が沢山ありますね。
・「バカボン」の本当のパパの訃報とそれに対してのタモリさんの弔辞
・オリンピックは滞りなく行われるのか
・某国でのHyper Inflation
他にも沢山あります。
タモリさんの弔辞はクリスチャンでも凄く感動しました。
タモリさんの口から語られる赤塚さんの詳細を知る事によって更に「それでいいのだ。」という言葉の本質を知る事が出来ました。
「それで良いのだ。」は名言だと思いますな。
ところで書く事に関して少し記事として書こうと思います。
先日というか今月の初めの2008.08.01ー2008.08.03までクリスチャンの大きな集まりに参加してきました。
大きな集まりでは有益な話が行われ、年々自分自身が回復しているBarometerになっているようです。
その中でも講演のMemoを取る質というのは大きな目安になります。
集まりから得られた益をNotebookに残す質は年々良くなっていると思う訳です。
更に書くという作業はたとえ「話の内容」の少ししかとれなくても自尊心にダイレクトに繋がる事を実感しました。
人というのは以前にも書きましたが、Memoを取るのは難しいんですよ。
話として扱われている資料を全てとれる人というのは速記するひとやComputerで打ち込んでいく人ぐらいです。
それに速記している人も「言葉」を残すだけで内容を全て把握する事は難しいのだという事は後で書き起こす必要がある事からも解ります。
Computerで打ち込んで行くにしても誤字脱字が無いかを確認し、話を聴きながら打っていると内容どころではない状態でしょう。
Memoの内容を思い返すに当たってはおいらはIC Recorderで録音しましたし、聴く事が出来ます。
でも実際に目の前で話をして貰った事から来る益と録音したDataから得られる益とでは大きな差がある事を感じます。
当然ながらMemoは情報量が録音Dataよりも少なく関連する事というのは一部でしかありません。
感動して泣きそうになった所もMemoを取って感じた事を思い返してもどのような事が話されたのかが解らない事もありました。
IC Recorderで録音して良かったとも思いますし、もし録音の手間がなかったならもっと話から益を得る事が出来ていたかも知れません。
でもCassette Recorderよりも断然マシになった事は感じましたな。
カセットの入れ替え作業を父上が行っていたのですが、端で見ていてもかなり集中力がそがれます。
Memoを取るに当たっては大きなポイントです。
おいらがIC Recorderで録音する仕事をする事になりましたが、電池の量を気にする意外はテープの入れ替えが実質的に必要ではなくなりました。
おいらは話を聴いたり、本を読んだり、会話をする際に没頭し集中したいタイプです。
時間を無駄にはしたくありませんし、LossがあったりTime-lagがあることは益を得損なう大きな要因となります。
Real Timeで話と同調してMemoを取るようにしていきたいんですよね。
まあ参照する聖句をメモっていると話されている内容とはTime-lagが発生が多くなります。
でもカセット録音で煩わされる実質的に話とは関係のない作業をするのと比較すると比べるまでもありません。
人というのは不器用なモノなんですな。
同時並行して物事を行っていると言っても必ずどちらかに偏るようになっています。
つまり結局は人というのは一つの事しか行えないんですな。
時間が必要な場合や時間の経過が必要な仕事は別ですが、やればやるだけ物事が進んでいく作業の場合は幾つもの作業を並行的に行っていくよりも一つの作業を集中的に行う方が達成感を得る事が出来ます。
確かに同時並行して物事を行い全てを同時に終わらせるような仕事から得られるもの凄い達成感は難しいかも知れませんけどね。
確実に一つ一つを完遂し、確実に減らせていく方がおいらは性が合っています。
全て一緒に行い大きなフラストレーションを抱えるよりも少なくとも短いSpanで一つ一つの達成感を味わう事の方が良いんですな。
ここでおいらのMemoのとり方を少し書いてみようと思います。
おいらはMemoを取る場合に単位があるんですよ。
一日中話を聴く場合の方法を書いてみますね。
まず
・一つ一つの話
・幾つかのまとまった話の間に賛美歌を歌うのですがこの歌と歌の間の1時間半ぐらい
・午前、午後
・一日
・一つの集まり
といった感じですかね。
今回の集まりでは合計時間が12ー14時間弱の話のMemoを取った事になります。
前々々回(2005年)、前々回(2006年)、前回(2007年)と席を立つ回数が減り話に対してのMotivationも格段に高くなっているのを確実に理解する事が出来ました。
集中力(Power of Concentration)というのは動機の強さ(Power of Motivation)に大きく依存(Dependence)する関係にあります。
つまり話に集中する為には動機付けを強く大きなモノにする必要がある訳で、「益を得る度合い」というのは動機付けに比例して居るんですな。
おいらはこの集中力をはぐくむ事は苦手なんですよ。
ある程度のプロセスが必要で自分の内で燃え上がり、一つの事を行う為に全てのモノを排除(Exclusion、Removal、Eliminationの全てが必要で不可欠)していく努力を求められるんです。
おいらは不器用な人間ですからね。
特にこれらを強烈に意識し認識してから話を聴くようにしないと良質のMemoを取る事など出来はしません。
年々この度合いが「深く、広く、高く」なっている事を実感できているという事ですな。