無名会から無明人へ

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悲しくなった時は・・・

2020-07-18 22:54:26 | 日記

2020年7月19日
梅雨はあともう少しで終わるのでしょうか、ジメジメした気候とコロナウィルスの感染拡大のニュースを聞くたびに心がめいってしまいますね。

(藪甘草)
「悲しくなった時は海を見に行く」

このフレーズは寺山修司の詩の一節です。
>悲しくなった時は海を見に行く
>古本屋の帰りも海を見に行く あなたが病気なら海を見に行く
>こころ貧しい朝も海を見にいく
> あぁ海よ 大きな肩と広い胸よ お前はもっと悲しい
>お前の悲しみに私の生活(くらし)は洗われる
>どんなつらい朝も どんなむごい夜も いつかは終わる
>人生はいつか終わるが 海だけは終わらないのだ・・・以下

もう少し続きはありますが省略します。

この詩を私は好きなのですがこの詩を読むと必ず思い出されるシーンが
あります。腹違いの姉が、うす闇が迫る夕方、
太平洋の海に向かう砂浜に座ってズーと海をを眺めているのです。
どす黒い大きなうねりをもってどどっーと打ち寄せて来る波。
ざわざわ、しわしわと引いていく波。
人はいなく広い広い大きな浜辺でした。
彼女は決して海を見ているわけではない。何か思っているのです。
姉は事情があって生まれてすぐ父の叔母の(子供のいない)
子供として育ってました。
あの時どうして海に行ったのかは今では覚えてないのですが、
その海を見ている時、彼女の苦しみ、悲しみが伝わってきたように思う。
私と妹弟は母と父と一緒に住んでいたのです。
彼女は他所で、もらわれ子として育っているのです。
彼女は高校生、私は中学生でした。
この詩を読むと必ず思い出されるシーンなのです。

今度9月に行われるコンサートにむけてこの歌を歌おうと思います。
これは中田喜直が作曲して歌曲になっています。
高音で作られてるのですが私は詩の内容からメゾか
むしろアルトの歌で作られたらもっと説得ある曲になると思うのですが、
高い音とりです。朗読に向いた詩なのかもしれない。
私の歌の好みといえば、アルトの落ち着いた柔らかくてのびやかで
説得力のある歌。ところが私の声帯はコロラトゥラ向きだそうで
コロコロとした明るい高い声なのだそうです。
しっとりとした落ち着いた歌にはむいてないそうで・・・。
先生に歌ってみたい好みの歌を持っていくとこの歌はメゾの曲で
あなたにむいてませんていわれる・・。無理にお願いして一度
ヘンデルの「Ah,mio cor」を歌わせてもらいましたが・・・。
この「悲しくなった・・」は色々な方が歌っておられますが
日本人が歌ってるのに、外国人?と思わせる舌の運び、
鼻に抜ける発声の仕方に日本語ではない違和感を感じる
歌い手がいるとおもいます。
伊藤京子さんの歌い方が日本語の言葉の自然さと奥行きを感じられ、
いいと思いました。
ここまでは勝手な批評家の私。実際私が歌うのは超難しい難行です!!。
他にモーツアルトの羊飼いの王様から「アミンタのアリア」と
プッチーニの「私のお父さん」の3曲を歌うことになっています。
(ダリア)
(去年の球根をこの春に土に埋めたら雨にも負けず茂ってくれました。)

ところがここにきてコロナウィルスの感染蔓延で、
発声をしていいのか戸惑う私です。
特にマイクを使わない発声で腹の底から出す大量の呼気を
身体から出す練習です。
グループでレッスンを受けるのですが、
果たしてそんなことしていいのかしらと悩んでいます。
教室は大きいホールを借りて窓を開けて練習しているのですが・・・。
先週は怖くて欠席しました・・・。
お仲間さんはやる気でおられるけど、
やってみたい気はあるけど私は辞退しようかな・・・。

(カサブランカが毎年忘れずに芳香を放ち咲いてくれます。)

 


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