思い出そうにも黒のマジックで塗りつぶされた記憶たち..........
(ちなみにイメージは適当に検索して見つけた月の写真ですのであしからず)
「そこには闇があった」
文書公開の際に書かれている部分を消すために黒く塗りつぶされることが過去に置いてなされてきました。
しかしこれらは先端の技術を用いるのであれば解読できる事も多いはずです。
人というのは忘れていく生き物です。
それはわかっています。
でもそれを踏まえた上でも空白の期間がおいらにはあります。
このことは音楽を聴いていると感じることがあります。
音楽というのは時代時代によって変化していき流行に彩られたモノですよね。
そして過去の音楽を聴くと思い出すことが出来ることは周知の事実です。
また音楽というのは生活の中では重要なモノとなっています。
ただ町を歩いたり、店に入ったりするとBGMでかかっていたり、TVではドラマやCMなどとタイアップされた流行歌が頻繁に流れています。
しかしおいらには思い出す手段としての音楽が存在しない時期があります。
車に乗っているときは音楽というのは手放せないツールです。
確かにかけていたという記憶はあるのですが、そのときに聴いていた音楽というのが解りません。
そしてある一定の期間は音楽ともTVとも外出とも縁のない生活がありました。
車で事故しておいらが車を持っていなかった時期のことです。
生きる気力もなくただただ死を願う期間なんですな。
心には闇しか無く、光の射す余地は有りませんでした。
よってきらびやかな世界とは自然と遠ざかっていき、常に死ぬ手段を求めてさまよっていたんですな。
完全に闇に浸りきっていたおいらにとって「死」こそが光だったと表現しても良いぐらいの状態でした。
ただ単に下品な笑いを追求している人間たちの行動を見ては自分一人でも表面的にからから笑っていなければ、深く暗い海の底で差し込むはずのない気持ちの上での光を線香花火のような短時間の気休めである「まがい物の光(低レベルな笑い)」によって暖めるようなモノでした。
しかし所詮は「線香花火」でも特に質の悪い部類のモノです。
花火として光を放つ前に「ぽたっ」と赤い光とも呼べないぐらいの塊が落ちてしまいます。
そこから暖を取ろうとすることは不可能でしょう。
心が凍結し何からも感動や楽しさを味わえないというのは光のあたらないところで、心的に絶対零度以下の温度によって凍り付いていました。
暗い闇こそが全てであり底からの解放を願うことはおいらにとって「=死ぬ」ことだったんですな。
こんなにつまらない人生なら生きている意味がない
こんなに辛い人生ならこれから将来も辛いことしか待っていない
こんなに悲しい人生ならこれ以上は冷たい感情を味わいたくない
こんなに苦しい人生から何を得ることがあるのだろうか
人が人に害をなしている事を知っていながら、その中に居続けることのむなしさを常に感じていました。
当然のことですが、深海の光も届かない冷たい底の闇に到達するまでにある程度の無駄なあがきをしました。
おいらの性格からすると中途半端なことをし続けることを求められることほど苦痛となることはありませんでした。
何事も納得してから物事を行いたかったんですな。
でもそれは当時は叶わぬ夢とも呼べない代物でしか有りませんでした。
おいらはレールの上を走り続けます。
ただ大きな避けることの出来ない壁に向かってブレーキも無い上に、どんどん加速していく高速移動する列車に乗せられて見えていて恐怖が襲ってくるのに走り続ける列車に乗って走り続けました。
限界が近かったのでしょう。
おいらが乗っている車両は10両編成ぐらいと考えると解りやすいかもしれません。
先頭の車両が引っ張る車両となっています。
おいらが先頭の車両に乗って壁までの距離がある程度解るようになってきた時点でかなり高速になっていましたので後方の車両がついてこれなくなり次々に何かに突っかかり大きく転がっては大破しバラバラに壊れていくのを見ていたました。
引っ張っていた車両が無くなった上に加速もまだまだ加わっていきます。
軽くなった上にまだまだエンジンには加速する余裕が十分にあるのですから、ありえない程の加速度で高速化していきます。
ただただ破滅に向かって自分の人格がどんどん壊れていきます。
最後の一押しを親切にも牧羊という名の詰問を受けることによって壊してくれました。
生きることの意味というのはなんて虚しいのだろう。
おいらは生きることの意義を今も探し続けています。
どんなに自分が「生きていることの益」を考えても全く無くて、やはり意味のない事や価値のない事しか感じる事が出来ません。
そして少し海の底からあがったところで「湿った質の悪い線香花火」から必死に暖を取ろうとしていました。
まがい物である事を理解していながら、そこからしか暖を取れず、線香花火からはほとんど、全くといっても良いほど暖を取る事は出来ませんでしたな。
しかしこのような状態から少し脱しつつあります。
まどろむ海面に何か着水したモノがありました。
それがゆっくり底まで落ちてきました。
それがおいらにとって写真なんですな。
Digital Cameraの出現はおいらの人生を少し上向きになりました。
それでもまあ底付近にいるのに違いはないのですが、他の底にいる方たちに比べると少し底から10センチぐらいの所にいると状態でしょう。
まだおいらは底付近に居ますから同じような状態の方の気持ちが痛いほどわかります。
解りすぎて嫌になってしまう事も多いようです。
テレビを見ていても、人と話していても辛い状態の人を見ていると悲しくなります。
そんな人の気持ちを癒やす事が出来るならばと考えて写真を公開していたんですが、少し自己顕示欲を満たす手段として扱いだした時点でおいらにはそんな価値はないと認識し直した次第です。
少し話がずれましたが、黒の記憶は思い出そうにも思い出す事が出来ない時期のことなんですな。
音楽もTVも悪とされ視聴出来ない時期と心が闇に染まっていく時期が繋がっていますから、記憶のない期間というのはかなり長い期間のように感じます。
4、5年ぐらいに渡って記憶がない時期があるんですな。
記憶障害は今でも薬の副作用によって起こる事がありますが、昔に比べては少なくなってきました。
過食の酷い時期というのは日が当たる事も出来ない状態で、夜型人間になっていました。
今もそんなに変わらない感じですけど、かなりの程度軽減しています。
ところで写真というのは撮った当時の事を思い出す事も出来ますよね~。
しかし写真も撮っていましたが風景や自然を撮ることはなかったことから思い出す事は何もありませんでした。
大会なんかで人は撮っていましたが、撮らなくてはならないという責任感からしか撮っておらず、感謝もされない写真を撮っては人にプレゼントしていました。
少し前に撮っていた方たちは彼らの機嫌を取るだけのために撮っていたところがありましたから見返す気にもなりませんし、撮った動機などを考えると嫌悪感を感じてしまうぐらいです。
今考えると滑稽ですな。(笑)
おいらを周りからみていた人間たちもさぞ「気持ちが悪い人間だな~」と思った事でしょう。
今はそれに輪をかけて気持ちが悪い人間ですからね~。(爆)
クリスチャンとしてはもとより人間としても最低ラインを行っているおいらは問題が多いんですよね。
こんな人間を肯定する方が問題があります。
やっぱり人と関わる事って僭越なんだと感じ、なんの価値もない人間なんだと良く感じます。
自分の分をわきまえて己の「愚かさ」と「醜悪さ」を認識していかねばならないでしょう。
人と話をする際にこんな事を考えているなんて出さないようにしていますから、普通に話していると解らないでしょうけどね。
おいらの心の中はこんな感じです。
しかし自分の出来る事がかなり見えてきましたので多少は浮力を得る事が出来ているように感じます。
実際に出来るならばの話ですけどね。
ところでこんな考え方を出来るようになったという事は少しずつ心も絶対零度の冷たさから少し温度があがっている事なのかもしれませんな。
まあそれでも限りなく絶対零度に近い温度にとどまっている事は違いないはずです。
今CDを借りまくっているのは記憶障害の時期の分の反動が出ていることなのでしょう。
記憶障害の酷かった時期の音楽も調べて集めていきたいモノです。
黒く塗りつぶされた部分の記憶を補うことは出来ませんが少なくとも音楽などの分野で今でも補うことが出来る分野のモノは補いたいと願っています。
(ちなみにイメージは適当に検索して見つけた月の写真ですのであしからず)
「そこには闇があった」
文書公開の際に書かれている部分を消すために黒く塗りつぶされることが過去に置いてなされてきました。
しかしこれらは先端の技術を用いるのであれば解読できる事も多いはずです。
人というのは忘れていく生き物です。
それはわかっています。
でもそれを踏まえた上でも空白の期間がおいらにはあります。
このことは音楽を聴いていると感じることがあります。
音楽というのは時代時代によって変化していき流行に彩られたモノですよね。
そして過去の音楽を聴くと思い出すことが出来ることは周知の事実です。
また音楽というのは生活の中では重要なモノとなっています。
ただ町を歩いたり、店に入ったりするとBGMでかかっていたり、TVではドラマやCMなどとタイアップされた流行歌が頻繁に流れています。
しかしおいらには思い出す手段としての音楽が存在しない時期があります。
車に乗っているときは音楽というのは手放せないツールです。
確かにかけていたという記憶はあるのですが、そのときに聴いていた音楽というのが解りません。
そしてある一定の期間は音楽ともTVとも外出とも縁のない生活がありました。
車で事故しておいらが車を持っていなかった時期のことです。
生きる気力もなくただただ死を願う期間なんですな。
心には闇しか無く、光の射す余地は有りませんでした。
よってきらびやかな世界とは自然と遠ざかっていき、常に死ぬ手段を求めてさまよっていたんですな。
完全に闇に浸りきっていたおいらにとって「死」こそが光だったと表現しても良いぐらいの状態でした。
ただ単に下品な笑いを追求している人間たちの行動を見ては自分一人でも表面的にからから笑っていなければ、深く暗い海の底で差し込むはずのない気持ちの上での光を線香花火のような短時間の気休めである「まがい物の光(低レベルな笑い)」によって暖めるようなモノでした。
しかし所詮は「線香花火」でも特に質の悪い部類のモノです。
花火として光を放つ前に「ぽたっ」と赤い光とも呼べないぐらいの塊が落ちてしまいます。
そこから暖を取ろうとすることは不可能でしょう。
心が凍結し何からも感動や楽しさを味わえないというのは光のあたらないところで、心的に絶対零度以下の温度によって凍り付いていました。
暗い闇こそが全てであり底からの解放を願うことはおいらにとって「=死ぬ」ことだったんですな。
こんなにつまらない人生なら生きている意味がない
こんなに辛い人生ならこれから将来も辛いことしか待っていない
こんなに悲しい人生ならこれ以上は冷たい感情を味わいたくない
こんなに苦しい人生から何を得ることがあるのだろうか
人が人に害をなしている事を知っていながら、その中に居続けることのむなしさを常に感じていました。
当然のことですが、深海の光も届かない冷たい底の闇に到達するまでにある程度の無駄なあがきをしました。
おいらの性格からすると中途半端なことをし続けることを求められることほど苦痛となることはありませんでした。
何事も納得してから物事を行いたかったんですな。
でもそれは当時は叶わぬ夢とも呼べない代物でしか有りませんでした。
おいらはレールの上を走り続けます。
ただ大きな避けることの出来ない壁に向かってブレーキも無い上に、どんどん加速していく高速移動する列車に乗せられて見えていて恐怖が襲ってくるのに走り続ける列車に乗って走り続けました。
限界が近かったのでしょう。
おいらが乗っている車両は10両編成ぐらいと考えると解りやすいかもしれません。
先頭の車両が引っ張る車両となっています。
おいらが先頭の車両に乗って壁までの距離がある程度解るようになってきた時点でかなり高速になっていましたので後方の車両がついてこれなくなり次々に何かに突っかかり大きく転がっては大破しバラバラに壊れていくのを見ていたました。
引っ張っていた車両が無くなった上に加速もまだまだ加わっていきます。
軽くなった上にまだまだエンジンには加速する余裕が十分にあるのですから、ありえない程の加速度で高速化していきます。
ただただ破滅に向かって自分の人格がどんどん壊れていきます。
最後の一押しを親切にも牧羊という名の詰問を受けることによって壊してくれました。
生きることの意味というのはなんて虚しいのだろう。
おいらは生きることの意義を今も探し続けています。
どんなに自分が「生きていることの益」を考えても全く無くて、やはり意味のない事や価値のない事しか感じる事が出来ません。
そして少し海の底からあがったところで「湿った質の悪い線香花火」から必死に暖を取ろうとしていました。
まがい物である事を理解していながら、そこからしか暖を取れず、線香花火からはほとんど、全くといっても良いほど暖を取る事は出来ませんでしたな。
しかしこのような状態から少し脱しつつあります。
まどろむ海面に何か着水したモノがありました。
それがゆっくり底まで落ちてきました。
それがおいらにとって写真なんですな。
Digital Cameraの出現はおいらの人生を少し上向きになりました。
それでもまあ底付近にいるのに違いはないのですが、他の底にいる方たちに比べると少し底から10センチぐらいの所にいると状態でしょう。
まだおいらは底付近に居ますから同じような状態の方の気持ちが痛いほどわかります。
解りすぎて嫌になってしまう事も多いようです。
テレビを見ていても、人と話していても辛い状態の人を見ていると悲しくなります。
そんな人の気持ちを癒やす事が出来るならばと考えて写真を公開していたんですが、少し自己顕示欲を満たす手段として扱いだした時点でおいらにはそんな価値はないと認識し直した次第です。
少し話がずれましたが、黒の記憶は思い出そうにも思い出す事が出来ない時期のことなんですな。
音楽もTVも悪とされ視聴出来ない時期と心が闇に染まっていく時期が繋がっていますから、記憶のない期間というのはかなり長い期間のように感じます。
4、5年ぐらいに渡って記憶がない時期があるんですな。
記憶障害は今でも薬の副作用によって起こる事がありますが、昔に比べては少なくなってきました。
過食の酷い時期というのは日が当たる事も出来ない状態で、夜型人間になっていました。
今もそんなに変わらない感じですけど、かなりの程度軽減しています。
ところで写真というのは撮った当時の事を思い出す事も出来ますよね~。
しかし写真も撮っていましたが風景や自然を撮ることはなかったことから思い出す事は何もありませんでした。
大会なんかで人は撮っていましたが、撮らなくてはならないという責任感からしか撮っておらず、感謝もされない写真を撮っては人にプレゼントしていました。
少し前に撮っていた方たちは彼らの機嫌を取るだけのために撮っていたところがありましたから見返す気にもなりませんし、撮った動機などを考えると嫌悪感を感じてしまうぐらいです。
今考えると滑稽ですな。(笑)
おいらを周りからみていた人間たちもさぞ「気持ちが悪い人間だな~」と思った事でしょう。
今はそれに輪をかけて気持ちが悪い人間ですからね~。(爆)
クリスチャンとしてはもとより人間としても最低ラインを行っているおいらは問題が多いんですよね。
こんな人間を肯定する方が問題があります。
やっぱり人と関わる事って僭越なんだと感じ、なんの価値もない人間なんだと良く感じます。
自分の分をわきまえて己の「愚かさ」と「醜悪さ」を認識していかねばならないでしょう。
人と話をする際にこんな事を考えているなんて出さないようにしていますから、普通に話していると解らないでしょうけどね。
おいらの心の中はこんな感じです。
しかし自分の出来る事がかなり見えてきましたので多少は浮力を得る事が出来ているように感じます。
実際に出来るならばの話ですけどね。
ところでこんな考え方を出来るようになったという事は少しずつ心も絶対零度の冷たさから少し温度があがっている事なのかもしれませんな。
まあそれでも限りなく絶対零度に近い温度にとどまっている事は違いないはずです。
今CDを借りまくっているのは記憶障害の時期の分の反動が出ていることなのでしょう。
記憶障害の酷かった時期の音楽も調べて集めていきたいモノです。
黒く塗りつぶされた部分の記憶を補うことは出来ませんが少なくとも音楽などの分野で今でも補うことが出来る分野のモノは補いたいと願っています。
今、みんな体調を崩す時期で悪いんでしょうね
もう、こうなると暴風雨ですよ(TT)
でも、私よりもむしろ、mumuさんのほうが躁鬱っていうより、大うつっぽい感じがします。
私なんて、最近怪しいですもん、自分のテンションがコントロールできず、大きな気分になり、それを家族に指摘されたりしますよ。何でも出来るような気でいて、何にも出来ないねとか^^;;自分じゃ何でも能力が高いと思っているでしょとか、昔のあなたと違うよとか言われます。そう、まるで昔の華やかに活躍していたころの自分を思い浮かべているようなときがあります、でも実際には出来ないんです、それで、どぽーんと落ちるんです。しかも、周りに指摘されて...
もう、最悪な気分です(爆)
常に自罰的な傾向のあるmumuさんとは傾向が違うんですよね...思いが悪いのかな?とさえ、自分で怖くなるとき有ります^^;治っている証拠なのか、悪化しているのかも自分で分からないですし...
目81 12/8には、ちょっとだけ症状別が書いてありますが、あれ、あてにならないですが....
まさに、同じ癌でも一人一人違うように、この病気も一人一人違いますよ。
確かに、mumuさんはPTSD値が高いような気がしますが
専門家で無いのでわかりませんが。
時間が癒すって言う言葉、昔は大嫌いでした、病気が悪いと、時間がたってしまえばさらに問題が自分だけで解決して、自分で納得しろ、文句を言うなって言う感じがして苦しみがいや増しました。
今は、わからないです、癒されたような気がします。
もう、無理やり、それはもう(笑)
黒く塗りつぶされたところを、他の人の記憶でうめると、思わぬ落とし穴にはまるので(というか、死にたくなりますよ)黒く塗られたところは、こうだったと言われないように、音楽療法してください^^
私は、最近、あなたはこうだと言われたくないんです
あの時はこうだったとか..(言われたので余計)人の評価なんて、本人で無いのでいい加減ですよ、自分の勝手の良いように都合よく責任転嫁できますからね。
死人にくちなしならぬ、記憶喪失にくちなし
はい。
そうなんですよね~。
少し落ち込みがちになっています。
薬が変わってから寝れない状態が増えていて、ちゃんと寝れないと気持ちもネガティブな方向に向かうようになっていきますからね~。
過去のおいらが大鬱だったのは間違いないのですが、最近またぶり返してきていて、ちょっとしたことで感情が乱れ手が震えてくることがあります。
至らない自分のことを考えるときに手が震えることに気がついたのはここ最近なんですけどね。
プロフにも書いていますが、自分に関しては少し完璧主義気味で至らないと何らかのペナルティなり、制限なりを加えないと気が済まない時が多いことも確かです。
大体人と話すときは仮面鬱病の状態で対外的には明るいのですが、心の中では話の内容とかなりの温度差があります。
おいらも時間が癒やすというのは嘘だと思っていました。
でもある程度の回復が時間によってなされましたからあながち嘘でもないという事を感じていた矢先に今の心の状態になっていますからね~。
加えてPTSDは少なからずあるように感じます。
このBlogというのはおいら自身のおいらだけの主観で書いていますから、もしこのような状態にした人たちが見ると間違っている点をがあり指摘されることも理解しています。
しかし心の傷や感情面で被る被害というのは、そんな指摘なんか意味がありません。
でも引きずりすぎるのもどうかと思うんですよね。
現状では感情問題によって落ち込んでいるのですから、アジア諸国の日本への批判をおかしいという記事を書くこと自体が間違いなのかもしれません。
他の人の記憶で埋めることについては人間の事ですからね~。
「死にたくなる」というのは解るような気がします。
というかおいらはもう過去のおいらに関しての他の人の意見を聞く耳がないんですよ。
過去は過去、現在は現在と割り切らないと落ち込む度合いが強くなりますからね。
それでも「あの頃はこんなだった」とか「開○者として立派なBだった」など解りきったありきたりな事を言われますし、気を遣う点ではそんなに変わっていませんが話しかけないようにすることによって疲れることを軽減するようにしています。
悪い意味では無視するようにしているんですな。
何かと目につき、色々と気がつくのですが必要以上のこともしないようにもするようにしています。
人間の傾向というのは「一番良いところ」か「悪いこと全般」しか覚えていませんからね~。
良いことは余り覚えていないのに悪いことはほとんど全部覚えていることは不公平を感じますが、対外の記憶というのはそんなものです。
でも記憶のないところは心に負担にならない事は補っていきたいものです。