そのImpactは全世界を恐怖に巻き込みました..................................
Americaの象徴的なBuildingであったWorld Trade Centerは全世界が絶えず注目する都市New YorkのManhattanにありました。
人々は変わらぬ日常に生きていて日々の日課や当然のように仕事を行っていたのです。
幸せな人もいたでしょうし「人生で良いことなど無い」と考えていた人もいたでしょう。
ところが異変は警告も前触れもなくやってきました。
一機の飛行機が一つのBuildingに突っ込みました。
この飛行機を見ていた人は随分と低空飛行しているな~と思っていたとインタビューで見たことがありました。
しかしBuildingに突っ込むとは考えてはいなかったでしょうね。
Americaが突如に比喩的な暗雲が広がり始めます。
報道クルーが偶然に撮影してた事でこの暗雲は全米に広がり、直ぐに世界を暗黒へと導いていきました。
その中の一人においらがいたんですな。
あのNEWSを見た瞬間を今でも覚えています。
良くできたRealityがあり臨場感がある映画のOne Sceneでも見るかのように見ていました。
最初に映し出された瞬間は
「これは演出の一つだろう」
「こんな事が現実に起きることはないだろう」
という楽観的で客観的に見ていました。
しかし次第にReporterの真剣な言葉でRealを伝え、本当に起こっているのだと理解するのに時間は掛かりませんでした。
おいらが鬱で苦しんでいた時期で世の中が灰色に見えていた頃でしたからね~。
世界にはMonochromeのモノが並んでいて色が無かったんです。
そしてこの出来事がMonochromeでも認識し、識別する光さえ奪ってしまいました。
「とうとう終わりの日が来たのか」
とさえ考えたぐらいです。
ただただ涙が出てきました。
Real Timeに映し出されている映像にもう一つの機体が流れてきてもう一つのBuildingにも突っ込みました。
心底から「夢であってくれ...................」と嗚咽を漏らしながら神に祈りました。
でも実際に起こったことというのは夢のように「起きたら何事もなかった」というようなものではありません。
「なぜ死を望みながら生き恥をさらしながら生きながらえているおいらが生きていて、
生きたいと願いながら死に行く人たちが存在するのだろう」
と世の矛盾に苦しんだモノです。
倫理的に他の人の命と自分の命は分けて考えなければならないのだと理解することが出来ました。
これは最近理解したことなんですがね。
どうやらおいらにも「生きる分」があるようですな。
話を戻します。
あのテロで印象に残っているのはWorld Trade Centerに突っ込み炎上したであろう飛行機の炎の赤と黒煙と灰色の煙でした。
他のモノは全て色もなく光もなくただ赤と黒、そして広がっていく煙の灰色が脳裏に残っています。
他の所にも色があったんですけどね。
人というのは注目しているところに意識が集中し、周りの状況というのは見えないんですな。
注目する事については以前に少し書きましたし、もっと掘り下げて書きたいと考えています。
そして突如2棟がTime-lagがほとんど無い状態で崩壊し始めました。
命が消えていくのをただ眺めていることしか出来無くて無力な自分が呪わしく、精神的苦痛にのたうち回っていたモノです。
精神的苦痛というのは目に見えない分苦しみが倍増します。
理解されないことは当然のことながら普通の人と一緒に見られて苦しみが見えないのは辛いモノです。
9.11から半年間は生きた心地がしませんでしたな。
これは近しい人が病気や亡くなったりする度に考えていたのですがね。
しかし9.11の時は平均的な倫理観を持っている人のほとんどがそうだったのではないでしょうかね。
生きているモノは死ぬことを知っています。
人に平等に訪れるモノ、金や権威、力でさえ相手にして貰えず誰もが無力になるモノ、それが死なのです。
死ぬことがこれほど身近なモノなのに人は生きていかねばなりません。
誰もが考えさせられながらも生きていかねばならないのです。
「人がなぜ死ぬのか」
と尋ねることはどの宗教でも禁忌(Taboo)とされていて実際に宗教家たちも答えを持っていないのが現実です。
宗教家たちが答えを持っていないことは
「神様がご自分のそばに召されたんだよ」
「天国に行ったんだから悲しむことはない」
などといったまやかしの慰めの言葉によって誤魔化すことから明らかです。
でも答えというのは調べようによっては単純明快で誰でも見いだし得ることが出来るんですな。
答えの一つとして
・人というのは死ぬようには出来ていない
ということですな。
これは人体を見ると説明が付く事の方が多いんですよね。
脳の使用率を考えると「進化」だと言う意見が多いのですが、進化では説明できない事があります。
進化というのは環境に応じて「必要な分だけ」進化したと考えられることがほとんどです。
つまり有り余るほどの記憶容量は進化では発生し得ないんですよ。
人間の脳は死ぬまでの使用率は科学者によっては1%程度だという意見もあるぐらいです。
進化の過程でこれほど無駄が発生している部分というのはありません。
そして身体が進化によって成長したとするならば説明の付かない部分が非常に沢山あることも身体のつくりを調べれば調べるほど理解できるでしょう。
何だか話が別方向に言っていますね。
とにかく最近の自分の回復して来つつあることを実感しています。
灰色の世界に今も生きていますが、悲観的な見方をすることが少なくなってきましたな。
今日は記事を2つも書いたので疲れましたのでこの記事は適当になってしまいましたが、お許しください。
Americaの象徴的なBuildingであったWorld Trade Centerは全世界が絶えず注目する都市New YorkのManhattanにありました。
人々は変わらぬ日常に生きていて日々の日課や当然のように仕事を行っていたのです。
幸せな人もいたでしょうし「人生で良いことなど無い」と考えていた人もいたでしょう。
ところが異変は警告も前触れもなくやってきました。
一機の飛行機が一つのBuildingに突っ込みました。
この飛行機を見ていた人は随分と低空飛行しているな~と思っていたとインタビューで見たことがありました。
しかしBuildingに突っ込むとは考えてはいなかったでしょうね。
Americaが突如に比喩的な暗雲が広がり始めます。
報道クルーが偶然に撮影してた事でこの暗雲は全米に広がり、直ぐに世界を暗黒へと導いていきました。
その中の一人においらがいたんですな。
あのNEWSを見た瞬間を今でも覚えています。
良くできたRealityがあり臨場感がある映画のOne Sceneでも見るかのように見ていました。
最初に映し出された瞬間は
「これは演出の一つだろう」
「こんな事が現実に起きることはないだろう」
という楽観的で客観的に見ていました。
しかし次第にReporterの真剣な言葉でRealを伝え、本当に起こっているのだと理解するのに時間は掛かりませんでした。
おいらが鬱で苦しんでいた時期で世の中が灰色に見えていた頃でしたからね~。
世界にはMonochromeのモノが並んでいて色が無かったんです。
そしてこの出来事がMonochromeでも認識し、識別する光さえ奪ってしまいました。
「とうとう終わりの日が来たのか」
とさえ考えたぐらいです。
ただただ涙が出てきました。
Real Timeに映し出されている映像にもう一つの機体が流れてきてもう一つのBuildingにも突っ込みました。
心底から「夢であってくれ...................」と嗚咽を漏らしながら神に祈りました。
でも実際に起こったことというのは夢のように「起きたら何事もなかった」というようなものではありません。
「なぜ死を望みながら生き恥をさらしながら生きながらえているおいらが生きていて、
生きたいと願いながら死に行く人たちが存在するのだろう」
と世の矛盾に苦しんだモノです。
倫理的に他の人の命と自分の命は分けて考えなければならないのだと理解することが出来ました。
これは最近理解したことなんですがね。
どうやらおいらにも「生きる分」があるようですな。
話を戻します。
あのテロで印象に残っているのはWorld Trade Centerに突っ込み炎上したであろう飛行機の炎の赤と黒煙と灰色の煙でした。
他のモノは全て色もなく光もなくただ赤と黒、そして広がっていく煙の灰色が脳裏に残っています。
他の所にも色があったんですけどね。
人というのは注目しているところに意識が集中し、周りの状況というのは見えないんですな。
注目する事については以前に少し書きましたし、もっと掘り下げて書きたいと考えています。
そして突如2棟がTime-lagがほとんど無い状態で崩壊し始めました。
命が消えていくのをただ眺めていることしか出来無くて無力な自分が呪わしく、精神的苦痛にのたうち回っていたモノです。
精神的苦痛というのは目に見えない分苦しみが倍増します。
理解されないことは当然のことながら普通の人と一緒に見られて苦しみが見えないのは辛いモノです。
9.11から半年間は生きた心地がしませんでしたな。
これは近しい人が病気や亡くなったりする度に考えていたのですがね。
しかし9.11の時は平均的な倫理観を持っている人のほとんどがそうだったのではないでしょうかね。
生きているモノは死ぬことを知っています。
人に平等に訪れるモノ、金や権威、力でさえ相手にして貰えず誰もが無力になるモノ、それが死なのです。
死ぬことがこれほど身近なモノなのに人は生きていかねばなりません。
誰もが考えさせられながらも生きていかねばならないのです。
「人がなぜ死ぬのか」
と尋ねることはどの宗教でも禁忌(Taboo)とされていて実際に宗教家たちも答えを持っていないのが現実です。
宗教家たちが答えを持っていないことは
「神様がご自分のそばに召されたんだよ」
「天国に行ったんだから悲しむことはない」
などといったまやかしの慰めの言葉によって誤魔化すことから明らかです。
でも答えというのは調べようによっては単純明快で誰でも見いだし得ることが出来るんですな。
答えの一つとして
・人というのは死ぬようには出来ていない
ということですな。
これは人体を見ると説明が付く事の方が多いんですよね。
脳の使用率を考えると「進化」だと言う意見が多いのですが、進化では説明できない事があります。
進化というのは環境に応じて「必要な分だけ」進化したと考えられることがほとんどです。
つまり有り余るほどの記憶容量は進化では発生し得ないんですよ。
人間の脳は死ぬまでの使用率は科学者によっては1%程度だという意見もあるぐらいです。
進化の過程でこれほど無駄が発生している部分というのはありません。
そして身体が進化によって成長したとするならば説明の付かない部分が非常に沢山あることも身体のつくりを調べれば調べるほど理解できるでしょう。
何だか話が別方向に言っていますね。
とにかく最近の自分の回復して来つつあることを実感しています。
灰色の世界に今も生きていますが、悲観的な見方をすることが少なくなってきましたな。
今日は記事を2つも書いたので疲れましたのでこの記事は適当になってしまいましたが、お許しください。