扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

鬱やPTSDの夢への影響 2007.06.07

2007-06-07 03:35:54 | Sleep & Slumber & Dream
おいらはけっこうDeja-vuに会います........

今起こったばかりなのですが、「木更津キャッツアイ」のドラマについて考えたことが全く同じシチュエーションで借りに行こうと考える事を味わいました。
不思議な感覚ですが結構あるんですな。

ところで最近夢に関しての記事を書いていないのですが、悪夢に度々うなされることがあります。
逐一書いていた時期があったのですが、面倒なのと一日一つの記事になるべく集約させるような書き方にしていますので書いていないだけなんですな。

ところでけっこうこの一つ前の記事ではかなり暗い感じで書いてしまいました。
あの感じで一人でいるときは生活しているんですが、ぐちゃぐちゃになった心というのは元には戻りません。

わかりやすい例として「9.11」で亡くなった人の亡骸のことを挙げると理解の助けになるかもしれません。
失礼な書き方なのは理解していますのであしからず。
World Trade Center Twin Buildingの中で下層の方にいた人の亡骸というのはそこに居たのかさえ解らないほど潰れてしまっていて解明するのに数年かかるといわれています。

また鉄道での悲惨な事故として近年では福知山線脱線転覆事故がありますが、あの事故でさえ死体の形状はある程度残っていたはずです。
この事故ではある程度の速度で円の半径「R」の曲線の限界速度が非常に低速だったことから起こった事故でした。
よってもし潰れていてもDNAなどによって本人であることが解ったはずです。

しかしもし高速移動する列車もしくは新幹線やリニアモーターカーで壁にぶつかるとどうなるでしょうか?

World Trade Center Twin Buildingの亡骸と一緒でその人の痕跡というのは無くなってるでしょう。

グロイ事を書いていますがもしこれが精神的活動で起こるならどうでしょうか?

これは心でも一緒のことになると思うのです。
疑問や疑念というのは非常に、また非情に加速度的に発達していきます。
その事を考慮するなら心が潰れるというのがどんなに酷いことなのか解るでしょう。
書き方が悪いのかもしれませんが、心が潰れた人は事故で即死するよりも苦しい思いをすることがあります。
また事故で怪我をした際に自分に過失がない場合に障害を負うことになることをよくお聞きします。

これはPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれ、PTSDについては多くの要因があります。
PTSDの場合はトラウマとも言われその原因というのははっきりしていることが多いはずです。
よって心はそれを避けるように無意識のうちに回避行動を行うようになります。
もし原因になった障害や関連する事物に会うと拒絶反応が起こりショック状態やパニック状態を起こすことがあります。
そしてこの影響は一生涯続きます。
無意識下で過去の記憶が身体に異常な反応を起こさせ心から嫌悪感や拒絶を生み出すことが多いようです。
このことから人格形成にかなりの影響を与え破壊的な影響を及ぼすこともあります。

これは心の一部が潰れていると言っても良いかもしれません。

では心そのものが潰れた人や潰れかけている人はどうなるでしょうか?

自分の心のあり方自体理解できない状態になることの苦しさというのは如何ばかりでしょう。
いっそのこと考えない状態になった方がマシだと結論するのは想像に難くないはずです。
しかし人間というのは皮肉にも弱いにもかかわらず「考える葦」なのです。
なんという皮肉でしょう。
何も解らない状態になっても考えるのですから苦しい状態はよりいっそう酷くなっていき人格崩壊を起こしてしまいます。
今の日本は一般的に鬱病を患っている人を「気味の悪い人」や「暗い人」と定義し、それに近づいていく「笑顔の仮面」を付けながら苦しくてたまらない人を量産しています。
生活するために仕事は出来るかもしれませんが、プライベートでは生きた心地がしない状態になり苦しみ続けているのです。

wikipediaでPTSDと鬱病の定義を調べたのですが、おいらはどちらにも当てはまることがあります。

回避行動を取ることとして以前に配達で回っていた区域の道をほとんど走らない傾向があります。
また辛い思いをしている状況がフラッシュバックしてきて辛い状況を生み出します。
かなりの程度克服していると考えていたのですが、よくよく考えると写真を撮りに行きたいと考えていながら全く行かないのが野村方面なんですな。
全く意識していなかったのですが、隣町で写真を撮りに行っていないのは野村だけです。
他の隣町は全て網羅しているのに撮りに行かない原因は仕事の事が脳裏を掠めるからでしょう。
走るだけで辛さが込み上げてきてあちら方面で綺麗な桜並木があるところまで行くだけで精神的に疲れ切ってしまうんですな。

加えて鬱病の病前性格論に関してはメランコリー親和型性格、執着性格、循環性格の三つが挙げられていましたが、おいらは全ての性格になった事があります。
というかこんなに当てはまるモノなのだろうか?と疑問に感じたぐらいに当てはまりすぎています。
恐いぐらいですな......

また病気の発症や過程、経過なども全く当てはまっています。
おいらは「性格は変えられる」とか「人は全く違った人格に変われる」と信じて疑わない人間でした。
そして無理をして、自分を抑圧して人格を買えている時期がありました。
そのことが変わる事だと信じて疑わなかったんですな。
しかし蓋を開けてみると結局は人というのは本質は全く変わらないモノなのだという結論に達しました。
人は変われるというのは努力が必ず伴っており、人格との葛藤が必ずつきまとうという事が良くわかるようにもなりました。
よって人が変わるというのは並大抵の努力では達成できないという事も理解できています。

wikipediaには良く病院や鬱の事を知っている人から言われる事が書かれていました。
「時間が解決してくれる」という事と「いつか治るのだから焦る必要がない」という事です。
「がんばれ」とか「甘えるな」という言葉を言う事はしてはいけないという事も書かれていましたな。
しかしおいらの場合は上記と同様の事をを本人が自分に常に言い続けているのだから結局同じなのかもしれません。
おいら自身が追い詰め、自分が常に苦しんでいなければならないと言い聞かせるように心の中で繰り返しています。

また「自分には価値がない」ということは身にしみて理解しています。
「希死念慮や自己否定的な内容を口にする場合に自殺の危険性があり」云々という言葉が綴られていましたが現在の日本の若者の多くを、このような思考パターンに一律に教育機関で育ててきたのですから現在の教育機関の責任というのは非常に重いでしょう。

この思考は夢と密接な関係があるとおいらは考えています。
夢とはその人の知識や記憶に基づいて作り出されることがほとんどです。
恐い夢とか悲しい夢、苦しい夢を良く見るのはその影響が少なからずあるでしょう。

心が潰れてしまった今、自分の心がなんなのかを解析し、分析しどんな感じだったのかを一生懸命に取り組んでいますが、元々のおいらの心というのはどんなものだったのかの記憶が黒く塗りつぶされて見えないので苦しんでいる状態です。
元々おいらはリアルな生活ではあんなに明るい人間ではありません。
どちらかというとおとなしく無口な人間だったはずなんですけどね~。
保育所や学校、クリスチャンになったこと、仕事などでかなり人格が変わってしまったのかもしれないな~とか考えますし、記憶も怪しいし、いつからが本来の自分なのかが解りません。
特に黒く塗りつぶされた時期に心が潰れたことをかなり引きずっていますので元に戻ることが出来る見込みが全くないような気がします。
今の状態じゃあ良い夢は見れそうもないですな。(爆)

人生に影響を与えた出来事がけっこう多く、そのたびに性格が変わってきた事も大きく影響しています。
よって鬱の項目の病前性格論の項目全てを網羅しており、鬱病を潜在的な地盤は十分に出来ていた事になります。

今日も夜をTVを付け流れている中起きている状態です。
24時間ニュースチャンネルをみる事が出来るのが救いなのかもしれませんな。
何か音が鳴っていないと不安になります。
Macの前に座りっぱなしでTVの音を聴きながら時間が経つのをただただ願っている状態ですな。
寝る事が悪だと考えるのは心の調子が悪い時ですので今MAXで悪い状態のようです。

昨日の記事にしろ、この記事にしろ心の暗闇から生まれたエントリーだとしか考えられませんね~。
少し心の調子が悪いようです。
買い物なんかもして気分転換しているんですけどね~。
かなり悪い状態になっているのは間違いないようです。

薬が強くなった反動なのか心の落ち込みが酷くなっています。
特にここ最近とみに調子が悪くなりつつあります。
少し前に上り調子だったはずだったんですけどね~。
このごろは気持ちの起伏が非常に激しいんですよね~.........

少し心に闇が貯まって苦しいですな.........

この記事では、事故やテロに遭われた方たちに非常に失礼な書き方をしてしまいました。
非常に申し訳なく思います。
どうかお許し下さい。


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