扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 その47 2008.03.26

2008-03-26 23:40:40 | Stationery & Supply
書く道具は共通の言語で繋がっている..................

たいていのモノというのは近しい人からは「適正な評価」が受け入れられないモノです。
これはキリストが近親者や出身地の人から重要視されなかったことからも明らかですな。
これと一緒で「モノの善し悪し」によらずして作り出す人(Creator)の生い立ちを知っている人は、「人」を見て判断しようとします。
ずっと知っているが「こんな人が良いモノを生み出す訳がない」という結論付けを自分の中で行なってしまうんですな。
また努力というのは絶えず努力している人のモノは表面化しにくい傾向にあり、たまに努力したり目立つ人が努力すると非常に高い評価がつきがちです。
これは明らかに「華があるから」という単純な理由で絶えず努力した人から見ると「努力」とは呼べないレベルでも評価される傾向があります。
マスコミなどが取り上げる芸能人の特技の報道の方法は行き過ぎているというのは明白ですし、眉唾モノなことがあります。
確かにProレベルの人もいることは確かですが、今まで行なってきた名声などのよって売っていることも少なくないという事です。
評価する人も人間ですし、ファンであれば自ずと評価が高くなるのは仕方がない傾向でしょう。

しかしその道一筋で一生懸命に命を削って生きている人にとってこれは屈辱だと考えるでしょう。
これまで行なってきたことは間違いだったのかだろうかと自己疑心に陥ることもあるでしょうし、自分の実力というのはここまでの物だったのかと感じる人も少なくないと思うんですよ。
実力の伴っている人は人が放っておかないとも思うので何なんですがね。
そして先に書いたように近しい人からの評価というのは殆ど期待できないのですから自信を無くしていき活動を止めてしまうと言う残念な現象が起こります。
活動を止めてしまう原因の多くが近しい人々の反応の薄さから来ていることは残念なことです。
いまでこそこのような無料で公開できるBlogなどの自己発信媒体が出来ましたが、このような手段がなかった人は活動が限定され一地域でしか行動できないことから多くの才能が埋もれてきました。
そのような中でずっと努力し頑張ってきた人を評価していきたいモノです。
ずっと努力している人というのは例に漏れず多少は自分に厳しい人間です。
でなければ評価されずに継続し続けるというのは出来ないはずです。
「まだまだ評価されるに足らないのだ」
「お金を出すまでの付加価値を付けられていない」
「技術的な改善点がある」
などの考えによって自己改善を行ない続けている人であるはずなんですよね。
孤独な闘いほど辛い闘いはありません。
誰からも評価されないというのは本当に辛いモノです。
自分の存在が否定されているようにも感じるでしょうし、自分の仕事というのは自分ではなくても出来るという感覚にも少なからず陥ります。
そんなときにおいらの場合は慰めてくれるのが身近にある道具のStationeryであるわけですよ。

まあ、おいらはそんなに努力もしていませんし、孤独な闘いというのも大した物ではありません。
自己改善も出来ていないことだらけで自己嫌悪に陥りますし、それでも改善したくても出来ない事があります。
でも「孤独」との闘いは慢性的な病気と一緒で絶えずおいらを襲ってきます。
ほかのことは知ったかぶりのような書き方かも知れませんがね。
少なくとも多少の努力をしていることもあることは事実ですし、自分に嫌気がさすときに

「良い仕事の施された道具を使う」

というのは心の糧になるんですよね。
こんなに良い道具を作っている人がいるという事実がそこには存在して手に取ってみることが出来るんです。
そしてこう思う訳ですよ。

このような仕事を出来るまでにはまだまだ達していないのに自分の仕事が評価されるなんて烏滸がましい

なんてね。
おいらも背に腹変えられない状況になってきましたので、少し仕事を始めようと考えているのですがね。

今日はMatsuyamaに怪我した子が通院する日だったので行ってきたんですな。
んで報画堂さんに寄ってきました。
仕事に張り合いを求める為に万年筆を見に行ったようなモノだったのですが、AURORAの万年筆で一本購入したいと考えています。

世界には作り手の顔も知らないのに手に届く良い道具があるのです。
このような道具というのはInternetが普及する前は殆どが口コミで広がっていました。
今でこそ広く知られるような簡単な媒体が存在しますけどね。
それでも使っている人のリアルな意見がなければ人というのは購入するまでは踏み切れないモノです。
新しい道具を使うというのはリスクが伴います。
今までのスタイルが適応できなくなる可能性が少なからずあるのですからね。
しかし良い道具というのは作り手が語らずとも「道具そのもの」が「=言語化」し脳神経に視神経を通して訴えかけるモノだと感じています。
そして直に手にとって本当に良いモノというのは触感を通しても訴えかけてくるはずです。

少し書きすぎでしょうかね............

世界にはまだまだ良いモノが眠っていることは必然でしょうし、そうでなければなりません。
書くことは人類共通の動作ですし、その道具を作る人との会話が出来るのです。
道具を使うと言うことは其れを設計し(Design)、造った(Make)人との会話に他なりません。

道具との対話は時に人を励まし、力づけるモノとなり得ると言うことですな。
少なくともここに一人は道具によって励まされている人がいることは確かなのですから..................

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